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評者◆凪一木
その127 前略、坂本龍一さま。
No.3528 ・ 2022年01月29日
■どんなにカッコいい人間でもガッカリさせられる一面はあるし、どんなに最悪の人間であっても、思わず見直してしまうカッコいい一面があったりする。それは知れば知るほどに、その奥深さに圧倒されることの方が多い。人間というものはそういうものだ、と「分かったつもり」になるのを諦めてもいる。
坂本龍一に関して、年齢を取るごとに私は、そして坂本龍一自身についても、年齢を取るごとに、概ねカッコいい人間ではないかと思っている。お前(凪)ごときに言われたくないよ、という声もあるだろう。そして、「決して昔からカッコいいわけではないよ」と言っているようでもあるが、そうではない。 「僕も強く思っていることで、きっと清志郎も言いたかったこと。何で日本がこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのか。何が怖くてみんな言えないんだろう。見て見ぬふりをせず、間違っていることは間違っていると、みんな言いましょうよ」(忌野清志郎を偲ぶラジオ番組にゲスト出演したときの坂本龍一の発言) これは友人から聞いたもので、直接この放送を私は聴いていない。この話を、曲がりなりにも元カメラマンだったフェラーリに振ると、こう返してきた。 「そうですよ。なんでみんな言えないんだろう。言いたいことを言えば良いじゃないですか」 所長の前でズルいコウモリみたいにペコペコしているお前のことだろうよ。風見鶏みたいに、周囲を見ては、サイコパスから私に寄ってきて、今度はマーシーから、新しい責任者となる元電気屋の長老に乗り換えようとしている。 設備の三島は、「見ていて見苦しいですよ」と苦笑し「(ドラえもんの)スネ夫みたいですね」とも語る。だが、こういう奴こそ、世の中を上手くすり抜けていくのかもしれない。そして、ダメなものは駄目、間違っていることは間違っている、と言うことがどれだけ大変なことか。それを言うことはまた、怖いことは怖いのだ。 今、会社と闘争をしている私に、周りの者は冷淡だ。怖いからだと言う。怖いかどうかについて、考えてもしょうがない。 夫婦別姓問題について、NHKでドキュメントが放送されていた。カメラの前に立つ「別姓夫婦」になろうとするカップルの神野明里と高橋敬明。二人は、自分たち同士の中でも、完全なる意見の一致ではなく、揉めていた。もちろん頭の固い親を説得するのにも難儀している。 敬明の父「世の中は嫌なことばっかりだよ。みんな乗り越えているんだよ。そういうことを乗り越える(夫婦同姓に従う)から人間はだんだん強くなれるんだよ。そういう我を通すと、かえってマイナスだよ」 同じようにイギリスのドキュメント『My Gay Life』(二〇一七年)では、一二歳でゲイをカミングアウトする息子に対し、父は不機嫌となり結局は、家族から離れていく。 明里と敬明は、さらに、国会での法令審議で頑なに反対していた亀井静香元金融大臣に会いにいくと言う。この時、夫に対して最初に別姓を主張した妻の方は、こう語っている。 「怖いですよ」 その「怖い」亀井が頭ごなしに、恫喝をしてくる。「国家の恩恵を受けたいなら、ルールに妥協しないと」「勝手なことをやっている人間に国家の方が合わせていたら、どうするよ」「同姓が嫌なら、結婚しなきゃあいいじゃないか」「国家の恩恵を受けたいなら、ある程度妥協せにゃあ生きていけんだろう」(怒鳴って)「国家のために協力しないっていうのは得手勝手っていうんだよ。どうやって生きるんだよ」「あなた方のために、他の国民がおるんじゃないんだよ」「日本は天皇の国だよ。夫婦の姓が一緒だ、別だということもないんだ。みんな天皇の子だから一緒なんだよ」。 さて、これにどう対抗し、意見なり、主張、権利を通していくか。 要は、「敵」は、今ある体制なり風習が永遠に通用するものとして、それを維持するための暴力的行為も許されると考えている人間なのだ。秩序と言えば、誰もがひれ伏すと思っている人間なのだ。秩序と言っても、全体が満たされ潤う話ではない。一部の富裕階級や特権を持つ者だけが満たされ潤う秩序のことである。そこに、亀井静香はもちろん、そう話す人間は概ね含まれている。また含まれていなくとも、より下位の者に対して服従を強いることで、将来的に含まれることを期待し夢見ているフェラーリのようなコウモリもいる。 人間が何かをする/しないの差は、気持ち次第であり、そこに影響するのは、暗示であったり、思い込みであったり、ちょっとした操作や、タイミング、その日の気分であったりする。多くの場合は、何の怖さもないのだ。それを怖いと感じさえしなければ。 感じるか感じないか、ただそれだけのことだ。あっちでもこっちでも怖がる奴は怖がって人生を終える。要は見えない敵に怖がっているだけだ。評論で怖がり、生活を怖がり、学校で怖がり、会社に怖がり、親に怖がり、亀井に怖がる。怖がってしまえば、相手の思う壺に嵌まることになる。壺を避けたいなら、怖がらないことだ。 会社の同僚が、こう言ってくる。 「凪さん、長い物には巻かれよ、ですよ。ゾウにアリが踏みつぶされますよ」。アリなら虫ピンにでも刺されなければ、死なないだろうよ。 会社で、あいつは「真面目に働いている」「怠けている」という基準は、概ね事業主、或いは上司や株主に対して従順であるかどうかであることが多い。「休まない」「残業を嫌がらない」「理不尽な命令にも逆らわない」。 さらに得点がアップするのは、「恥ずかしいほどのおべんちゃら(おべっか)を言う」「別の人間の足を引っ張る」「偽やウソの功績を増し、ミスや失敗を強力減じる」。 本来なら、正々堂々と実力そのままを提示すればいい。だが、これがそのまま評価されるとも限らないのが現実である。評価する側に判定する力がないとか、或いは、別の事情(お金やコネなど)が絡んでいたりするからだ。 上司であるK取締役が、話し合いを指定してきた日は、私が休みの日である。そのKに対して、「もし私が土日を指定したら、話し合いをしますか」「それは無理ですよ」「あなたのやっていることは、私にとって土日と同じなんですよ」「(無言)」。こういう人物は、言わなければ分からないし、言っても分からない。 その話し合いの日は、いよいよ明日である。 カッコ悪い人間に、なるつもりはないのである。 (建築物管理) |
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