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評者◆凪一木
その116 この国での人生とは何か
No.3517 ・ 2021年10月30日




■いよいよ会社を去る時が来たようだ。職安(ハローワーク)に行く。就職情報誌を見る。ネット検索をする。五〇歳を過ぎると、極端に仕事が無くなる。人生の最後、といっても残り三〇年ぐらいはまだまだ働くかもしれないというのに、その「仕事」の後半生が「これ」かよ、というほどに選択肢が無い。あまりにも「無い」。
 輝かしいとまではいかなくとも、ある程度のエリートでさえ、或いは、その世界でそれなりに認められた仕事の人物でさえ、結局は、繰り返すが、人生の最後がこれなのかよと思う。それらは「誰でもできる簡単な仕事」とよく言われる上に、情報誌には、正にその通り書かれている。
 建築現場要員、販売員、製造員、軽作業、電話営業、介護、運送、タクシー、そして清掃、警備、設備のいわゆるビルメン三職。とにかくこの中から選ぶしかない。曲がりなりにも、小学中学高校の一二年間、人によってはそれ以上に勉強を積み重ねてきて、それがまるで生かせないではないか。これしかないのかよ。
 ドイツ語、しかも哲学の翻訳をやってきた人間が警備をしている。「vogue」にも載った写真家が設備をしている。脚本家だった知り合いは介護をしている。私の書籍編集者は柔道整復師をしている。舞台女優の多くいる清掃。元女優の多くいる介護。いや、渋谷で殺された試食販売員のホームレスは、元はアナウンサーを目指し演劇活動もやっていた女性だ。
 適性がない分だけ、それら清掃も、試食も、介護も、警備も、設備も出来ずに、「誰にもできる」仕事からさえあぶれて、生活保護の厚い壁の前で困っている人も知っている。
 「働き方は柔軟に」「希望に合わせてお選びください」「ゆとりある勤務スタイル」「ひとのために役立つ仕事をしませんか」「空いている時間を有効に使いませんか」「ご経歴に合わせて満足いただけます」「コツコツ作業が好きな方にもぴったり」「意欲があれば何歳でも構いません」「履歴書不要・日払いOK」「難しいスキルは必要ありません」「無理なく自分のペースで」「未経験者大歓迎・資格不問」「あなたを放っておきません」
 本当かよ。その割には、訓練校に通う前、そして、訓練校を終えてからも、どこに面接に行っても弾き飛ばされた。
 「履歴書の書き方」「面接で気を付けることは」「働き方ワンポイント講座」「挨拶の仕方」「電話のかけ方」「身だしなみ」。読むたびに味わう悲しさ。結局は奴隷かよ。この国はいったいどうなっているんだ。どういう人間を求めて、どういう国にしたいのか。
 ドラマ「女王の教室」では、こう言う。
 「愚か者や怠け者は差別と不公平に苦しむ。賢い者や努力した者は様々な特権を得て豊かな人生を送ることが出来る。それが社会というものです」。
 「ドラゴン桜」では、こうだ。
 「賢い奴は騙されずに得して勝つ。バカは騙されて損して負け続ける。これが今の世の中の仕組みだ」。
 その賢い奴ってのは、いったいなんだ。五〇歳までに、どこかに所属してその後の人生設計ができている者のことなのか。人生のその場所その場所で、主役とまではいかなくとも、なかなかの好脇役を演じてきた人間たちが、今度は、その他大勢の台詞一切なしのエキストラを、延々と三〇年間演じ続ける。
 脚本家の神波史男は生前繰り返し語っていた。
 「勝ち組。負け組。嫌な言葉だなあ。誰が言い出したのか。言葉自体が醜悪だよ」。
 人生そう簡単ではない。彼の死後も今、こうして就職情報誌を眺めている私。
 そして、私もそうだが、あの小石先生もまた、去る時が来たようである。
 〈東京・九段下のホテルグランドパレス(東京・千代田)は七月から営業を休止する。新型コロナウイルスで国内外からの観光客や出張客、宴会やウエディング需要が減り収益が悪化した。経費削減を進めたものの感染再拡大で当面の需要回復が見込めず、さらなる財務悪化を防ぐため休止することにした。〉(『日本経済新聞』二〇二一年一月五日)
 このニュースは、正月から各メディアに登場したが、現場では、もっと前から伝わっていた。少し前まで、二七歳の隊長を先頭に、全員が二〇歳台の精鋭部隊で占められ、その警備会社ではエリートコースの一つであった。小石先生が行く余地など全くなかった。ところが、コロナである。若き七人の侍がいた部隊は、今や小石先生を含む四人の老人部隊となり、営業は六月、残務処理で勤務も一〇月いっぱいまでだ。コロナ前までは宿泊客の約半分は外国人観光客が占めていた。コロナ後は利用客が七割減った。丸の内「パレスホテル」の姉妹ホテルとして七二年に開業。プロ野球のドラフト会議が一四回開かれ、江川事件でも有名だ。ナベツネは閉館前まで、しょっちゅうやってきていた。七三年に二二一二号室で、金大中拉致事件が起きたことでも有名だ。
 元々このホテルには、私の現場から、若いアンちゃんが「精鋭」の一人として栄転となった。彼は正月の松陰神社警備など、あちこちに駆り出され、東京五輪でも味の素スタジアムのラグビーに臨時警備となったが、取りやめになる。それどころか、パレスホテルからも去ることになり、新婚で子が宿り、築二五年の家(一〇階建ての五階角部屋二LDK+納戸)を一二〇〇万円三〇年ローンで買ったばかりで、あっという間に先行きに暗雲が立ち込める。入れ替わるように小石先生は、私の現場を追い出される格好で、パレスホテル勤務となった。飛ばされる前、小石先生は、「隊長と刺し違えて俺も辞めるよ」と言っていた。
 小石「俺は構わないぜ」。凪「ホントですか」。小石「いやいや、待ってくれよ。本気にしないでくれよ」。凪「だって、さっき、そう言ってたけど」。小石「あれは、言葉の彩だよ。そういう覚悟で生きてるってことよ」。凪「じゃあ、その覚悟を伝えましょうよ」。小石「いや、だから、覚悟を持つくらいの姿勢のことを俺は言ってるんでさあ」。凪「その、姿勢を伝えましょう」。小石「いや、姿勢風の構えというかさあ」。凪「では、構え」。小石「凪さん、あんまり俺をいじめないでよ。俺は、やるときはやる男なんだからさ」。凪「いつですか」。
 小石「やるときが来たら、いつでもやるさ」。結局飛ばされた。
 六〇歳を過ぎ、正社員でなくなり、基本給が五万下がるも、夜勤で給料は増えた。手取り二五万。二四勤務で言うとほぼ八回勤務。深夜一時から六時まで、WOWOW見放題。「俺にとっての良いボーナスだ。隊長ザマアミロ」。
 だが、一時のご褒美だったようだ。
 就活の二人、今度、会う予定である。
(建築物管理)







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