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評者◆秋竜山
サイコロ遊びで人生を知る、の巻
No.3521 ・ 2021年11月27日
■ヒトは必ずといっていいくらいに、ふりかえってみる。もちろん、自分の生きてきた道である。考えてみれば、幸せであったかどうか。ふりかえったところで、どーなるものでもない。どっちでもいいのであるが、一応はふりかえる。ふりかえるほどの道ではないにしても、である。そーいえば、昔、子供の頃、「すごろく」と、いうものがあり遊んだものであった。「すごろくのようなものであったなァ……」と、思ったりする。
山田昌弘『新型格差社会』(朝日新書、本体七五〇円)では、 〈多くの日本人が「住宅すごろく」とも呼べるゲームに参加していたからです。幼い頃は〈実家〉に暮らし、10代後半からは〈下宿〉や〈アパート〉暮らし、20代後半で結婚し、〈社宅〉や〈賃貸〉マンションなどに住み、30代では夢の〈「戸建て」マイホーム〉を手に入れてゴール。それが「住宅すごろく」の道筋でした。この「住宅すごろく」の特徴は、このゲームに参加しようと決めた人ならば、基本的に皆、最終ゴールまでたどり着けたという点です。もちろん素早く順調にゴールできる人もいれば、一進一退を繰り返す人もいます。本人の努力以外に、サイコロの目という運命の巡り合わせもあります。20代で都内にマイホームを手に入れられる人もいれば、40代後半にようやく郊外の地に自宅を構えられる人もいた。しかし、スピードやレベルの差はあれ、基本的に「すごろく」ゲームですから、参加者は基本的にゴールできる仕組みだったのです。これが高度経済成長期から90年までの状況でした。しかし平成に入り、バブル経済がはじける頃には、「住宅すごろく」が機能不能になってきました。〉(本書より) ヒトは生きるには〈衣・食・住〉があってのこと。これなくして人生は成り立たないのである。のがれることはできない。昔、の時代劇映画を思い出す。「カッパからげて、三度笠、どこを寝ぐらの旅ガラス……」とかの股旅映画であった。旅はそよ風といった具合の自由な一人ぐらしであった。サイコロをふところにしのばせての生活であった。「衣・食・住」など屁のカッパであったのだ。しかしふり出しから始まって、ゴールの〈上がり〉は遠いものであった。まさに、しがない人生であっただろうと思う。 〈地元の「すごろく」ゲームにのれないヒトは「住宅すごろく」ゲームが成り立たなくなった地域コミュニティでは、従来の「地元意識」と、新しい移住者の「コミュニティ意識の希薄さ」の間に大きな溝が発生しています。〉(本書より) 「すごろく」の場合は、上がりが必ずあった。とはいえ、その上がりまであと一つという所で、ふり出しにもどる、なんてのもあったり、三回休むとか五回休むといったような、上がりは簡単なものではなかった。それが「すごろく」であった。子供たちは、そんな「すごろく」遊びで人生哲学を学んだものであったような気がする。お正月になると家族でサイコロをふった。大人になると、家のものも、ちりちりばらばらになるということである。サイコロ遊びで人生というものを知ったのであった。 |
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