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評者◆凪一木
その132 マタギの本領。「あんた。誰?」
No.3533 ・ 2022年03月05日
■前回に続いて、マタギの本領発揮、大失態について記す。
一〇月七日の地震で各ビルが、影響を受けた。何時間経っても連絡が来ないので、四階に大臣室や大臣応接室のあるそのビルの某省会計課管理室のトップKB室長が、電気室に電話を掛けてきたのだ。電話に出たマタギは、どう答えたのか。 その前に、この現場にきて、三ケ月経った頃にも、トラブっていた。T工業の派遣先であるその省庁の元請けは、Nファシリティーズだ。したがって所長の上の室長は、Nファシの社員である。だが部屋は別だ。電話が来る。OM室長からだ。マタギも二、三回は顔を見ているはずだが、名前を憶えていない。「OMだ」。そこでマタギは、いつも通りの、ズーズー弁で、こう答えた。「あんた、誰さ?」。 それからさらに三カ月過ぎての地震であった。夜の現場責任者でありながら、勤務している二二人のうち、マタギ以外の二一人の皆が知っている名前のKBという、クライアントの苗字さえ知らなかったのだ。 知らなかったのではない。いつもの調子で覚えていなかった。たとえ、名を知らなくとも、未知の相手には、失礼である。まして国の官庁の要人である可能性のある現場で、しかも地震の後の約一時間後の二三時頃にかかってくる電話といったら、予想が付くであろう。言葉遣いに気を付けることは、当たり前すぎて、論を俟たない。 そりゃあ、まあ、プライドの高いお役人が、深夜に、田舎弁丸出しの、無学そうな地下の住人(ビル管理)から、つっけんどんな態度をされると、たいていは怒るだろう。 「オメエ、田中角栄を知ってるか」 これが菊一の得意技だ。「一級建築士の第一号が誰か知ってっか?」「田中角栄ですか?」「そんだけど、おめえ、良く知ってるな、学あるな」。 そして、田中角栄のありきたりな立身出世話を延々とする。調べてみると、試験を受けた合格者の中にどうやら角栄はいないようだ。建設大臣(当時)の選考を受け、一定条件を満たし、知識及び技能を有すると認められた者にも与えられる。つまり、無試験で資格を得られる「抜け道」「奥の手」が存在した。田中は建築士法を議員立法した一人であり、自らを認定するためにこの規定を盛り込んだという。 第一号は、渋江菊蔵という方であり、田中は第一六九八九号ということだ。 さて、菊一だ。私のいる民間企業現場でさえ、一〇分ルールといって、震度三をビルのセンサーが感知した場合は、時間帯により電話かメールを、ビルマネの課長と次長、そして八時半のパワハラ所長の三人に、一〇分以内に連絡し、その後に巡回等のあと、報告書を提出する。これについては、同じ現場にいたマタギもわかっていたはずだ。しかし当時、私と組んでいたときも、入社間もない私よりも 何もできず、責任者なのに右往左往していたから、だいたい状況は想像できる。 話を聞いた皆も、誰も驚かない。いつか、そういうとんでもないことをやらかすだろうと、皆が皆、予想していたからだ。 同じビルのとき、菊一と共に私は現場へ向かった。向かう途中、菊一は偉そうに、私に対し言い含める。 「俺たち現場の人間はよ、パリッとした背広を着て、口で商売している営業マンなんかと違って、こったら格好してっだろう。だから馬鹿にされねえように、堂々としてなきゃあいけねえんだぞ」 さあ、着いた。堂々と話すのだと思った。そうしたら、いきなり電話機に向かわず、受話器を取りだす。目の前にその当事者であろうと思われる事務員がいる。しかし直接話しかけない。受話器を取って、目の前の相手から見えないように、机の下に隠れて電話をする。そこで私の方を見て、チラッと眼で合図する。「お前も隠れろ」みたいな合図だ。隠れる理由もないので、そのまま立って見ている。 「おめえ、なに堂々としてんだ」(堂々としろと言っていただろう) それでいて、「警備や清掃も見てみ。大した仕事じゃないべ」とバカにした態度をあからさまに取る。マタギが自ら、八月の真夏の暑いさ中、一五時半ころに、室内の作業中、空調機を壊した。同じ部屋に警備さんが二人いた。あまりにも高温となって、汗を拭きだしながら我慢しつつも、一人が「設備さん、どうなってるの」と、私に修理を急き立てた。 壊した当人のマタギは、何の説明もしない。私は警備さんに扇風機を用意して回した。そうしたら、例の変な顔をしたときのマタギに別室に呼ばれた。 「おんめえ、扇風機なんて回すことねえ。奴らロクすっぽ仕事もしねえで、ぶらぶらしてるだけだっぺ」 菊一は、秋田の能代工業出身で、私よりも一つ年下である。能代工業は、バスケットボールで有名な高校だ。能代高の方には、山田久志というプロ野球の阪急で活躍した偉大なサブマリン投手がいる。菊一はテニスだったらしい。自分ではそう語っているようだ。同僚から聞いた。このビルメンテナンスという世界は、過去については「問わない、語らない、訊かない」の三無主義が原則であるから、当人がそう語ったとしても、本当かどうか、それ以上を突っ込んで訊くことはしないし、そもそもが最もコミュニケーションを取ることができない男であるゆえ、それ以上の会話自体が無理である。 能代工業出身の有名人と言えば、フォークシンガーの友川カズキがいる。一九五〇年二月生まれだから、菊一よりも一四学年上級である。もちろん知る由も無いし、時代も一回り以上違うのだが、その不器用さ、融通の利かなさ、武骨さはかなり似通っている。 菊一は、兄の勤める工務店が神奈川だったので、能代工業を卒業後に関東入りした。秋田弁を変えることができない。いや意地で変えないのかもしれない。しかし意地を通すほどに器用な男ではない。感じの悪い男ではあったが、或る時、酒を飲むと、一気に陽気になった。そして語り始めた。私より一つ下だったが、生きてきた地域は違っても、世代的には似ているはずだ。桜田淳子の話だ。 「ワッツィも、ヤン口百恵の方が好きだったケンど、桜田じゅんこさ。あの子は、化粧を取ると綺麗な顔してんだわ。もっと素直な顔で、地元で見たことあるんだわ。ほんとに、“秋田の気性の良い子”の顔をしているんだわ。芸能界なんか行かねえほうが良かったんだわ」 面倒くさい奴なので、それ以上の話を聞かなかったけれど、桜田淳子の或る種の知られざる魅力をこの秋田の男が知っているような気はしたのだ。その菊一が、いよいよ例によって、やらかしたのだ。今度は民間ではなく、「官」の管理室長だった。 「あんた、誰?」 (建築物管理) |
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