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評者◆睡蓮みどり
パワー・トゥ・ザ・ピープル――シルヴィー・オハヨン監督『オートクチュール』、トム・ドナヒュー監督『キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性』
No.3535 ・ 2022年03月19日




■私に自分自身の子供はいないけれど、これからの時代を生きていく子どもに何を一番伝えたいだろうかということをよく考える。差別はいけないことだよ、とか、人をバカにしてはいけないよ、とか、暴力をふるってはいけないよ、とか、これはしてほしくないということはすぐにいくつか思い浮かぶ。いけないよ、というのなら、なぜいけないのかも、もちろん説明しなければならない。もし、小さな人たちがまだ、傷つけられたり、理不尽なことにぶち当たったりしていないなら、それは本当に良かったと心から思う。もし、いまこの瞬間も辛い目にあって泣いているのなら、その不安から切り離して抱きしめたい。もし、かつて子どもだった私たちの誰しもが、できる限り幸せになれるのなら、みんな何かしら幸せであってほしい。誰もが理解できるかたちである必要はないから、生きていくうえで大切な人たちやものたちと出会って、毎日怯えたり泣いたりしないでいい日々を送っていてほしい。無力なことは日々痛感している。国のトップと呼ばれる人たちの顔をまじまじと見ながらよく思う。この人はどこでこうなってしまっ
たのだろうか。子ども時代からこんなだったのだろうか。彼らは大抵子どものようだが、決して子どもではない。幼稚であることと子どもであることは別物だ。ただ知性というものと友達になれないまま、体だけ大きくなってしまったのだ。自分一人だけ多くを所有することは幸せなのか、他人の上に立って命令できることは幸せなのか。多くの人たちは答えを知っているのに、答えを知らない人たちに振り回されて、時に殺される。



 今回は、若手に生きる術を伝えようと奮闘したふたりの女性がでてくる映画を紹介したい。『オートクチュール』は,パリのディオールでトップのお針子として働くナタリー・バイ演じるエステルが、ひょんなことから若いジャド(リナ・クードリ)と出会うところから始まる。ジャドは移民で、団地に住んでいる。パリと聞くといまだにおしゃれな街のイメージがあるかもしれないが、移民の多いエリアも多々存在する。そして移民に対する差別は根強く残っている。
 ジャドはこれまで、これといった職もなく、その日暮らしのような生活をしていた。母親の鬱も酷く、とてもいい環境とは言えない。一方のエステルは、職場で信頼されているが、間もなく引退が決まっている。仕事が忙しかったせいで、実の娘とも疎遠になってしまっている。エステルはジャドの繊細な指先や手つきを見て、お針子になることを提案する。娘は母を求め、母は娘の影を重ねる、にとどまらないところがこの映画の最も魅力的なところだ。「手に職をつけること」、これに勝るものはない。技術は裏切らない、どころか身につけた力はきっとジャド自身を救ってくれるだろう。ある日突然、見出されて一流ブランドに職を得るというのはシンデレラストーリーとも言えるわけだが、うまくいくかどうかは彼女にかかっている。例えうまくいかなくてもいい。ジャドがそれまでの人生とは違う道があるのだと知ったことに意味があるのだ。エステルはシンデレラをつくりたいのではなく、自立して歩いていける強さと技術を授けた。優しくも芯の強いかっこいい作品である。自分のポジションにしがみつこうと喚くのではなく、なんとかっこいい去り際か。ナタリー・バイに惚れ惚れする。



 もうひとつは、ハリウッドで60年代から90年代にかけて「キャスティング・ディレクター」として俳優たちを見出し、映画のキャスティングをしてきた女性マリオン・ドハティの物語だ。このドキュメンタリーには、ハリウッドスターや有名監督たちが回転寿司のごとく、次々に目の前に現れる。もうお腹いっぱいだ、食べられない、と思ってもまだまだ出てくる。めまぐるしいと言えばめまぐるしい。それはなぜか。それだけ、多くの人が、マリオン・ドハティから影響を受けたということだろう。イーストウッド、ロバート・レッドフォード、グレン・クローズ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、マーティン・スコセッシ、ジョン・トラボルタ、ウディ・アレン……and more.映画で言えば、『俺たちに明日はない』『ダーティハリー』『華麗なるギャツビー』『バットマン』『アンナ・カレーニナ』など、見ていなくともタイトルは聞いたことはあるような作品がぞろりと並ぶ。実際、劇中で俳優や監督たちが語る言葉はマリオンへのラブレターのように熱烈なのだ。
 誰かが私を発見してくれる。それはものすごく奇跡的なことである。役者にとっての話だけではないかもしれない。誰かが見つけてくれて、初めて居場所ができる。最上級の喜びだ。しかし、映画にクレジットされないことをはじめ、なかなか彼女に光が当たることはなかった。当人が望んでいないにしても、正当に評価はされるべきである。その不当な扱いへの怒りさえ感じさせるのが、この映画に漂うエネルギーなのだろう。キャスティング次第で映画は全くの別物になる。また、同じタイプの役ばかりでない役を提案することや、無名な俳優をキャスティングに推すリスクを背負って、マリオン・ドハティはチャレンジし続けた。キャスティングという仕事がプロフェッショナルな仕事なのだということを思い知らされる貴重な作品だ。マリオン・ドハティの功績として、自身の仕事を自分より若い女性たちに教えていったことも忘れてはならない。次の世代が受け継いでいく。その仕事の仕方を、闘い方を、女性が仕事をして生きていくということを。
 もし私が次の世代に伝えられることがあるとしたらそれは何か。まだ何も成し遂げておらず、いまのところ特別なことは残念ながら思い浮かばない。何もないのに伝えたいというのはエゴだとも感じる。しかしそれでも、願ってやまないのだ。生きる力が、いまこの世界に生きている人々から失われないで済むように。そして、まだ生まれていない人たちが、爆音ではなく、祝福の優しい声を浴びて生まれてくるように。
(女優・文筆家)







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