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評者◆石黒健治
ルビコンを渡る豊里友行⑤――沖縄写真特急便『北谷のハロウィン』『とよチャンネル』
豊里友行の沖縄写真特急便『とよチャンネル』
沖縄書房
豊里友行の沖縄写真特急便『北谷のハロウィン』
沖縄書房
No.3540 ・ 2022年04月23日




■日本のハロウィンは、一年に一夜だけ若者たちに許された非日常の祝祭日だ。内地でも沖縄でも数ある祭礼、祭祀,地域共同体の風習などとは全く異質の、ルーツ関係なしの、無責任な、安直な、日米誰でも楽しめるエンタテインメント・ツールと言っていい。が、騒々しい化粧と安っぽい仮装の下から、鋭い風刺や深いうむいの気配が立ち上がってくるのを見逃すことは出来ない。
 沖縄写真特急便第3弾『北谷のハロウィン』の発行は21年10月である。つまり、20年までの毎年撮影したハロウィンを編集した本だ。
 やかましい雑音に混じって豊里の声がきこえてくる。
 「傍目から見たら馬鹿らしいだろうが、このコツコツと石を投じる撮影が、私のこれまでだ。
 光と熱。希望とか。情熱とか、ね。
 あとはカメラに愛を込めて、そっとシャッター・ボタンを押す。
 かっこつけたら、あるがままを撮る、か。なんくるないさ、ともいうかな。
 それは、写真家として沖縄から離れられない不甲斐なさと俳人なりの祈りだ。
 生きろ!生きろ!生きろ!この僕らの心音のビートが、叫び続けている。」
 ふと、昂揚の饒舌から急に静かに、
 「現代社会の戦場で被弾してしまった私は、手負いの獣みたいに逃れるようにドキュメンタリーを避けてきた。」
 聞き逃してしまいそうな、控えめなつぶやきが聞こえてきたのだ。

 2021年も押し詰まった12月25日、豊里友行沖縄写真特急便の最終便『とよチャンネル』が刊行された。
 豊里は年初に4冊の写真特急便を企画して、その自分への約束を果たしたのだ。その間、『沖縄戦の戦争遺品』と句集『ういるす籠もり』を挟んでいる。偉業だと思う。
 『とよチャンネル』の表紙は、散らかった自分の仕事場を見下ろすカメラに向かってなにやら叫んでいるような豊里友行自身の写真である。
 何を叫んでいるのか。
 眼を通して何よりも気づくのは、〈あばさけ〉のカットがないことだ。〈あばさけ〉は福井地方の方言で、ふざける、暴れる、の意味だというが、語感からは〈暴れ叫ぶ〉が近い気がする。
 『東京ベクトル』以来、〈あばさけ〉は豊里の写真集には必ず出てきた。クローズアップの仰角の顔面である。この顔に出会うたびに、豊里の〈あばさける〉気持ちをおそるおそる察しながらページを繰ったのだった。
 『とよチャンネル』は、表紙から一貫してカメラは引き気味で、全編、〈あばさけアップ〉どころかバストアップもない。
 写っているのは、何気ない沖縄の日常である。人々は無表情のまま淡々と日常をこなしている。時折だが、控えめな微笑みがカメラに向かってオーケーのサインを送っているように見える。
 表紙の豊里は叫んでいるようでも笑っているようでもあるが、目は怒っても笑ってもいない。両手がキーボードに伸びたままだ。何を打っていたのか、モニターは白くとんでしまっているが、リアルタイムでSNSで読むことが出来る。
 「誤解を覚悟して言うならば、報道写真家を私は、辞めた。私の写真は、基地反対の運動体の宣伝ではない。」
 そこまで打って、豊里友行は天井のカメラに向かい、一息、気合いを入れたのだろうか。あるいは慨嘆の呻りか。
 これで終わったわけではない。続けて打ち込まなければならないことが残っている。*  
 豊里友行は、静かに、おそらく座り直して、姿勢を正してキイを打ち始めた。それは自分への厳しいメッセージだった。
 「樋口健二氏や日本写真芸術専門学校には、大変お世話になったのですが、もう直接は御会いすると委縮して今の私の写真方向性がぐらつくのを私自身が良くないので2度と御会いすることはありません。
 ですが、樋口氏を師事していなければ、このようなガチガチの写真にはならなかったかもしれません。
 もっと自分らしく報道写真家やフォト・ジャーナリストに挫折したかった。
 とても2006年から2020年までの師事していた期間は、夜も寝れずに苦しかった。
 死ぬ気で撮れなくてすみません。
 私は、死んでもオジイ・オバアを苦しませて撮るというのがやりたくなかった。
 ですが、やり方が不器用なのでした。
 今、思えば、不肖の弟子でした。
 死んでもいいから夢の中まで写真を撮れなくて立ちすくんだのが懐かしい。
 今回の写真集は、そんな不肖の弟子の最後の恩師への感謝と恩送りです。
 私は、2度目の写真家人生をこつこつと生きなおそうとしています。」

