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評者◆殿島三紀
過去を見直すための時間はまだ残されているのだろうか――監督 クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、クリスティアン・ケルマー、ローランド・シュロットホーファー『ユダヤ人の私』
No.3522 ・ 2021年12月04日




■『ドーナツキング』『草の響き』などを観た。
 『ドーナツキング』。アリス・グー監督、製作総指揮リドリー・スコット。全米2万5千軒のドーナツ店の内、約5千軒がカリフォルニア州にあり、その90%を経営しているのがカンボジア系アメリカ人。なぜカリフォルニアが彼らのドーナツ王国となったか。ここには甘いドーナツからは想像もつかない一人の男の人生と歴史が潜んでいた。1975年、戦乱に追われ、無一文で渡米。ドーナツ店経営で資産2千万ドルを築き、ドーナツ王となったテッド・ノイ。その人生に迫った甘くて辛いドキュメンタリーだ。
 『草の響き』。斎藤久志監督作品。41歳で自死した佐藤泰志の小説の5度目の映画化作品。生存中は5回も芥川賞候補に上りながら、選ばれることなく、書き続けながら、心を病み、故郷・函館に帰った佐藤泰志。
 妻と二人、故郷へ戻ってきた主人公は精神科の医師の勧めで、毎日、きまじめに記録をつけながらランニングを続ける。これは作家の体験とも重なろう。毎日黙々と走り続ける主人公を演じるのは東出昌大。どこかうら寂しい函館の風景に主人公の抱えるやりきれなさや不器用さが重なる。
 さて、今月一押しの作品は『ユダヤ人の私』。ホロコーストの生存者だったマルコ・ファインゴルト(106歳)の証言を記録したドキュメンタリー映画である。以前、ナチス宣伝相ゲッベルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの証言を記録した『ゲッベルスと私』をご紹介したが、本作はそれに続く『ホロコースト証言シリーズ』の第2弾。このシリーズは戦後76年を経て高齢化し、減っていくばかりの戦争体験者の証言を通じて世界史上最悪の犯罪・ホロコーストの記憶を伝えようという真摯な取り組みだ。もうこれが最後になるかもしれない。
 1913年、ハンガリーに生まれ、オーストリアで育ったファインゴルト氏は1939年にゲシュタポに逮捕され、アウシュヴィッツを含む4つの強制収容所での日々を生き延びた人物である。45年に解放された後は10万人以上のユダヤ人難民をパレスチナへ逃し、自身の体験とナチスの犯した罪、そして、ナチスに加担したオーストリアの責任を70年以上にわたり訴え続けてきた。
 本作は106年にわたる彼の人生を通して、反ユダヤ主義がどのように広まり、ホロコーストへとつながっていったのかを、世界各国のニュースなどアーカイブ映像を交えながら描き出したドキュメンタリーだ。監督はクリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、クリスティアン・ケルマー、ローランド・シュロットホーファー。監督たちはこの社会がいかに脆弱で、社会やシステムというものはどれほど不意に変化してしまうものかを示したかったのだと言う。「歴史を過ぎ去った過去として見るのではなく、現在のできごとに置き換え、過去を見直すことが重要なのだ」と。
 撮影時106歳だったファインゴルトは淡々と自身の体験とナチスの罪、そしてナチスに加担した自国オーストリアの責任を語る。モノクロ画面の中に浮かび上がるその顔に刻まれた深い皺は歴史の影とも見紛う。彼の言葉は反ユダヤ主義がホロコーストにつながる瞬間を明らかにする。スクリーンに挿入される青年時代の姿。紳士服ビジネスに成功し、若くてダンディなファインゴルト青年が6年も過酷な強制収容所生活を生き抜いたのだ。終戦後はユダヤ人難民に対する人道支援と講演活動に取り組み、オーストリアのユダヤ人協会代表も務めた。彼は2019年9月、106歳の生涯を閉じる。それはまるで本作で証言を終えるのを責務としていたかのようだ。
 撮影当時ブルンヒルデ・ポムゼルは103歳。マルコ・ファインゴルトは106歳。そして、いま、二人はもういない。私たちとこれからの人たちが過去を見直すために残された時間はあとわずかだ。
(フリーライター)







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