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評者◆睡蓮みどり
映画界における性暴力被害の当事者のひとりとして
No.3537 ・ 2022年04月02日




■この連載を続けてきて随分長い時間が経った。本来ならここは、おすすめ作品を中心に映画にまつわることを書く大切な場所だ。この場所を誇りに思っていることをまず記しておきたい。これから書くことは、できれば書かずにおきたかった話だ。不快に思う人もいるだろう。性暴力について言及するので、フラッシュバックの可能性がある場合はどうか無理に読まないでいただきたい。
 映画監督・俳優の榊英雄氏の性暴力について告発する記事が週刊文春に出た。ネットなどでも度々、氏の写真を目にすることがあり本当に辛かった。名前だけでも同様なので、以下はSとする。
 週刊誌への複数名の女優による告発記事の他、アクティビストの石川優実さんがこの件について触れたブログも読んだ。私は石川さんと、Sが監督した同じ作品に出演している。当時この現場でSから関係を迫られたという役者を彼女以外に少なくとも3人は知っている。具体的な関係性についてはわからない。憶測で言っても仕方ないが、私も含めた女優全員に声をかけていたのではないかという気さえする。
 もともと、知り合いの監督にSを居酒屋で紹介された。そこには役者の他、映画関係者が10名ほどいたと思う。Sは次の映画に出演する女優を探していると言った。「オーディションあったら呼んでくださいね」くらいの会話しかしていない。その後すぐにラインが来るようになり、Sの事務所がある赤坂のマンションに呼ばれた。ドアを開けると、S以外は他に誰もいなかった。ヌードもある役ということで、誰もいないマンションで服を脱ぐように言われたのを覚えている。慣れた手つきで当然のように、Sはズボンを下ろした。
 私は何年もこの記憶を封印してきた。なかったことにしたかったからだ。当時はそんなに傷ついていないような気もした。怒りの感情もすぐにはわかなかった。映画の撮影が終わった帰り道、現場で知り合った役者と上野の焼き鳥屋に入った。すごく仲が良かったわけでもない。ただ待ち時間にぽつぽつと話した程度だった。少しお酒が入ったせいか、彼女は突然言った。「あいつ、タンポン入っているのに気づかなくて、それでも入れてきて……奥に入ってとれなくなっちゃったらどうしようって怖かったんだ」。それまでと口調は変わらなかったが、怒りが滲み涙が浮かんでいた。そのあとに「あなたは大丈夫だった?」と彼女は続けた。あいつが誰をさしているのかはもちろんすぐにわかった。彼女は勇気を出して言ってくれたのに、私は自分のことは彼女に黙っていた。そのことをすごく後悔している。
 それからも報道に出されたものとほぼ同じ文面のラインが届いたが、濁すような言葉で返事するかスタンプだけ返したか、とにかくまともなやり取りはしなかった。そのうち連絡の頻度も下がった。ギャラの話をすると、本人ではなく、別のスタッフから「低予算なので今回はノーギャラでお願いします」と連絡が来た。
 この件から7年ほど経った。何度か関係者にほのめかしたことはあるが、愚痴の程度にしか思われなかったと思う。私も「性暴力」ではなく「セクハラ」という言葉しか使わなかった。どこで、誰に、何と言えばよかったのだろう?
 何年か前、Sのことが別の週刊誌にも出た。実名は出ていなかった。それは「映画界の闇」というスキャンダルのネタとして消費されているような気がした。こんな風になってしまうなら、このことを誰かに話すのは嫌だと思った。とても悔しく、恥ずかしかった。私が有名だったらこんなことをされずに済んだのかもしれない、嫌だとはっきり言えば嫌な目にあわずに済んだのかもしれない、どうしてうまいことできないのか、どうしてあのとき映画に出演してしまったのか。色々な気持ちが藻のように絡まって身体の中に留まっていた。とにかく自分を責めるばかりだった。
 それまでもSだけではなく、複数人の監督やプロデューサー、芸能事務所の社長など、あまりに多くの人たちからセクシャルハラスメントを受けた。私の感覚は麻痺していたのかもしれない。どこかで、この業界にはよくあることだと諦めてしまっていたのかもしれない。そして、この手の問題を引き起こす原因は自分にあるのではと本気で思いこんでいた。そこに絶対的な力関係があることは、当時見えなかった。
 だんだんと、女優業をがんばるのをやめようと思った。身も心もすり減らしながら続ける必要はないと思った。実際に気づかぬうちに精神的に参っていて病院に通うようにもなった。あまりに多くのことがありすぎて、何が直接の原因かもわからなかった。ただただいつも疲れているか、お酒を飲んでハイになるかどちらかだった。本当に大切な人たちがこのことを知ったとき、とても苦しそうな顔をしているのを見て、泣いているのを見て、私はようやく自分が辛い経験をしてきたのだと知った。そして大切な人を深く傷つけるのだということも。
 いまもこれを書きながらとても消耗している。忘れたい。記憶からすっぽり抜け落ちてくれるならば、とまだ思っている。自分の感情に現在も折り合いがついているわけではない。ただ、今回このことを書かなかったら私はきっと永遠にこのことを書かないままだっただろう。被害者が必ずしも語らなければならないということはない。しかしいま、勇気を出して最初に声をあげてくれた方たちに心から感謝している。
 #MeTooと出会ったときに、「声をあげていいんだ」と知り嬉しかった。声をあげれば何かが変わる可能性があることに喜びと勇気をもらったにもかかわらず、これまで長い間声をあげることができなかった。時間とタイミングが必要だった。
 映画の存在は本当に大切だ。この映画界に尊敬する人たちもたくさんいる。それでも、業界が今回のようなことを「よくあること」で済ませてしまうのならば、一度壊れてしまえばいいとも思う。自身の居場所がなくなったとしても、それでもやはりいい方向へと変えていきたい。加害者に対しては、許せる日は永遠にこないだろう。
(女優・文筆家)







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