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評者◆杉本真維子
寂しさの釣りだし
No.3545 ・ 2022年06月04日




■ロシアの「ウクライナ侵攻」が日増しに激しくなるなか、これが当然の反応だとでもいうようにすぐさま反戦の詩を書いて発表する、という動きが同人誌やSNSなどで見られる。その多くは抑えきれない何かに突き動かされて書いたというものだが(そのような注釈が入っているものもある)、私はこの「抑え切れない何か」を、正直、とても疑っている。
 かつて茨木のり子は著書『詩のこころを読む』のなかで「寂しさの釣りだし」という言葉をつかって、おいしい餌に簡単に釣りだされてしまう心と、その釣りだしを手助けする自己顕示欲のあやうさについて書いた。それは金子光晴の詩「寂しさの歌」への言及のなかでのことで、金子はそこで敗戦間近の日本全体を覆っていた寂しさの根元をつきとめようとする力がどこかにあると信じつつも、その力に連なろうとする意欲の持ち主が周囲に誰一人いないことを最大の寂しさとした。茨木のり子はそれを引きつつ、連なろうとする力や意欲が歳月のなかで風化していくさまさえも見てしまった七十年代末期の寂しさのなかでこのように書いた。
 第二次世界大戦時における日本とは何だったのか、なぜ戦争をしたのか、その理由が本を読んでも記録をみても私にはよくわかりません。(中略)貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(十二歳から二十歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。
 この「寂しさの釣りだし」という危機は戦時中に限ったものではなく、今もなお日常に潜んでいる。たとえば、重い病の宣告を受けたとき、闘病の恐怖に耐えきれず医療を否定する共同体へ逃げ込み、そこで獲得した居場所に承認欲求を満たされ、生きたいにもかかわらず無治療を選択して自己を捨てる方向へ走ってしまうこともある。寂しさの釣りだしによって手に入れたものは唯一無二のものとして輝き、信じられないほどの誤りへと人をたやすく誘導する。
 だから茨木のり子は寂しさそのものを警戒し、衝動買いや旅、友人への電話にいたるまで、おのれの心を点検し、とくに出所進退をあきらかにしなければならない大事なときは、「寂しさの釣りだしにあってるんじゃないでしょうね?」と厳しく自問したのだと思う。それは世界が取り返しのつかない事態へ陥ることを個人のきわで食い止めようとする、詩人の自覚的なおこないであるように思える。
 それに倣えば、詩作に対する目も当然、光る。もしも私たちが、戦争をきっかけに、さあすごい詩を書いてやるぞ、などとわずかでも息巻くことがあるとしたら、その心に対しても、「寂しさの釣りだしにあってるんじゃないでしょうね?」と問うてみる必要があるだろう。平和への願いを込めたという自分の詩がじつは欲望の一篇にすぎない、ということはないか、たしかめてみるべきだろう。
 ひとは生まれて死ぬ。それだけで十分に寂しい。そもそも人間のおこないに寂しさの釣りだしではないものなどひとつもないのかもしれない。だからこそ、衝動的に文字を走らせる前に、いったん目を閉じて、深呼吸のひとつでもしたい。私は、あなたは、本当に大丈夫だろうか。まさか、と驚くような詩人が、かつて戦争賛美の詩を書いたことを忘れないでいたい。







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