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評者◆凪一木
その129 国労の男、失恋す。
No.3530 ・ 2022年02月12日




■この現場を異動するとなると、今まで嫌だなと思っていたことも、ここにいる人間たちも愛おしくなる。
 そして、あの折り紙付きの詰まらないマシンガントークも、愛おしくなる。
 というのは、とても無理であるが、その日、最後の一滴なのか、渾身の一撃なのか、それとも私の異動に対する餞別なのであろうか、彼の失恋話を聞かされる羽目になる。
 以前に「警備界の石原裕次郎」と紹介した、体重一〇〇キロながら足の長い元国鉄マンの話である。
 言われてみると、思い当たる節があったという。
 あれは、サインだったのか。宇都宮のお嬢様だった。フェリス女学院大学を出て、裕次郎と同じ専門学校にやってきた。父が司法書士で事務所を構えている。
 元国鉄マンはエースコックの豚に似ている。父が国鉄マンで、自らも同じ道をたどる、という点ではフェリス出身のお嬢様に似ている。電力部の強電部門に入り、警備の現在同様に、夜間作業もやっていた。
 線路の繋ぎ目であるポイント切り替え作業は、終電後に始まり、当然、始発電車の朝まで深夜作業となる。終電と同時に一気に道具などを運び込み行う。枕木の下に石を埋め込む作業のテクニック、左右のレールの高さを計算し斜めにずらす手法、ボルト締めと同じ正確さで犬釘という特殊な釘を枕木に打つ技。打つ瞬間に腰を入れるのがコツのハンマー打ちは、素人には無理で、習得に一年間は掛かる。山の中の作業もあり、コールタール付の枕木を運び込み、昼間からビールを飲みながら作業もOKの時代だった。
 そんな男くさい世界から、国鉄民営化に伴い、人生の路線変更を目論んだ九州男児エースコックと、箱入り娘の関東のフェリスが、バブル真っ盛りの時代に、東京法律専門学校で出会うことになる。モラトリアムとも言える、三〇歳の男盛りと二二歳の美女。姉がいて、宇都宮の美人姉妹として有名だったという。しかも才女。釣り合うのだろうか。その疑念が、後から考えると問題だったのかもしれない。
 今の芸能人で言うと、「ローラ」に似ているという。周りからは宝塚と言われていた。男装の麗人というイメージもあった。こういった表現は、その人の好みや時代や地域で随分と違う。
 昔、とあるテレビ番組で、日本の女優の写真を見せて誰がいいかを判断させたら、アフリカのその地域では清川虹子に人気があって、(文明国の都市部で圧倒的人気のあった)浅丘ルリ子はさっぱりだった、という。映画評論家佐藤忠男が「原節子の顔が、意外にも海外では美人と見られていない」と記された本『映画評論』(晶文社)に、そうある。ただ、ローラは、今のエースコックにとって最強であり、かつてのローラは、かつてのエースコックにとって最強だった。
 ステージに上がってしまったらこっちのものだ。誰の制約も不自由も指図も口出しも受けない。キャンディーズが、解散を口走ったのは、ファンの見守る前、日比谷野音のステージ上だった。石原裕次郎も北原三枝との逃避行に踏み切ったのも、「大人ではない」ガキの論理だ。
 「今回はいったん見送って、次の機会にしよう」「今は時期尚早だ。必ずまたの機会が訪れる」。だが、今度と化け物には出合ったことがない。
 本物の裕次郎同様に、国労の裕次郎もローラを掻っ攫ってしまえば良かったのだ。エースコックが悶々としている時期にはもう、私は、二〇歳の娘と駆け落ちしていた。三五年が過ぎ、夜勤で三〇時間以上家を空ける私と今も一緒に暮らしている。
 私より三歳年上のエースコックよ。あの時期、寅さん(女性に晩生な『男はつらいよ』の主人公)でいられたのか。ピンク・レディーの『SOS』がヒットしたのは私が中二だから、エースコックは高二だ。
 ♪男は狼なのよ。気を付けなさい。
 性欲。ヤリタイ魂は、生来の根源的悪、つまりなだめすかすなり、コントロールするなりしなければ、暴発する悪魔と捉えるべきか。もしくは生まれもって有るものではなく、成長の途中から培われた後天的な暴走領域なのか。幸か不幸か、私には発動され、エースコックは寅さんとなった。しかし、こうして、待つ者もなく国鉄以来の夜勤をやっている裕次郎と、三日に一回家を空け、待たせている(待ってもいないか)私とが、まるで修学旅行の一夜のように語り合う(実際は一方的に浴びるだけの私だが)二人。
 ああ、こんな日もこれが最後か。
 宇都宮のローラとは住む世界が違うと思い込んでいた。学校を卒業する最後の日に、告白された。とは本人談だ。「一緒に飲みに行こうよ」。
 突然誘われ照れたエースコックは、もう一人の同窓生を連れていった。だが、それこそが愛の告白だった。最後の最後にそれを言われたのだ。もっと早く言ってくれよ、準備不足だよ。雰囲気も何もあったもんじゃない。
 三人で向かったその日の飲み会は最悪だった。二人きりになりたかったローラの気持ちを汲めなかったエースコックの無様な寅さんぶり。
 卒業前のクリスマスに実は、ローラから誘われていたエースコック。
 「旅行に行こうよ。スキーしたことないし」。このときも自分一人を誘ったのではないと思い、草津の温泉ホテルに結局、男四人、女三人の車二台で向かった。三人の女性のうち、一人は既婚、一人はローラで、もう一人も美人だった。実はそれまでも、同窓での飲み会に「エースコックが行くなら行く」と言って参加していたローラ。なぜそのサインに気付くことができなかったのか。逃した鯛は大きい。
 最終目標は皆、司法書士であり(その後に司法試験合格者も出たという)、エースコックは、最初の半年でいち早く宅建と行政書士に合格して、その人柄とマシンガントークも相俟って、クラスの中でも圧倒的な人気であった(これも本人談)。
 青学大出身のイケメンのボンボンもいて、もちろん宇都宮のローラを狙っていたが、彼女の本命は、意外にも今考えると、まぎれもなくエースコックであったのだ。
 エースコックが言い出しっぺのときは、飲み会にローラは必ずやってきた。
 「エースさんが行くなら行く」
 四月入学。司法書士試験が七月。八月に休んでまた一年半の学校生活。卒業は五月だった。ローラとの間に「壁を作っていた」と、ため息交じりで語るエースコック。
 卒業式の後の最後の飲み会。
 「あたし、もうすぐ結婚するんだ」
 自分に惚れているなんて思ってもいないエースコックは、無言で、驚くこともなく聞く。
 「おめでとう」
 彼女は泣き崩れたという。
 エースコックにもあった青春。
 「その人は今、どうしてるんですか」
 わからない、という。
(建築物管理)







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