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評者◆粥川準二
福島の原発事故後に起こったことは、より普遍的な意味を持つ――ウクライナの多くの人々が、避難生活を強いられ、生活環境を激変させられている。何が起こるのかは、想像に難くない
No.3539 ・ 2022年04月16日




■筆者は前回、ロシア軍がチョルノービル(チェルノブイリ)原子力発電所を占拠し、そのため短時間ではあったものの、周囲の放射線量が上昇したことなどを紹介した。その原稿を書いた直後の三月四日、ロシア軍が今度はウクライナ南東部にあるザポリージャ原発を占拠したことが伝えられた。IAEA(国際原子力機関)などによれば、火災が起きたものの、放射線量の増加などはないという(無署名「ウクライナ ザポリージャ原発“ロシア軍が掌握”【なぜ?】」、NHK、三月四日、など)。
 また、三月六日と同月一一日、ロシア軍がウクライナ北東部の都市ハリコフにある「国立ハリコフ物理技術研究所」を攻撃したことが、日本では翌日の各メディアで報じられた。この研究所では、旧ソ連時代に運び込まれた核物質が保管されているという。
 これらロシアの暴挙に対して、専門家はもちろん、国際社会が批判の声を上げた。たとえば三月二一日、福島医科大学の坪倉正治教授らの研究グループは医学誌『ランセット』で、「戦争中に原発を攻撃するのは無差別テロである」と題する論説を発表した。坪倉教授は二〇一一年の原発事故に際して、最も積極的に福島県での診療・研究・情報発信に取り組んできた医師の一人である。坪倉らは「私たちは二〇一一年に福島の原発事故を経験し、その後の健康調査を行ったチームのメンバーとして、ロシアに戦争を停止し、問題を平和的に解決することを強く求める。原子力発電所への攻撃は、住民の放射線汚染などの健康被害をもたらし、差別やスティグマの原因となるリスクがある」と主張する(The Lancet, March 22, 2022)。
 坪倉らはこの論説で、自分たちが行った福島県での調査結果を引用している。文献注からそれらをたどって読むと、起こりうる問題は原発への攻撃の結果に限定されないことが示唆される。
 たとえば、「福島における高齢者の核災害後の避難と生存」という論文は、福島第一原発から二〇~四〇キロメートルに位置する高齢者介護施設七カ所に入所していた一二一五人の死亡率などを二〇一三年まで調査した結果をまとめている。それによると、最初の避難は死亡率を大きく高めたこと(避難しなかった場合に比べて三・三七倍)、一方、十分に計画された二回目以降の避難は死亡率に大きな影響を与えなかった(Preventive Medicine, January 2016)。
 また、「福島第一原子力発電所から半径五キロメートル内の病院からの緊急避難」という論文は、福島第一原発の近くのある病院に入院していた患者三三八人のうち一一・五パーセント(三九人。主に寝たきりの患者や重篤な障害を持つ患者)が、避難の完了前に死亡したことを詳述している(Disaster Medicine and Public Health Preparedness, October 14, 2021)。
 さらに「南相馬市での被曝と現在の健康問題」という論文は、福島県南相馬市における高齢者一人あたりの介護費用が震災後に一・三倍になったこと、二〇一五年においても糖尿病など慢性疾患の有病率が高いこと、乳がん患者が初めて乳房にしこりを見つけてから受診するまでの時間が震災後には長くなっていること、原発事故後に脳梗塞の患者が二倍以上に増加したこと、などを例示する。そのうえで、それらの背景には震災・原発事故後の避難生活の継続、生活環境や社会構造の変化などがありうることを指摘している。坪倉らは、今後の対策として、放射線防護だけではなく、「人的ネットワーク、社会インフラ、文化や歴史といった無形のものの保護」を重視する必要がある、と主張する(Annals of the ICPR, September 14, 2016)。
 なお坪倉らはこの『ランセット』の論説において、チェルノブイリ原発事故後の甲状腺がんの増加について言及しているものの、福島のそれには言及していない。それを裏づけるエビデンス(証拠)が希薄だからであろう。
 こうした知見を読むと、人間というものは、とりわけ高齢者や難病患者、障害者など「脆弱な」人々は、住む場所を強制的に変えられ、その結果、生活環境の激変に曝されただけで、体調を崩し、最悪の場合には死に至る可能性が高くなることがわかる。坪倉らは、原発への攻撃をやめよ、と主張しているのだが、彼らが福島の原発事故後に起こったこととして報告したことは、もっと普遍的な意味を持つように思われる。
 戦争が始まって一か月ですでに、六五〇万人以上のウクライナ国民が同国内に避難し、三七〇万人が国外に避難している。国連UNCHR(難民高等弁務官事務所)協会によれば、その数はウクライナの人口の約四分の一に相当し、増えつつあるという(「戦争が始まり1か月、ウクライナの人口の約4分の1が避難」、国連UNCHR協会、三月三〇日)。
 つまりそれだけ多くの人々が、避難生活を強いられ、生活環境を激変させられ、通常の人的ネットワークや社会インフラから引き離されている。何が起こるのかは、想像に難くない。かといって、原発事故や戦争が起きたとき、避難すべきではない、などとはもちろんいえない。実際、福島での研究は、十分な計画の下での避難であれば、死亡率を抑えられることも示している。福島の知見は、原発事故を超えて、普遍的に活用できるはずだ。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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