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評者◆凪一木
その114 ビル管持続法
No.3515 ・ 2021年10月16日




■ビル管理の仕事は、何もなければ(災害も事件も不具合も起きなければ)小学生でもできる。
 たとえば巡回。私の現場では二~三時間かけて、記録を取るのだが、デジタルの数字やアナログであっても、時計の見方が分かれば(読みとることが出来るなら)その数字を書くという仕事である。どこの現場もそうだ。とある官庁では、その巡回の途中で、部屋が多すぎるので何もない「空き部屋」があり、それは「休憩場所」と呼ばれ、そこで一時間ほど仮眠したり漫画を読んでいるということだ。私が前にいた病院でも、そういう部屋があり、そこではおそらくほとんどすべての巡回員が三〇分ほど休憩していた。官庁には、お金の使い道で失敗している箇所がいくつもあるという。卓球台が各フロアに置かれ、レクリエーションのために設置しているのに、資料の積み台と化している。安倍首相のモリカケ問題で過去の資料が問題となると、シュレッダー室が翌日に作られ(空いていた部屋にこれまでにない巨大なシュレッダー機が購入されて)、そこで連日、大量の資料がシュレッダーにかけられ、その専門の人間が朝から延々と機械を動かしている。その大量の度合いは、これを書くと驚くのでやめる。そういった光景を横目に見ながら巡回するのである。
 朝礼なども行われていて、そこでは正社員が契約社員やアルバイトをいびっている姿も私は何度か目撃した。少なくとも今いるビルは、超エリートで、日本ではトップクラスの「綺麗な」人間の多い会社である。たとえば前にいた病院は、ノーベル医学賞教授も誕生させた名門であるが、病院のほか、研究所、職員宿舎や新たな施設含めて全部で一三棟を管理するビルメンテナンスだった。そこには大学も含まれていて、その学生は初年度年間七〇〇万円以上支払う、お嬢様の通う薬学部である。だが不遜であった。私がいた一年半の間で、こちらから挨拶するビル管や清掃員や警備員も少なかったのだが、私は少なくとも、目の前ですれ違うときは挨拶をした。「おはようございます」「お疲れ様です」。ただそれだけのことだが、ただの一度もこの一八歳から二〇歳過ぎの学生たちから、挨拶を返されたことはない。もしかして大学の方針なのか。ビルで働く人間には挨拶をするなと言われているのか。そう思うほどに、一度も返事がなかったのだ。
 ところが、今のビルでは、ほぼ一〇〇%挨拶を返してくる。こんなことで喜ぶ私も情けないが、そういう差別と格差の社会が日本である。
 その巡回のあと、午後には一時間掛けて、オンソクと呼んでいる作業を行う。なんということはない、ただの温度測定・湿度測定だ。子供だましのような、温度と湿度を計ることのできる体温計の少し大きいサイズ程度の機器を持ち歩き、各フロアで三地点を測定し記録する。小学生でもできる。それを尤もらしくやる。
 なにしろ、これに関してはプロの技など何もない。資格もいらない。教えると、その日から小学一年生でもできるだろう。ときどき社員の人から「何をしているのですか」と聞かれることがある。そのまま答えるのでは、バツが悪い。仕事として恥ずかしい。社内の温度を測定することがどんなに重要だとしても、頭も体も使わない簡単すぎる作業であり、何より、ビル管自体のお気楽さと怠惰がバレてしまうような恐怖も感じるのだ。
 ビル管法では、その最大の問題でかつ義務であり、一番最初に覚えなければならないのが、空気環境測定の六項目である。三〇〇〇平米以上のビルでは、建築物環境衛生管理技術者の選任が義務付けられ毎月一回以上の測定で管理基準を満たさなければならない。浮遊粉塵が、空気一平方メートルにつき〇・一五ミリ以下(平均値)。気流は毎秒〇・五メートル以下(瞬間値)。そのうちの二つが、温度一七度以上二八度以下。相対湿度四〇%以上七〇%以下であり、これを毎日各階の各地点で定点観測している。こういった説明を、社員に対してすると、尤もらしく聞こえて、何か難しいことをやっているかのように思わせることが出来て(実際には思われないのだが)、何とか面目を保つ。
 つまりは、生産性がなく、精度も低く、勤勉性も不要で、本当に下らないと言えば下らない仕事をしているわけだ。このことをビル管同士で話すとき、その自分たちの怠惰さや不真面目さ、仕事自体の目標の無さ、さらに言うと人生の墓場的な先の広がりの無さについて、誰も否定しない。
 ところで、元同僚が、ブログを書いている。例の「喫茶M」だ。この男自体が、私にパワハラをしてきた人間だ。自分では自覚があるのかないのか以上に、そのブログで、あの虫男を「仕事のできる男」として描いているとんでもない危険なブログなのである。
 だが一面の真理を書いてもいる。
 その第一回のタイトルが「仕事はし過ぎてはならぬ」である。
 どういうことかというと、たいていの現場は、誰かできる人間がいればいいわけで、その他大勢は皆、似たり寄ったりの知ったかぶりをする者で、実際に仕事を出来る者はいない。このブログを書いている喫茶M自体がそうだった。出来ないのに、七四歳まで勤め上げた。時に新人をいびり、怒鳴り、仕事が出来るかのような振りさえできる世界。
 ブログにはこうある。
 〈ビル設備管理の仕事は、ビルなどの所有者から設備管理業の会社が受けるのだが、現場の管理員は、下請け、孫請け、或いは派遣が普通で、(中略)そういうレベルなのだ。下請けは入れていないと言っても、管理員は正社員どころかアルバイトである。〉
 実際どこの現場も、本当のオーナーから受けた元請けはビルマネジメントといって、何もしない。天下りのビルの会社の子会社が多い。これも話すと驚くが、たとえば、今の会社のそのビルマネと呼ばれる会社のトップは、かつて本社での大物だったらしく、彼が出社すると、地下鉄駅の通路から風除室、廊下、そしてエレベーターホールまで社員のお出迎えの列ができた。そしてその人間が仕事をしているところを見たことが私は一回もない。いや、その人間の顔を見たこともない。三年目ぐらいに、そういう人間がいることを警備の隊長から知らされ初めて知った。
 ブログから、結論だけ端折って書こう。
 〈ダメ人間ばかりの職場で、一人だけ人の倍頑張るとどうなるか。(中略)会社とは、会社の望むように働く人にカネを払う。従って、頑張ってはいけない現場で頑張る人には、カネは払えない。〉
 そういう絡繰りがある。
 仕事をしないのがビル管である。
(建築物管理)







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