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評者◆凪一木
その122 猫に小判、ビル管にSNS
No.3523 ・ 2021年12月11日




■何を今さらで、年齢的なものもあるが、ビル管となって、同僚や高年齢者校時代の友達やユニオンの知り合いにも、SNSをやっている人間がほぼいない。いるのは若い人だけである。と言っても四〇歳代だ。他は全くいない。なので、SNSを通じて来るメール(メッセンジャー)は、ある意味では、ビル管以外の一つのツールである。
 だが、私をビル管と知らないゆえに、前回のビル管独特の世事に疎い手紙と違い、対照的に、世事には通じているが、的外れで顔が見えず、いずれにしても不愉快さにおいては変わらない。ファンなのか、一人の辛口な読者なのか、こんなメールである。
 〈真夜中にこんばんは。いいたいこといいます。凪さんってアニメみてます?あと、音楽も最近の聞いてます?凪さんが好きだったので僕はいわなかったですけど、映画は僕はわからないですけど、相当感覚古いと感じてました。ただ、まわりのセンスのいい人たちと戯れている感じ。仲間うちのサークルでなんとかプライドもってる感じ。そこまで行くのも大変でしょうけど、ダサいです。俺、凪さんの文章や考え方も共感できるけど、なんていうか、へんなプライドが強すぎてそれが僕は嫌だなと思っていました。多分こういうことだと思います。自分の才能やセンスに己惚れているんだと。〉
 オレ流に言うと、「凪さんってアニメみてます?あと、音楽も最近の聞いてます?」というのが、そもそもダサい。遅れていく恐怖、最先端病に縛られている。ビル管ゆえの感想でもあるが。
 ビル管の私をもちろん知らず、妄想上の作家に嫉妬しているのだろう。文壇、論壇、映画ジャーナリズムの末席を埋めているとでも思っているのだろう。夢想を壊して申し訳ないが、私には、業界人との付き合いは今現在、一人もない。ビル管作家とは名折れの、因果な稼業となってしまった。
 表現は少し甘いぐらいの方が良いと私は考えている。無防備だから敷居が低いからこそ開いている。誰にも何の批評さえ出来る余地のない完璧な表現は、遺書のようなもので、閉じている。一方的であり、相互交通的な変化の可能性がない。
 表現は持ち味が勝負のところがあって、スポーツのように速さ、高さの記録や対決とは違う。ナンバーワンよりオンリーワンであり、ある意味ではダサさ、ダメさの外れ度合い合戦である。
 誰一人として共有できない体験があっても、突き詰めれば固有で唯一無二であるのはそうであるが、そこで孤独を一人味わうだけなら、閉じてその気になるのなら、生きている意味がない。迷惑をかけ、頼るぐらいでないと、人生は面白くない。
 何が正しいのかの判断は自らするにしても、意見の合わない人を説得したり発展的な話し合いをするには、譲歩とは言わないまでも、歩み寄ることの出来る余裕、能力が必要ではないか。それがないと、意見の合う人間同士が仲間内でその「意見」を確かめあって生きて死んでいく。ただそれだけのことだ。世界は、歴史は、その繰り返しなのか。
 共通言語があるということは、説明不要の場所にいるとも言える。それは楽である。「ビル管です」といって、その職業なに? と訊かれ、いちいち説明しなきゃならないのはその分だけ苦痛で無駄だ。フリーの人間というのは、多数派から外れた人間というのは、いちいち説明を必要とされる。オタクであれ、サイコパスであれ、認証がはっきりすれば、それなりに市民権を得れば、説明をしないで済むという点で、楽である。
 自分が否定される内容であっても、なお「なるほどな」と思わせるには共通言語や共通感覚がなければ成立しない。そのフック、引っ掛かりは、特にSNSでは持っていない人間が多い。それがゆえに実りの無いやり取りが生まれ、続く。
 私のようなものでも、こういう目に遭うのだから、メディアに多く露出している有名人なら、さらなる誤解と被害に遭っていることだろう。
 メールに戻るが、指摘は多分当たっていない。
 〈仲間うち〉と書いてあるが、仲間など一人もいない。古いというのは、そうだろう。労働時間と労働のことを考えている時間に奪われて、要は労働とその心配事に縛られて、ほとんど好きな読書も旅行も贅沢一つ出来ないので、おそらく言葉も不足している。
 メール主は、多分『キネマ旬報』等の数少ない雑誌、ムック、webの依頼原稿を読んでの感想ではなく、SNS上の文章を読んでのものだ。だが、それは、私の余暇のようなもので、遊びは所詮、誉められる類いのものではない。
 つまり、そういった読者の目にも、余暇であれ、映る時代であり、それが作家の本質と勘違いされ、なおかつ、(メールできるほど)近いのだ。
 ただ一言言っておきたいのは、或いはメールで触発され、思い至ったのは、古い新しいで、人と比較する感覚は、今の私にはない。それが古さだというなら、受け取る(読む)人間にとって、凪一木は「古い」方が楽しめる。いや、受け手のことをそこまで考えて書いてはいないが、多少は読む人間を頭に描いて書いてはいる。逆に私が新しいと、面白くないのではないか。
 人はどこかに時間を取られると、それは、仕事や勉強だけでなく、自らの心身の問題に割く時間かもしれないし、恋愛や浪費や、或いは介護かもしれないが、その他の分野に関しては、疎かになっているわけで、或いは知らない世界であり、そのことを馬鹿にしたり、無価値としてもしょうがない。「古い」とは、最新の知識がないということを根拠に、馬鹿にした言葉と思われるが、今さらいうことでもないが、古さは、当時は新しく、新しさは、のちに古さとなって意味を持つのであり、そこでの優越を問題にすると、むしろ薄っぺらい知識偏重主義に陥って、他人の良さはおろか、「最新」に追われて、自らの人生をも見失っていく病に陥る。
 古いというのは、年寄りだ、と言うのと同義に聞こえるが、それは果たして否定語なのであろうか。ビル管の世界では、五〇歳代でひよっこ、六〇歳代でまだ中堅、七〇歳代で働き盛りだ。
 あと、私の文章の特徴だと思うが、ダイレクトなところがあり、読者と一線を画さずに、妙な親近感、近距離であるかのような誤解を与えている、という指摘がある。ま、そうかもしれぬ。これは文章のみならず日常生活の上でも言えていて、それがトラブルの素ともなっている。
 ビル管の表の生活でトラブり、裏のSNSで痛い目を見る。だが彼らは、この図書新聞の連載を読んでいない。この場所だけは両者の目に入っていないのだ。
 やっと、息をしている。
(建築物管理)







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