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評者◆秋竜山
さみしいくらいの夜である、の巻
No.3520 ・ 2021年11月20日




■そういえば、近頃スズメの姿がない。田舎でも、まったくスズメに出会わなくなった。スズメが住みにくい世の中になったせいだろうか。住みにくくなったということは、スズメが住む場所がなくなってしまったということか。かつては、いたる所にスズメがチュンチュン鳴きながら土をついばんでいた。当たり前の光景であったから気にもしなかった。関心もなかったのである。関心がないということは、忘れられた存在ということになる。ある時、別にこれといった動機もなかったのであったが、ハッ!! と気づいたのであった。「そーいえば、スズメを見ない」。発見でもあるような驚きのようなものである。
 これに似たことが、生まれ育った田舎の村で、そこに住んでいたなじみの人たちの姿をみかけなくなっている。私の住んでいた村では、村人の数がへっていって近い将来は村がなくなってしまうのではないかと思えるほどである。かつて冬になると、各家々で当番制になっていた「火のまわり」をして、夜の村中を拍子木をカチカチ叩いてまわり歩いたものであったが、風の強い夜は休むことなく一晩中カチカチの音で眠れないほどであったが、今はどうかというと、そんな火のまわりの音もなくシーンとした村中である。さみしいくらいの夜である。だから今の子供は火のまわりというものを知らない。私たちの子供の頃は晩になると子供たちが何人かでカチカチ音を鳴らして、「火の用心、マッチ一本火事のもと」と、大きな声で叫びながら村中をまわり歩いたものであった。子供たちにしてみると、「火の用心」って、何のこと? 「火のまわり」って、何なの? マッチって何なの? と、これが時代というものか。
 宮崎法子『花鳥・山水画を読み解く――中国絵画の意味』(ちくま学芸文庫、本体一二〇〇円)では、
 〈竹や梅に多くの雀が集うさまを描き、「百爵図」と自題された清代の絵画(故宮博物院・北京)もある。それは宗代の絵画に倣ったと画家自らがいう。古風な祝祭の気分溢れる作品である。(略)多くの雀が集うさまは貴顕(爵位のあるもの)が集うことを連想させ、当時の社会においてそれは文官たち高級官僚たちを意味した。一方、竹もまためでたい植物で(略)竹は士大夫の精神の象徴でもあった。「竹雀」は、そもそも初期の花鳥画において中心的画題であった。〉(本書より)
 スズメといえば、日本ではカラス同様に昔から親しみのある鳥であった。そのスズメがいなくなったということは、忘れられた鳥ということになるのか。田舎の村から家がどんどんなくなっていく。なくなっていくということは住人がいないということである。まるでスズメと同じではないか。村からスズメも住人もいなくなってしまう。住人がいないということは、「火のまわり」もすることはないということだ。深夜など真暗な村道はさびしくて歩けないほどだ。忘れられるということはそーいうことである。忘れられて時代が流れると、昔のようなにぎやかさは帰ってこないということだ。自分の村だけのことかと思ったら、隣の村も、またその隣の村もまったく同じであるということである。







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