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評者◆睡蓮みどり
美しいものは、おそろしい――ジャン=ピエール・メルヴィル監督『恐るべき子供たち 4Kレストア版』、クォン・オスン監督『殺人鬼から逃げる夜』、アンドリュー・レヴィタス監督『MINAMATA』
No.3513 ・ 2021年09月25日
■ワクチン1回目をようやく打ってきた。一瞬のことすぎて本当に打てたのか心配になったが、翌日しっかり副反応があったので、体内にちゃんと入っているのだと実感した。長い間風邪もひいていないせいか、ちょっとした副反応がえらく響く。少し前に、イタリア出身の友達と久しぶりに会って話をした。彼女は常日頃から薬を摂取すること自体をできるだけ避けたいそうで、本当は打ちたくはないけれど、でも打つことになると思うと言っていた。私は頭が痛いとすぐに頭痛薬を飲む。それもドバドバ飲む。薬に頼って生きてきたこともあり、抵抗感もさほどなく、どちらかといえば予約さえ取れたら早く打ちたかった。最初の頃、流れてきたニュースを見たときの彼女との会話を急に思い出す。「新しいウィルスだって」「へー、でもすぐおさまるんじゃない?」100年以上前の記憶のような気がする。
* かつて日本で闘い、世界に向けて事実を伝えたひとりの写真家がいた。『MINAMATA』(9月23日より全国公開)は写真家ユージン・スミス(ジョニー・デップ)とその後に妻となるアイリーン(美波)が水俣で起こっていることを伝えるべく、圧力に屈せず世界がその事実に目を向けるよう作品を発表し奮闘する物語だ。撮影意欲をなくして自堕落に生きていたユージンだが、アイリーンに渡された資料を見て水俣で写真を撮ることを決意する。暮らす人々も写真撮影に最初から協力的なわけでもなく、度々邪魔が入り、思うように進まない。そこにユージンとアイリーンのラブストーリーが入る。心が折れかけ、失いつつある撮影への興味を引き戻してくれる子供の存在など、感動を誘うストーリーの組み立て方は良くも悪くも極めてハリウッドスタイル。映画の力強さが、決して画面以外に目を向けることを許してくれない。 あの有名な入浴をする母娘の写真に、撮影への演出がなされていたというのは驚きでもあった。言われてみれば当たり前のことなのだが。どこかでドキュメンタリーは演出しないと思い込みたいのかもしれない。ユージンとアイリーンが、あくまでも目の前に生きる”人々”を撮ろうとする姿に心動かされる。写真の持つ力への敬意も感じつつ、映画の力を改めて強く感じる。作り手たちの並々ならぬ熱意を見逃さないでほしい。 * こちらも闘いの物語だ。耳の聞こえない主人公ギョンミ(チン・ギジュ)が殺人鬼(ウィ・ハジュン)から目をつけられ、逃げ回る。「殺人鬼から逃げる夜」というタイトル通りのサスペンス。理由なき無差別殺人とのことだが、先日の小田急線のフェミサイドの件もあって、本当に無差別なんて存在するのだろうかという疑問とその拭えなさに板挟みになっていた。物語の中では男性も殺されているので、それだけでいえばフェミサイドではないのかもしれないが、狙われる主人公が女性で、しかも耳が聞こえずうまく言葉を発せずに自力で助けを呼ぶのが難しいという設定に、容赦なく襲いかかる犯人が憎い。『シャイニング』へのオマージュもあり、逃げ回るギョンミをじわじわと追い詰めていくスピード感に加え、まるでサラウンドで聞こえるかのような立体的な音楽がより一層恐怖心を煽る。 犯人はターゲットを見つけたら執拗に狙うゲーム感覚で相手を追い詰める。容姿は今時風の細身なスタイルだ。一方で、帰ってこない妹を心配する兄は軍人タイプのマッチョで、妹を溺愛する韓国の昔ながらのキャラクターだ。警察の無能ぶりにはいらいらさせられつつも、犯人像と対照的な、主人公と母親、被害者の妹と兄という二組の家族の物語造形も面白い。特に主人公と同じく耳の聞こえない母親(『はちどり』でも素晴らしい演技を見せてくれたキル・へヨン!)との関係性が素晴らしかった。雰囲気も似ていて親子に見えてくる。話の通じない相手に対してそれでも闘うことをやめない姿勢を貫き、伝えようとすることに感動を覚えるのは、同じ言語を話しても何も伝わらないこの国の現状に疲れて、どこかで諦めてしまいたくなるからだろうか。母娘が旅行しようと約束するチェジュ島は本当に素晴らしい島なので、いつかまた気軽に旅行に行けるようになったら行ってみたい。 * 別の意味で恐ろしい映画『恐るべき子供たち』が4Kレストア版で再び上映される。ジャン・コクトーとジャン=ピエール・メルヴィルの才能がぶつかり合い、モノクロの世界から邪悪な美しさがほとばしる。美しいものは実におそろしい。美しさは善悪とは関係がないから恐ろしい。美しさに囚われた人間は、その前に何をも否定する力を失う。同級生の少年ダルジュロス(ルネ・コジマ)が投げた雪玉のなかに入っていた石があたり、ポール(エドワード・デルミ)は意識を失う。なんともこのシーンからして素晴らしい。本当に小石が当たって意識を失うとは思えないが、特別な相手が投げたのだからそこらの石ではないわけだ。つくづく詩人はおそろしい。 ポールと、怖いもの知らずな姉エリザベート(ニコール・ステファーヌ)は極めて親密な距離にある。親の死を経験して突然に自由になってしまう少年少女。事故死してしまうエリザベートの婚約者など、死者たちに囲まれていても、死は恐怖どころか、いつだって子供たちを自由にしてしまう。軽やかに人生のお遊戯を続ける。いや、本当に子供なのだろうか。大人びて子供にも見えなければ、大人にも見えない。この天使たちにはまるでそれぞれの人物の境界線がないかのように、性別も年齢も善悪さえも持たずに自由に浮遊しているのだ。そしてただ、同時に何かの虜になることを夢見ている。 前に萩尾望都さんが漫画化した『恐るべき子供たち』も読み、実にうっとりした。ダルジュロスと同じ顔をもつ少女にポールが恋をするというモチーフは『トーマの心臓』でも登場する(こちらは『悲しみの天使』が元だが)。これは永遠に完治することのない病のようなものだ。このようなテーマにはやはり抗えない魅力を感じる。どうあがいても、自分の力ではどうにもならない。やけっぱちになるわけではなく、どうにもならないものと出会いたいと思うのは、生命力の根源だという気もするのだ。 (女優・文筆家) |
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