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評者◆添田馨
現代権力論――病原ウイルスとしての「アベ政治」㉑
No.3546 ・ 2022年06月11日
■逢坂冬馬の小説『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)を読みながら、無意識にそれを現在のウクライナ情勢に重ねあわせて読んでいる自分がいた。小説中で描かれるかつての侵略者・ナチスは、現在のロシア軍の姿にすっぽりと重なる。
ところで、わが国の憲法9条が明確に禁じているものが、いまロシアのプーチンが行っているような「特別軍事作戦」つまり「国際紛争を解決する手段」としての“戦争”であることは言を俟たない。そしてリアルタイムで伝わってくるウクライナでの“戦争”の現実は、私たちが憲法9条の存在意義を新たに見つめ直すまたとない好機にもなっていると思う。 もしもロシアが自国の憲法のなかに「9条」と同様の規定を持っていたなら、それによってもっとも手厚く守られたであろう存在とはいったい誰なのだろうか、という問いを立ててみる。 その答えは間違いなく、みずからの意に反して戦線に投入され、十分な兵站補給も受けられぬまま略奪などを繰り返し、無防備な一般市民の殺戮といった戦争犯罪に手を染めたあげく、敵の反撃にあって負傷し、あるいは捕虜となり、あるいは落命するまでに至った、数えきれない末端のロシア軍兵士たちに他ならない。 そのように考えると、わが国の憲法9条は、国民のなかに誰ひとりとして、そうした不幸な存在を生みださぬよう、法の保護のもとに包みこんでいる気高い条項なのだということが改めて実感される。なぜなら「国の交戦権は、これを認めない」とあるように、私たちが国家の意志によって戦闘の犠牲や戦争犯罪の片棒かつぎをさせられる不遇の事態を、それはもっとも高い法のレベルで明確に禁じているからである。 安倍氏など保守派の改憲論者は、わが国を戦争のできる国にしたがっている。しかしそれは、自国民をこうした法の保護のもとから放逐する危険な道でもあるのだ。憲法が守るべき対象は国家ではなく、あくまで国民なのだということを忘れてはならない。 (つづく) |
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