書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆凪一木
その145 お前こそが事故の元
No.3546 ・ 2022年06月11日




■三幸製菓というと、私の大好きな菓子メーカーである。ホワミルという親しみやすいキャラクターも好きだ。その工場でバレンタインデー直前の二三時四五分、火災が起きた。死亡が確認されたのは、芳子さん七一歳、美代子さん六八歳、ハチヱさん七三歳、慶子さん七〇歳といずれも清掃員の女性高齢者で、私はいつも共に仕事をしている高齢の女性清掃員さんを想わずにはいられなかった。七〇歳前後という年齢からして、もう起きていられないような眠たい時間に、仕事をしていた。そして逃げ遅れた。他人ごとではない。
 実はその二カ月前に、皇居で、ビル管が死亡している。
 二〇二一年一二月のことだ。〈皇居・宮殿で8日、天井の点検作業をしていた宮内庁職員が転落し、五日後に死亡していたことが一六日、同庁関係者への取材で分かった。宮殿での事故で死者が出たのは初めてという。同庁関係者によると、亡くなったのは宮殿管理官付の五〇代男性職員。八日朝、宮殿「豊明殿」の廊下で、脚立を使って高さ約三メートルの天井と、屋根の間に置かれたバケツに水がたまっているかどうかを点検中に落下したとみられる。〉(時事ドットコム)
 この点検は通常、数日おきに複数人で行っていた。事故当日は同じグループの担当が休暇中であったため、一人で作業していたという。確かに三メートルの高さを一人作業はNGだ。だが、これはやりがちなのだ。宮中晩さん会などで用いられる豊明殿は、少々高い天井と言える。絶対に一人作業をしてはいけない。だが、人が偶然足りないときは、ついつい「やってしまう」。これが気のゆるみであり、また安全を怠る第一歩なのだ。
 実は私は、いよいよ、霞が関の某省庁に異動となった。もう不貞腐れて、諦めて、御茶ノ水現場にでも異動しようかと観念した時期もあった。だけど、私がそれでは、死んだ仲間も、辞めた仲間も浮かばれない。自分を実験台にしてでも抵抗しようと思った。勝ったのか負けたのか分からないような結果となった。それでも、あとは野となれ、山となれと思わない点が一つある。現場に残るグレイが気掛かりなのだ。
 頑固でそれゆえと思われるが頭の切れがない。タバコを吸い過ぎてもいる。健康に悪いと、忠告はしないが、辞める気も全くないようだ。無根拠に自信を持っていて、それが間違っていたり、全くの的外れだったりする。そして年齢的な身体と頭脳の能力が、明らかに落ちている。五分前に言付けた内容をもう忘れている。
 或る日は、汚水槽に、フックに詰めるゴムを落とした。そんなもの新しく買えばいい。敢えて汚い汚水槽から取り出すこともないし、また危険でもある。ところが、Gさんは汚水槽からゴムを取ろうとする。理由は所長が怖いからだ。あの追い出したはずの所長が、まだ理由もなくやってきている。そしてGさんに威圧を掛けてくる。これでもし落ちて死んでも事故は事故だが、元を正せば人為的な事故だと私は思う。やる必要など全くない作業だからだ。「怒られる」「怖い」という人為がそうさせている。だが、報道では、そうはならないだろう。勝手に「やって」勝手に「死んだ」ことにしかされないだろう。他の所長ならば、絶対にやっていない。
 乗客一〇六人と運転士が死亡したJR西日本の事故もそうだった。オーバーランしてバックし、ホームの定位置に戻した時間の遅れを取り戻そうと暴走した結果だ。校門圧死事件にも似ている。そうさせる仕組みがある。「お上」が怖い。悪人の弊害、悪影響。見えないルールに怯え、起きる事故。Gさんの恐れる所長自体は、自らミスのオンパレードだ。何度注意しても、常に作業書を出し忘れ、不注意極まりない上に、周りの意見を聞かず、取引先や下請けの者には態度が横柄で、コンプレックスの塊。しっかりと裁かれるなり、何らかの処分や指導を行わなければ、会社自体が、ビルもゼネコンも、不祥事や事故で吹っ飛ぶのではないか。
 人間など信用できない。ルールがあろうと、安全を無視してでも、馬鹿上司の機嫌を取ったり、忖度したりする。それでいて、自己を守るためのウソもつく。グレイの煙に巻く弁明は、自己防衛のための詭弁だが、気分の悪さも抱えもっている。それは、相手に「言い過ぎたかもしれない」とか、「自分の方が間違っていたかな」などと、反省や内省を突き付けてくるような響きを残す。グレイの行為がそれほどでもないのに、こちらが却って必要以上の行為をしているかのような印象を周囲にも、二人の間ですら与える。遠回しな第三者批判もまた、聞いていて辟易する。歯の奥に物の詰まったようなグレイ節。ボケと惚けの合わせ技が曲者だ。遠慮深い割には少々図々しいし、へりくだっている割には妙に頑固で引かない。長くいると、ボディブローのように効いてくる。こっちの方がわけのわからないミスを、つまりは貰い事故をしそうだ。
 G「Aは、明日の空調スケジュール入っていないんですけど、入れた方がいいんじゃないですか?」凪「どうして」G「受付の人、寒いんじゃないですか」凪「受付は、Bだよ」G「そうですよね。Bはこれで良いんですよね。ああ、ビックリした。間違ってるのかと思った」。
 お前、間違ってるじゃないか。また、このやり取りかよ。もう飽きた。
 汚水槽。今度は溢れるところだった。「大丈夫です」と言って満水警報を放っておいている。見にいったら、蓋まで、あと二〇センチの高さまで上がってきていた。
 会社というところは、自信のない奴が、さりげないようで見え見えの自己アピールをしたり、遠回しな他人の挙げ足取り、揶揄をして、つまらない誉め殺しで、乗り切ろうとする。グレイはこの術に長けている。だが、恐らく私が消えると、この男は事故を起こすのではないか。自業自得と言いたいところだが、グレイが、嫌らしくて、ダメな人間であればあるほど、愛おしくも思う。自分と同じ北海道出身だからか。いや、結局はこちら側の弱い人間だからだ。
 雑で、その割にサバサバしているわけではないが、中途半端に温かみがあり、ネチっこくはないが、辛抱強くもなく、気の弱さと忘れっぽさがあり、信用できないところがある。適当臭く、しかし付き合うには悪くない。そんな奴が多い。大泉洋。松山千春。錦鯉の長谷川雅紀。誤解されやすく、だからと言ってそれを覆すに余りある人物を演じるほど嫌らしくはない道産子。そんな奴でも、事故は「奴ら」によって仕組まれたシステムの被害としか言いようがない。
 老獪で不愉快なグレイ。だが、気掛かりなのである。
(建築物管理)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約