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評者◆秋竜山
ひらめきは突然やってくるのか、の巻
No.3519 ・ 2021年11月13日
■深夜、寝ている時でも頭の中はマンガのアイデアを考えているのだろう。眠りの中でフイにアイデアが浮かぶ時がある。私は飛び起きて枕元にいつも用意してある白い紙にそのアイデアのマンガを描く。頭の中はモーローとしているのである。その証拠に、ものすごく面白いアイデアが浮かんだと変なコーフンをして再度フトンにもぐる。翌朝、眼がさめると、ゆうべのことを思い出し、描いたマンガを見る。ガクゼンとする。面白いマンガであったはずだ。しかし、マンガはメチャクチャである。このようなものを夜中に起きて描いていたのか。あの時、あんなに面白かったのに、全然面白くないというかくだらんマンガである。たぶん、マンガ家だったら誰もが経験することだろうと思う。
マンガのアイデアは、ひらめきである。ひらめきとは、突然やってくるものだ。それが、アイデアというものか。たとえば、トイレの中で立ち上がった瞬間にひらめいたりする。いつ、どこでやってくるかわからない。期待できるものではないのである。何もない所には煙がたたぬと同様に、頭の中はいつもアイデアのことを考えていないと浮かばないのである。アイデアの神さまが、アイデアの杖で頭をコツンと叩いてくれるからである。マンガに限らず、すべてのアイデアがそうであろう。 佐々木健一『「面白い」のつくりかた』(新潮新書、本体七六〇円)では、 〈「どうしたら新しい企画やアイデアが思いつくんですか?」と聞かれることがあります。思わず、「それが分かれば誰も困らないですね…」と言いたくなりますが、こうした質問をされる背景には、ある先入観があるように思います。それは、「企画やアイデアは”思いつくもの”である」という思い込み。ある日突然、何かが天から降ってくるようにアイデアがひらめく、なんとなく、そんなイメージを抱いている人が多いように感じます。しかし、私はそのようには捉えていません。私は明確に、「企画やアイデアは”組合わせ”から生まれる」と、捉えています。否、企画やアイデアに限らず、「世の中の新しいものは全て“組合わせ”から生まれる」と言っても過言ではないと思うのです。〉(本書より) 〈かつて、映画監督・黒澤明は「創造とは何か?」についてこう明言していました。「創造とは”記憶”である」この言葉について、映画監督・大島渚と対談した貴重な映像の中で、(略)だから僕はよく「創造というのは、記憶である」というふうに言うんだけど、本当にそう思いますよ。その中から出てくるんで、何もないところに何かが生まれて来やしないって、実生活の中でも、何かいろんな経験があるわけよね。その何かがなきゃ創造は出来ないでしょう」(記録映像「わが映画人生 黒澤明監督/日本映画監督協会」)〉(本書より) 一番悲惨なのは、まったくひらめきがないことだ。いくらマンガの神さまに祈ってもムダである。自分で、ひらめいたマンガであると思っていても、そのマンガは神さまのものであるだろう。だからといって作者名を、「神さま」と、つけるわけにもいかない。神さまのひらめきマンガであるから絶対に面白いかというと、神さまに申しわけないが、そうとも限らない。そこがむずかしいのである。 |
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