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評者◆粥川準二
対話を通じたリスクコミュニケーションを学ぶ機会は奪われ続けている――今のパンデミックが終わっていないのに、次のパンデミックや災害が不安になってきた
No.3512 ・ 2021年09月18日




■八月一〇日、二度目のワクチン接種を広島市内にある商業施設内の特設会場で受けた。持病があるので、そのことについて問診担当の医師に尋ねようとしたら、「受けるつもりで来たんでしょ?」と遮られた。「そういう医師の傲慢な態度が人々を医療(ワクチン)から遠ざけるのでは?」と思いつつ、次のブースで注射を受けた。一五分ほど待機してから会場から出ると、「ワクチン接種者特別サービス」というポスターを見かけた。この商業施設に入っている飲食店などでワクチン接種をしたことを示すと、ドリンクがサービスされたり、商品価格を一〇パーセント割引されたりするという。これは行動経済学でいう「ナッジ」に相当し(後述)、なかなかいい戦略だな、と思って会場を後にした(時間がなくて利用しなかった)。
 二日後、地元紙『中国新聞』の記者が筆者を訪問した。記者によれば、飲食店やホテルでワクチン接種を終えた人の料金を割り引く「ワクチン優待」について意見を聞きたいという。筆者は、もうそろそろロックダウン実施も検討すべき時期に来ていること、ワクチン接種は義務ではないが「努力義務」とされていることを前提に、「自分を守ることがそのまま他人や社会を守ることになる」という感染症の特徴や、J・S・ミルを援用した「自由」の定義を話した。そのうえで、「ワクチン優待」という「ナッジ」は集団免疫の獲得を目指すために有効な選択肢の一つであろう、と話した。
 ナッジ(nudge)とは、「(肘で)そっと突く」という意味で、行動経済学者たちによれば「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく」、人々の行動を変容させる方法論である。「自由放任」でも「押しつけ」でもなく、「より望ましい社会への新たな道」として、近年、注目を集めている戦略である。「ナッジは命令ではない。果物を目の高さに置くことはナッジであり、ジャンクフードを禁止することはナッジではない」(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン『実践行動経済学』、日経BP社、二〇〇九年)。ワクチン接種者に一〇〇ドルを渡すのはナッジとはいえないが、一割引程度であればそれはナッジのようなものだろう、差別にも強制にもならないはずだ、と筆者は話した。
 『中国新聞』は、ワクチン優待サービスを始めた飲食店やホテルを取材したうえで、筆者の話を次のように要約して紹介した。「割引率が10%程度であれば、未接種者に対して不利なレベルとまでは言えず、集団免疫の獲得を進めるのにもいい。ただ、サービスが過剰になると差別問題になりかねない」(江頭香織「「ワクチン優待」広がる 未摂取者への配慮課題」、八月二六日)。最後の一文は、筆者はこう言ったかどうかを記憶していない。また、「未摂取者への配慮課題」が見出しに含まれたのは、その通りとはいえ、やや気になる。
 臨床心理学者ヘザー・グリーンらは「反ワクチン」について、その原因の一つがメディアであると指摘する。彼らが問題視しているのは「「ワクチンの接種をためらっている人がいる」というニュースが連日報道されていること」だ。「ワクチンに対する姿勢に限らず、人の判断は他の人がどうするかという社会規範に大きな影響を受けます。例えば、アメリカの大学生647人を対象とした2020年の研究では、新型コロナウイルスワクチンを重要視する仲間が多いと感じている大学生は、「自分もワクチンを接種したい」と答える可能性が高いということが分かっています」。その研究を踏まえ、グリーンらは「ワクチンの接種をためらう人がいることがメディアで大きく取り上げられると、その考えが多くの人に広がってしまいます」と指摘する(無署名、「反ワクチンの拡大は「メディア報道が原因の1つ」との指摘」、Gigazine、八月一四日)。
 私見では、メディアも行政も大学当局も、ワクチン接種は義務ではないと述べ、「未摂取者への配慮」を強調する傾向がある。一方で、ワクチン接種が努力義務であること(予防接種法第九条)はあまり述べられないし、未摂取者と接触する人への配慮はあまり強調されない。グリーンらが指摘しているように、人は社会規範の影響を受けやすい。メディアは、もし感染拡大の抑制に貢献したいのであれば、ワクチンを積極的に接種した人のことを伝えたり、未接種者と接触する人への配慮も強調したりすべきであろう。
 一方、リスクコミュニケーションの専門家である田中幹人は「接種を受けないという選択肢も受け入れて一緒に考えてみる」ことを提案する。たとえば「感染しても重症化しにくいのに副反応が重い」と理解している若者が、遠くまで行ってワクチン接種し、副反応に耐えることに消極的なのは「合理的」ともいえる。「一方、大学で集団接種の機会を設けるとあっという間に8割くらいが接種を受けます。大学生だと単位取得や卒業への必要性やサークルの人間関係のインセンティブから接種しようと思うわけです。/ここにはより健全なリスクコミュニケーションの機会があります。例えばサークルで接種できない人がいればどうやってサポートするかを皆で話し合う。人間には他人のた
めに役立ちたいという利他的な面があるので、これが最後の一押しとなり、迷っていた人が接種することもあります」
 田中はその主張を「対話を通して互いが学んでいくことがリスクコミュニケーションの基本です」とまとめる(青木良樹「「脅しのメッセージ」は効かない…リスクコミュニケーションの専門家が語る今後の新型コロナ対策」、FNN、八月一七日)。
 筆者はワクチン普及による集団免疫に期待しているが、ワクチンが完璧ではないことも承知している。現政権はワクチンばかり強調し、しかもそれさえ不十分なままオリンピックを強行したように見える。対話を通じたリスクコミュニケーションを学ぶ機会は奪われ続けている。今のパンデミックが終わっていないのに、次のパンデミックや災害が不安になってきた。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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