 本欄で豊里友行の紹介を始めてから、もう半年になる。豊里の著作をたどっているうちに特急便に追いいつかれ、書きあぐねているうちに追い越された。
 ルビコンはとっくに遙か遠景となっていた。
 「では何を写真で伝えるか。」
 『とよチャンネル』は、ナチュラルな描写がふとシュルレアルな匂いを発していることに気づかされる。カメラに〈移された〉非演出の〈記録〉が、目に見えない何かを〈写した〉〈写真〉となること、を確かに目撃した。
 2021年、映画『MINAMATA』上映をきっかけに、記録・報道写真と被写体との関係が問題視されるようになった。
 事件や災害・戦争の記録と報道は必要であり、写真の重要な役割でもあるが、それを写真展や写真集として(作品として)発表することについて、「撮ったもん勝ちか」、「可哀そうのコレクションか」という基本的な疑問が浮上した。
 これに対して、撮る側は「被写体に寄り添って」と応えるが、しらじらしさが増すばかりだ。
 いま〈写真〉は、記録を基礎として、その上に何を建てるかが問われていると思う。
 豊里友行は幸いにも、現場へ直行のフィールドワークと記録の精神を樋口先生らから注入された。貧困とは何か、も骨にしみている。そこら辺の技術優先の、装飾的エリートカメラマンとは違うのである。
 豊里の地下資源は豊かで、その噴出は新しい〈写真〉や〈俳句〉へ旅立つための強力なエネルギーとなるだろう。仲間たちも学校時代の先生たちもひたすらエンジン全開を待っている。〈師〉は、超えてこそだ。

 2022年の年賀で、豊里はさりげなく次の企画に踏み出すことをSNSで告げた。
 写真集『沖縄にどう向き合うか』(新日本出版社)の刊行である。その編集作業も終わりの時期の書き込みは、
 「22年2月17日
 写真は楽しい。
 だけれども人生いろんな意味で犠牲にしていかないと写真を続けきれない。
 私は、写真よりも家族が大切なのだ。
 いろんな選択の中で俳句と写真だけは、削げません。
 沖縄だけしか撮れないのでキラキラした人生ではありませんが、一生懸命、人生の開花も全力です。」
 2022年は沖縄返還50年である。
 「日本本土復帰40年に私は、何を沖縄に提示できたか。非力さだけだ。」と書いた豊里。
 10年後の今年、「写真の刃を被写体にむけるように己にも突きつける覚悟を持って。
 2月19日
 私の写真の本分はドキュメンタリー写真なので今回の写真集は、どっぷりと沖縄でドキュメンタリーを悪戦苦闘した青春の書になりそうです。『沖縄にどう向き合うか』こーてぃきみそーれ」。
 この稿が掲載されるころには、新著が出て、豊里は不得手な行商に出歩いているはずだ。
(写真家)







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