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評者◆睡蓮みどり
この過酷な人生をどこまでも優しく奏でる音が聴こえてくる――アレクサンダー・ロックウェル監督『スウィート・シング』、斎藤久志監督『草の響き』、吉開菜央監督『Shari』
No.3515 ・ 2021年10月16日




■人生で一度だけファンレターを送ったことがある。信じられないことに、手紙には後日返事がきた。三枚もの便箋に独特な文字がびっしりと書かれていて、結構プライベートなことなども書かれていて驚いた。なんとなく、私だけに秘密を打ち明けてくれたような、少しだけ特別な存在になったかのような気になって涙ぐみもした。穴があくほど何度も繰り返し読んだ。私は勝手に感染し、勝手に崇拝し、感謝し、心のお守りにした。幸せというのはこういうことだ、としみじみ噛み締めた。
 先週の土曜日に、朗読劇ライブのイベントに参加した。その日のライブには戸川純さんもゲストで出演した。私がファンレターを送った相手だ。何度もライブで見ている。が、まさか、同じステージに立つ日が来るなんて! 満席だし出演者なので会場で歌を聴くことができず、私は楽屋を出たところから劇場のドア越しに、彼女が歌うのを聴いていた。その間は、短い間だったかもしれないが、誰よりも幸せだった。生きていてよかったというやつだ。

 そんな感覚にとても近いものに出会うことは本当に稀有で思いがけないことで、生きる意味に値するものだ。琴線に触れるもの、という言い方もできるかもしれない。幸福だということ以外何も語りたくなくなるような、批評することもせずにただ「好き」とか「ありがとう」と言いたくなる人、音楽、映画、書物、などなど。『スウィート・シング』はまさにそんな映画だった。
 物語はいたってシンプルだ。一五歳の姉ビリー(ラナ・ロックウェル)と一一歳の弟ニコ(ニコ・ロックウェル)は、優しいが酒に溺れる父(ウィル・パットン)と暮らしている。母(カリン・パーソンズ)は男と出ていってしまい、母の恋人は危険で暴力的な存在だ。子どものことよりも、自分の恋愛を優先しようとする。それでも、くさることなく辛い現実をなんとか生きていこうとする。ひょんなことから少年マリク(ジャバリ・ワトキンス)と出会い、逃避行の旅が始まる。
 この映画に流れている時間も感情も音楽も愛情深く、ほろ苦く、そして何度となく煌めきの瞬間が積み重ねられている。驚きの連続だ。それはまさにジャズだ。主人公ビリーがビリー・ホリデーを聞く。ジャズのフリーセッションが映画という舞台で繰り広げら
れる。このライブ感よ。
 姉弟たちの演技も素晴らしい。どうしたらこんな表情が自然とできるのだろう。ビリーは穏やかでいようとするが、いつだって不安で傷ついている。その目は言葉以上にいろんなものを物語る。姉弟とその母親役にはアレクサンダー・ロックウェル監督の実の家族を起用している。プライベートでありつつも、映画表現としては極めてストイックで、どこを見せどこを見せないかのバランスがどこまでも完璧であった。日本で公開されない監督作品も多かったなかで、本作が日本で公開されたことが本当に嬉しい。インディーズ映画の底力を見る。文句なしの大傑作だ。この過酷な人生をどこまでも優しく奏でる音が聴こえてくる。幸せを噛み締めながら、生きるのだ。

 また、佐藤泰志の小説を映画化する函館シリーズに『草の響き』が加わった。シネマアイリスの支配人の情熱には以前から驚かされ、どれも良質な作品を作り続けていて、今回も非常に楽しみにしていた。今回も、男二人、女ひとり。今回は二組の三人が描かれる。地元の函館に戻ってきた主人公・和雄(東出昌大)と、その妻・純子(奈緒)と、良き理解者である主人公の友人・研二(大東駿介)。不登校の弟・弘斗(林裕太)とその姉・恵美(三根有葵)、一匹狼タイプの札幌からの転校生・彰(Kaya)。
 いつだって登場人物たちはうまくいかない。東京でうまくいかず、仕事でうまくいかず、学校でうまくいかず、夫婦間でうまくいかず、自分自身と向き合うこともうまくできない。いつも自分のことを持て余している。そんななかで、とにかく主人公は走る。走り続ける。走りながら、そこに心情、焦燥、風景、鼓動――と様々なものが重なっていく。
 和雄は精神のバランスがうまくとれず病院に通っている。だがランニング療法を取り入れたことで、少しずつ薬をやめようとする。自分で大丈夫だと思っても、いきなりやめるのは本当に危険だ。ちゃんと医師の指示通りちょっとずつ減らしていかないと反動が来る。一方、妻の純子は自信がどんどんなくなっていく。いつも支える側でい続けなければならないというプレッシャーに加え、頼れる人のいない孤独もあるだろう。気づかないうちに、驚くほど疲弊している。北海道は広い。この広いというのが、より一層孤独を感じさせるのが素晴らしい。美しい風景が続くがどこか寂しい。これは他の土地では撮れない、北海道独特の光景かもしれない。
 暗い画面のなかからも、光の破片が見える。一筋の光というにはもっと危ういものだ。映画のなかの本人たちには見えてはいないかもしれない。ただ、確実に現状から抜け出したいと望んでいて、ふっと映り込む。中学生たちと主人公が走るシンクロニズムに乗り切れないところはあったものの、このシリーズに込められた映画愛(他の言葉が思いつかない)に心が動かされる。ぜひ、過去の函館シリーズも合わせて観ることをお勧めしたい。

 こちらも北海道の物語である。『Shari』という一風変わったタイトルの舞台は知床・斜里。ダンサーでもある映画監督の吉開菜央と写真家・石川直樹による実験的映画。斜里で暮らす人々にインタビューしていくドキュメンタリー的な物語のなかに、けむくじゃらの“赤いやつ”がふっと紛れ込む。その関わり方(あるいは関わらなさ)が面白い。何か目的があって物語のなかに入っていくのではなく、そこで突然生まれたかのように出現する。人間ではないが人間でもある。もちろん、人間を威嚇するものでも、脅かすものでもなければ、そっと寄り添うものというわけでもない。ただ、そこにいるのだ。
 また、斜里に暮らす人々の口からそれぞれ語られるエピソードはそれぞれが関わり合うわけではなく、あくまでも斜里という町と関わりのある生活者としての一面を映し出す。子どもたちは“赤いやつ”に文字通り体当たりし、相撲大会でぶつかり合って大喜びする。これは物語なのだろうか。様々な効果をもたらすサウンドが特殊で心地よいがために、説明的なナレーションがここまで多くなくてもいいという印象は否めない。人々のそれぞれの生活をカメラが捉え、“赤いやつ”がただそこにいるだけで、何も言わずとも物語は自然発生してしまうのだから。そう思えば、“赤いやつ”そのものがすでに物語であり、斜里という町が物語(しかも一見とても奇抜な)をまるごと内包しているということになる。見終わってなお、この土地のさらなる魅惑に取り込まれる。
(女優・文筆家)







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