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評者◆稲賀繁美
「本国と植民地、前近代と近代、東洋と西洋との交錯」の狭間に探測を下ろす偉業――二村淳子著『ベトナム近代美術史――フランス支配下の半世紀』(本体五〇〇〇円・原書房)を読む
No.3519 ・ 2021年11月13日




■ヴェトナムの近代文化史を描きあげるのは、容易ではない。1880年代からフランス領インドシナに編入された地域では、近代化第一世代知識人層はフランス語教育を受けている。だが初代ヴェトナム民主共和国主席を務めたホー・チミンこと胡志明(Hồ Chí Minh:1890‐1969)が獄中で漢詩を捻った事績ひとつとっても、同地が中国文明圏の勢力下にあった事実は否定し難い。日本帝国の短期間の侵駐に続く独立革命に伴い、少なからぬ「親仏分子」が粛清され、あるいは亡命の地で生涯を終える。ヴェトナム戦争終結に伴う南北統一後、曾て売国奴の汚名を着た知識人の復権が始まるには、ドイモイ政策の導入を待たねばならなかった。フランス統治時代とは、民族自決と独立への障碍、負の遺産として位置づけられる。
 他方、フランス側では、生き証人世代の消滅とは裏腹に、近年、植民地統治時代の見直しが進んでいる。そこにはベル・エポックへの耽美な回顧や、曾ての栄光を寿ぐことで将来の政治経済的な友好関係発展の礎にしたい、旧宗主国の外交的思惑も透けて見える。ヴェトナム近代美術史も、フランス植民地帝国の文化政策として開花した、とするのが通説である。
 東京大学の比較文学・比較文化課程に提出された博士論文を母体とする本書は、こうした通念や政治的制約、多言語に渉る資料探索などの厄介な初期条件を乗り越えた、画期的達成といってよい。
 フランス語のBeaux‐Arts移入によって成立した「美術」概念とその実態との乖離を追跡するには、明治日本の欧化政策と制度移入史、欧米でのジャポニスム現象が参照項となる。また従来の近代主義的価値観によって貶められてきた装飾美術は、植民地文化行政の輸出振興策との淫靡な癒着により、世紀末藝術の彼方で、絹画や漆画へと特異な展開を見せる。これら工藝の再評価には、装飾美術の復権と近年の研究進展が裨益した。さらに越南は、植民地博覧会でのアンコール遺跡発掘への注目とも連動し、アフリカ・オセアニア「未開美術」を収奪する植民地本国の南北関係に、「極東」から横槍を突きつける。従来の「東方趣味」Orientalismeに関する通説に、「安南藝術」の事例は抜本的な軌道修正を要請する。
 「サロン23」の立役者だったファム・クインは、仏訳で接した岡倉覚三の『東洋の理想』に敵愾心を燃やし、『茶の本』を自家薬籠に取り込む。美術学校設立の立役者ヴィクトール・タルデューは、植民地行政当局への面従腹背とも言える二枚舌で、職業学校から最初の世代の藝術家輩出に貢献する。その期待に答えたナム・ソンは中国絵画論に体裁を偽ってデッサン教育を略領する。ファン・チャンの絹画はフランス文明への恭順を装いつつ自己実現を遂げ、パリ仏越派のレ・フォー、マイ・トゥ、就中ヴ・カオ・ダンは、植民地受けする「アオザイ美人」の表象の影に「国民文学」たる『金雲翹』への矜持を託す。ハノイ北西の「漆の里」フートー(富寿)を舞台とし、グエン・ザーチーに代表される漆画の創生には、美術学校講師のジョセフ・アンガンベルティや女流漆藝家・アリックス・エイメも関わるが、著者はここに石河壽衛彦や石川浩洋らの東京美術学校卒業生が関与していた事実をも発掘した。
 柳宗悦にも通じる「手仕事」の復権が、文人的価値観とも融合して越南美術の近代に輻輳する。本書はその動態を、ハノイから南仏に至る各地での未刊資料発掘や遺族面談に立脚して、詳細に洗い出す。窯業の美術教育への編入は安南では失敗に終わったが、この現実は、韓半島の事例との比較を誘う問題提起であり、現在のヴェトナムにおける窯業遺産再評価にも直結する。本書は総じて、旧植民地宗主国の価値観にも、現在の民主共和国の国是にも追従することなく、それらの交錯の裡に見落とされてきた創作の現場を丹念に紡ぎ出し、それを一貫した、きわめて平易な叙述へと統合した。著者の力量は、高く評価されねばなるまい。

*なお本書は、刊行に際して、すでに「第1回東京大学而立賞受賞作」のひとつに認定されている。







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