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評者◆粥川準二
小山田圭吾の「いじめ」記事問題――忘れないが、赦すことはできる
No.3515 ・ 2021年10月16日




■筆者は出生前診断や強制不妊手術、その背後にある優生主義などに興味を持ち続けてきた。そんな筆者の心に二〇数年間引っかかっていたことが、部分的に解決しつつある。
 一九九五年の夏――当時、うだつがあがらない雑誌編集者(の見習い)だった筆者は、飯田橋の書店で、ふと『クイック・ジャパン』(一九九五年八月号)という雑誌を手に取り、「いじめ紀行」という記事を立ち読みした。ライター(当時)の村上清がミュージシャンの小山田圭吾をインタビューした記事である。そこで小山田は、一〇代のころに障害のある同級生「沢田君(仮名)」らに対して行ったいじめを、まるで自慢のように語っていた。
 手元に現物がないので、中原一歩「小山田圭吾 懺悔告白120分 「障がい者イジメ、開会式すべて話します」」、(週刊文春、九月二三日号)から再引用する。
 「段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)」
 「掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ」
 「洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって」
 まだ二六歳だった筆者は、背中に冷たいものが当てられたように感じた。語られていたのは、いじめられた経験ではない。いじめた経験である。対象には障害者も含まれる。しかもそれが反省としてではなく、自慢のように語られていた。当時、小山田がかつて在籍していたバンド「フリッパーズギター」や、彼のソロプロジェクト「コーネリアス」が、高い評価を得ていることは知っていた。筆者はどちらもまともに聴いたことがなかったのだが、この記事を読んで以来、「コーネリアス」や「小山田圭吾」という名前を見聞きするたびに身構えるようになった。ようするに、ちょっとしたトラウマになってしまったのだ(記憶が曖昧なのだが、ある夏フェスで、彼のステージを好奇心から観ようとしたことがある。しかし一曲か二曲聴いただけで気分が沈み、会場から離れた)。
 その後、この件は何度かネットで話題になった。そのたびに筆者は、小山田がなぜ、いまもミュージシャンとして活躍できているのか、不思議に思った。音楽業界はいじめ加害に、そんなに寛容なのか、と。
 個人的には、二〇一三年にアニメ映画『攻殻機動隊ARISE』が劇場公開されたとき、その音楽をコーネリアスが担当したことに強いストレスを感じた。自分の知らないところであれば、彼がどんなに活躍しようと無視できる。ところが、筆者は一連の『攻殻機動隊』が大好きなので、無視したくても彼の名前は自然と目に入り、悪夢が再発した。
 そして今年七月一四日、東京オリンピックの組織委員会が演出チームのメンバーとして、小山田の名前を発表した。すると、小山田が前述の『クイック・ジャパン』や『ロッキング・オン・ジャパン』(一九九四年一月号。筆者は未読)で、障害を持つ同級生へのいじめを自慢のように語っていたことがSNSで拡散された。小山田への批判・非難が広がり、むしろ彼が集団いじめを受けているようにも見えた。小山田は一六日、謝罪文を発表したが、演出メンバーを辞めるとはいわなかった。しかし結局は辞任した。
 その後、SNSを含むネットでさまざまな議論がなされた。そのなかには小山田を擁護(?)するものもあった。論調はさまざまだが、ようするに、「いじめ紀行」の一部ではなく全体を読めば印象が変わるはずだ、というものが目立った。たとえば、「いじめ紀行」の取材に同席したという北尾修一が、同記事の全文PDFを紹介しつつ、当時を振り返った記事が公開され、反響を呼んだ(「いじめ紀行を再読して考えたこと 01‐イントロダクション」、百万年書房LIVE!、七月二〇日、など)。筆者も友人に勧められて北尾の回想・解説を読み、そして「いじめ紀行」を二五年ぶりに読んだ。
 たしかに、それらには筆者が記憶していないこと、知らないことも書かれていたが、印象は変わらなかった。北尾の記述は身内擁護のようにも思えた。だが、北尾の回想・解説と「いじめ紀行」そのものを読んで、印象が変わったという者もそれなりにいたようだ。受け止め方には幅がありそうである。なお北尾の一連の記事は公開が終了されており、筆者は保存しなかったことを後悔している。一方、小山田を批判的に取り上げ続け、騒動のきっかけになった「孤立無縁のブログ」の一連の記事は今も読むことができる(たとえば電八郎「北尾修一氏のブログを再読して考えたこと」、七月二五日、など。ただし一部削除された模様)。
 筆者がようやく心の平穏を取り戻し始めたのは、小山田自身が、前述の週刊文春の記事発行のタイミングに合わせて、SNSなどで公開した「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」(九月一七日)を読んでからである。
 ここで小山田は、二つの記事に書かれていることで、事実と事実ではないことを区別し、事実については「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていた」と反省の意を示している。そのうえで、「誤った情報の拡散や報道もありましたが、元はといえば、自分の過ちが招いたことだと思いますし、それを放置してきてしまったことへの責任を痛感」していると自己を批判している。筆者には、この姿勢は真摯なものに思えた(週刊文春のインタビュー記事も同様である)。何かが溶け始めたようにも感じた。
 筆者は、小山田が行ったことや語ったこと、放置したことを忘れるつもりはない。しかし、彼を赦すことはできる。彼には更生するチャンスが与えられるべきだ。そういう社会であってほしい。もっとも、人を憎み続けるのはそれなりにつらいことなので、それを克服するためには赦すしかないのだが。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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