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評者◆凪一木
その143 大場政夫に殴られた男
No.3544 ・ 2022年05月28日




■ボクシングファンの私にとって、ビル管理に入り、一つだけ得をしたことがある。
 日本のボクシング史上で、最も人気のあるボクサーは誰か。名高いとか、功績があるとか、名選手とかいった言葉は、野球やプロレス、その他のスポーツに比べて、怖ろしく似つかわしくないものであるのが、これはどうしようもなく大場政夫である。ボクシングに関しては、その他の名前を、“浪速のロッキー”赤井英和であろうが、日本ボクシング冬の時代のヒーロー高橋直人であろうが、人気選手は数多いるけれども、記憶に残るノックアウトもいくつもあるけれども、劇的な存在としても瞬間風速でも、それら全部の頂点に君臨するのが、大場政夫であり、これこそ異論のないところであろう。
 その大場と一緒に少年時代を過ごした男が同僚にいたのである。大場と一緒の学校で、同じ足立区で育った通称「ラッキョウ」だ。今は別会社のビル管だ。
 大場政夫は元木町、ラッキョウは関原で隣どうしだ。私はかつて西新井本町で「西新井最大」のビデオ屋をやっていた(住んでいたのは栗原)ので、そのあたりの町の状況や住んでいる人間、地域事情に詳しい。妻が足立区最大手の不動産本社勤務でもあった。有名な芸能人の実家も知っているのは当たり前で、どんな芸能人も元は無名の一般人として、普通にビデオ屋の会員である。問題が多い地域なので、西新井警察署の刑事も店にやってくる。
 ラッキョウは大場政夫(三男)の五つ下の伊三郎(四男)と同級生で、伊三郎は、少し能力の劣る子でオカマのような振る舞いもあって、いじめられていた。その逆襲にいつも兄の政夫が登場する。その戦い方は、たとえば五人を相手にするとき、まずは狭い路地を走って逃げる。大場を追いかける五人だが、足の速い大場に追い付くのはせいぜい一人で。その着いてきた一人をコテンパンにやっつけて、下水路などに顔を沈める。後ろから来た四人が追い付く。また逃げる。四人のうち、足の速い一人だけ大場に近づくことが出来る。これがまたターゲットとなり、コテンパンにやられる。残りの三人もまた、一人、また一人とやられる。これが大場のいつもの手だ。
 以上はラッキョウから聞いた話で、どこまで本当かは分からない。大場に関するノンフィクションを多分、私は全部読んでいるが、この話は出てこない。ただ、ラッキョウは、多少、ウソもつくのではないかと思われる話が、他の部分で、いくつか(確かめようもない話なのだが)あることはある。ラッキョウもまた、大場同様に、少年時代の暮らしはひどい。
 殺されるかというような、下手をすると、洞窟おじさん(加村一馬)になったかもしれないような指の二本ない父親による躾というか暴力のなかで育った。方便としてのウソもつく。
 ラッキョウが、或る暴力団系の付き合いのなかで、雑誌記者が、消されたという話がある。私はかなり調べたが、まったく掴めなかった。ラッキョウは印刷会社の社長で五人ほど使っていた。夏になると、「ラッキョウさん、あなたもボーナス欲しくないかい」と言って、取引先である大手自動車会社の幹部社員が、空の書類一枚で三〇〇万円を二人で等分した。同じように、大手の住宅会社の幹部社員とやはり、三〇〇万とか、二五〇万とかを、完全に違法であるが、懐に入れていたという話もどうにもウソ臭い。だが、大場に関しての話は、かなりリアルで、いくつかのノンフィクションとは一致する話が多い。
 ラッキョウは、本を読むような男ではないから、それらの本と突き合わせて、自らの話を補強したりするようなことはしない。
 石塚紀久雄『大場政夫の生涯』(東京書籍)のち織田淳太郎『狂気の右ストレート』(中公文庫)が、最も信頼できる本と思われるが、そこには、大場についてこう記述されている。
 〈長屋には全部で四世帯が入居していた。大場家は向かって右から三番目だったが、玄関を入ってすぐのところに六畳と三畳の二間が横に並び、その奥に二畳ほどの小さな台所があるだけだった。〉
 多分、信頼できるのだが、もしかしたらあとから取材したもので、のちにはそうであったのかもしれないのだ。ラッキョウの話では、家は確かに六畳の一間限りで、そこに家族七人が住んでいて、政夫も伊三郎も押し入れに寝ていた、という。大抵の本に大場政夫は、かなりの好人物に書かれているが、ヤンチャの度合いは、多くの不良そのものであったようだ。
 医者の家の子で、古川というラッキョウの同級生がいて、遠足などでは、ラッキョウはイモ、伊三郎は何も持ってこられないのに、一人だけ古川は弁当のほかにフルーツ、それも見たことのないヤシの実などを持ってきていた。ラッキョウは、古川の家に押し寄せては、当時としては高価なバナナなどを漁って、政夫らと共に、むしゃむしゃと食べていた。
 阿部牧郎は、『小説大場政夫』(双葉社)というノンフィクション小説を、織田のノンフィクションよりも先に書いている。かなりひどい小説だ。いきなりの出だしに、こういう件りがある。
 〈世界フライ級の王座にいどむ大場政夫とはどんな男か。西城正三、小林弘、沼田義明らがつぎつぎにチャンピオンの座を追われ、枯れかかった花壇のように魅力の失せた日本のリングに、どんな無鉄砲な若者が新しい花を咲かせようとしているのか。〉
 これは、七〇年一〇月二二日、日大講堂での、対チャルバンチャイ戦で、大場が初めて世界を奪取する試合についての記述である。西城正三、小林弘、沼田義明の三人はこのとき、いずれもなお現役チャンピオンであり、「チャンピオンの座を追われ」てもいなければ、日本のリングが「枯れかかった花壇」ともなっていなかったわけで、ボクシングに無知な読者にとっては単なる出鱈目記事かもしれないが、これが発売された七六年の四月一〇日発行で、まだ大場が世界を取った時期の、日本ボクシングの異常な盛り上がりの状況を知っている人間にとっては白ける。だが、以下の記述がある。
 〈一家は足立区のアパートに移り、六畳一間で七人が寝起きする生活になった。(中略)政夫の家は家族八人がアパートの六畳一間に暮らしていた状態なので、とくにたのんで寮生活を許されたのである。〉
 この部分は、むしろこちらの方が本当ではなかろうか。
 実は、久々にラッキョウと酒を飲む。相変わらずさすらいのビル管流れ者人生を渡り歩いている。離婚して若い女と付き合っている。まだ見ぬ、そしてまた新たな大場政夫に会う気分である。
(建築物管理)







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