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評者◆凪一木
その118 史上最低の悪役
No.3519 ・ 2021年11月13日




■全く油断も隙もない。私の見えないところで何が行われ、画策され、悪巧みされ、仕組まれているのか分かったものではないのである。
 たかが還暦間近の平社員一人に対して、会社および派遣先の大手ゼネコン子会社が、寄ってたかって、こんなにもくだらない陰謀や罠を仕掛けてくるものなのか。
 事の始まりは、その日の午後二時一〇分、同じ防災センター内の警備の隊長からの一言である。
 「今朝、凪さんの巡回中に、所長と新責任者が、長々とヒソヒソ話をしていて、権謀術数を使って、姑息な手で何かをしようと企んでいるようだから、凪さん、気をつけた方がいいよ」。
 そうしたら、フェラーリからのメールだ。
 「先日、マーシー(異動する今の責任者)と所長とで、下(電気室)で一時間の密会してました。マーシーから言われなかったので僕は何も聞きもしませんでしたが、最近、所長は何か企んでるんだと思います」。
 その翌日、新責任者、元電気屋なので仮にエレキと呼ぶが、エレキからメールだ。エレキとは実はこれまでメールのやりとりはない。電話番号を知っているだけだ。
 「おはようございます。俺も腹をくくりました。凪さんと設備の三島さんを異動させるならば責任者を即刻降りて俺も異動を願い出ると。Kさんにこれからメールして来週中にも話をすることに決めました」。
 Kとは、これまで何度も登場した、最悪の取締役でかつ最低のウソ付き部長のことである。人間の劣悪度でも最下限と思われる。とりあえずワーストと呼ぶ。一個の人格としてある「人間」としてあまり考えたくない。

 通り魔殺人や突然の立て籠もり銃乱射事件などが起きると、人は恐怖する。多くの場合の殺人を含むトラブルは、身近な人間関係による恨みや私情が絡んでの「成り行き」であり、普段の生活の上で未然に気を付け、ある程度の注意を払っているならば防げるものと考えられている。しかし、その未然の注意や警戒を超えたところに起きる事件には対処のしようがない。安心しようとすると、犯人の心情をもっと分析し、動機や生育環境を深く考えてみる必要に迫られる。出来れば、「なるほどなあ」という了解を得たい。
 だが、サイコパスが、ほとんどおしゃべりオモチャであるように、人間の感情の届かないような存在というものが、この企業社会ゆえなのか、建前と本音文化の日本ゆえなのか、居るのである。少なくとも、その芸術品のような出来栄えの小悪党が、目の前にいるワーストだ。ハッキリ言って、もう団体交渉以外では、口でおしゃべりする気持ちはない。どうしてもというのなら、録音をさせてもらう。ぺらぺらとその場限りのウソを言うだけで、あとは言った覚えがないという反応の連続だからだ。実にバカバカしい。
 「サイコパス」の最古透のときも、あの男が別次元の狂気をはらんでいることに、全く気付かなかった。同僚から助言があり、かつその同僚自身怯えながらゆえ、微妙な表現での忠告であり、結局私も半年間、最古透を「ただの変わった男」として以外、全く気付くことがなかった。
 ワーストも、腰が低く、一見物腰が柔らかく、しかし気弱に見えて、それは単に仕事が出来ない人間にありがちな所作に過ぎなく、内実は、仕事自体を仕事とも思っていないような、何のために生きているのかさえ見当がつかない、相手に見当をつけさせない、これまた別次元の男であった。
 私がワーストを本当に腹立たしく思っている理由は何なのか。最古透のようなおしゃべり魔女とは違う。同じように本気の言葉を持たないという病を抱え、同じように嘘を付くが、その目的がはっきりしない。最古透は、相手が苦しむ姿を楽しむ異常な欲望と好奇心のために行う。だが、この男は出世したいとかお金や楽しみのためとか、相手を苦しめたいとかいう情熱や執着がまるでみられない。ただし、自分に危険が及ぶときに、自分に責任が覆いかぶさりそうなときに、自分に面倒が降りかかってきそうなときに、それを回避するために、平気で、日常的に、いとも簡単に、嘘をつく。
 ワーストの妻は五年ほど前に亡くなり一人者だ。しかしもう六五歳を過ぎているというのに、なお仕事をつづけ、しかし仕事一本という風はもちろんなく、適度にサボり、休みは平気で毎年九月に一〇連休を、現場の人間に分からないように取る。驚いたのは、毎週スポーツジムに通っているというのである。何のためだ。「女だ」という人がいる。だが、その匂い、ギラ付き、ガツガツとした欲望も全く見えない。不思議だ。
 さて、エレキから「腹をくくった」というその直後のメールだ。
 「ワーストにメールしました。マーシーの三島イジメも書いてやりました。所長から、凪さんと設備の三島を追い出すロードマップをパソコン画面で見せられました。Sビルの人間を日勤で追加して一人減らすということです。契約変更が絡むので簡単には出来ない筈ですが。マーシーは腹いせに俺や凪さん三島さんの悪口を洗いざらいぶちまけて、三島さんもついでに追い出すことにしたのだと思います。現場を崩壊させてT工業ごと切るつもりでしょうか?所長も今時、気に入らない奴を次から次ぎに追い出すなんて通らないよね!マーシーにも最後まで腹が立つ!」
 驚いたが、八時半の男ならば、そのぐらいやるだろうとも思っていた。
 問題は、ワーストだ。大嘘つきである。異動について、「私は一切誰にも話しておりません。誰から聞きましたか」と私にしらばっくれ、エレキにも白を切る。
 「今、ワーストと電話で話しました。所長のロードマップは聞いていないとのことですが、信用できません。仮に本当にワーストに話していないとすると凪さんを罠にはめて追い出すことになるので十分注意して下さい。もしも、話を聞いていたら俺もロードマップに入っている可能性があると思います」。
 情報開示が原則である。何でもオープンにしろとは言わないが、とかく日本では秘密主義が横行している。その結果、情報の集まる「上」にいる者が得をする仕組みになっている。
 大麻力士が報じられたこの日、脚本家の小鳥遊まりがこう投稿している。〈私は嘘つきと時間にルーズと品の無い人が、不潔な人より嫌いなんです〉
 最低限嘘を言ってはいけない。何のために嘘をつくのか。会社を守るわけでなし、自分がそれほど得をするわけでもない。こちらをそんなにも困らせたいわけでもない。ただ単に不誠実なだけなのか。
 解せない。
(建築物管理)







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