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評者◆睡蓮みどり
まさに今こそ見て欲しい作品――スザンナ・ニッキャレッリ監督『ミス・マルクス』、石川梵監督『くじらびと』、ソニア・リザ・ケンターマン監督『テーラー 人生の仕立て屋』
No.3511 ・ 2021年09月11日




■『ミス・マルクス』。この映画と出会って本当に良かった、と心から思っている。カール・マルクスの娘、エリノア・マルクス(ロモーラ・ガライ)、通称“トゥッシー”の半生を描いた本作。経済学者である父マルクスの死後、六人兄妹の末っ子エリノアが自分自身の人生を手にしようともがく。
 彼女自身の人生の中心になってくるのは、社会主義者にして劇作家であるエドワード(パトリック・ケネディ)の存在である。エドワードは既婚者であったため、正式ではないものの“妻として生きる”ことをエリノアは選択する。
 エリノアの願いは決して特別なものではない。“マルクスの娘”でいることでも“家族思いの末娘”でもなく、ただ一人の人間として、他の誰でもない自分の人生を生きてみたいと願う気持ちだ。そんなときに目の前に現れたエドワードが、誰もが呼ぶトゥッシーではなく、エリノアと本名を呼んでもいいかと尋ねた瞬間、どれだけ嬉しかっただろうか。たとえひどい浪費家で、女癖の悪いプレイボーイだとしても、だ。労働者階級の研究をしているのにホテルを豪華な花で囲み、高級レストランに行こうとするなど矛盾に満ち溢れ、はたから見ていれば、さっさとこんな男と別れればいいのにと思うだろう。彼女の真面目さ、根本的な寛大さにエドワードはつけこんでいるように見える。彼女がエドワードを分析して責めても仕方がないというのは、納得することで自身を守るためだろう。良き理解者も彼と一緒にいては危険だと忠告するが、恋をしている彼女は耳を傾けない。というより、本当は自分でもわかってはいるがそれ以外に解決策が見つからなかったかのように映る。それでも一度傷ついた心が簡単に回復するわけではない。そして最悪の結末を迎える。
 一方で彼女が女性たちの権利を獲得すべくスピーチするその声は、まっすぐに響き渡り、聞く人々の胸に入り込むのが伝わってくる。エリノアの苦しみや、思想と現実での生活の矛盾は、結婚制度や自由恋愛、そしてあるべき家族像に苦しめられているように思う。「子供を産むのは女性の喜び」だとエリノアの友人女性がいうが、本当にそうだろうか。生物学的に女性しか産めないということはあるものの、それがイコール女の喜びとは言い切れない。けれど社会はいつでも「男に愛されることこそ女の幸せ」をはじめとした女性の喜びやら幸せを勝手に決めてくる。
 もうひとつ、大きな矛盾がある。弱者の味方というグループ内におけるさらなる闘争。そのなかで女性たちの権利はないがしろにされるということだ。現代でも弱者の味方だとか、リベラルだとか言いながら、女性の権利となると邪魔をしてこようとしたり平気で踏みつけたり、性的に搾取しようとしてくる人は大量にいる。フェミニストでいることは疲れる。最初から敵だと思っていた人に裏切られても何とも思わないが、仲間だと思っていた人に裏切られることは辛い。多くの男性にとって、女性の権利は常に他人事なのかもしれない。
 もしエリノアが男性だったら。もちろんそんなことには何の意味もない。彼女は女性として生まれてきて女性として生きているからだ。それでもつい、そうしたらもっと苦しまずに済んだのだろうかと想像してしまう。ダウンタウン・ボーイズのパンク・ミュージックにのせられた内なる魂の叫びが響く。明かされる父の不義理や度重なるパートナーの裏切りに、それでも魂をすり減らさないように聡明に生きた彼女。これは現代でもひしひしと続いている話だ。だからこそ、女性たちは分断すべきではないと私自身は思っている。シスターフッドいう言葉はカタカナで入ってきて少し軽いものだと思われるのだろうか。フェミニスト同士であっても意見が違う人がいるのは当然のことという上で、簡単に分断すべきではないと感じている。まさに今こそ見て欲しい一作である。

 「年に10頭の鯨が獲れれば村の人全員が生活していける」という1500人ほどが暮らすインドネシアのレンバタラマレラ島にある村からは、敬虔なカトリック教徒たちの祈りの声が聞こえてくる。捕鯨活動は世界でも反対されているが、彼らは必要なぶんだけを生きるためにとる。職人が作る船にも魂が宿っていると考えられており、鯨をただ狩りの対象としてではなく、共に生きる命として尊敬しているのが映る。写真家でもある石川梵が撮影した「くじらびと」たちの生活の様子は驚きの連続だ。船と共に画面は揺れ、クジラの血の色が目の前を染め、思わずその匂いさえ想像させる。そして何より、巨大なクジラが解体されていく様には驚かされる。子供たちは切り分けられたくじらの肉を持って周りではしゃぐ。この村に生まれたら漁師になることを夢見るのが当たり前だった。その時代から変わりつつあることもカメラは映す。美しさと壮大さだけでなく、生きることの根源が問いかけてくる。

 美しい海とまばゆく白い建物が並ぶギリシア。一度は行ってみたい国だ。だがギリシア危機後に失業率も増え、時代と共に、スーツを着る人が減り、街はファストファッションを着る人たちで溢れかえる。時間もお金もかかる服をオーダーすることはハードルが高い。『テーラー 人生の仕立て屋』の主人公ニコス(ディミトリス・イメロス)は父親と二人暮らしの、内向的でコミュニケーションが決してうまくない男性だが、ひょんなことからウェディングドレスを作ることになる。人生に一度のドレス作りにはそれぞれのこだわりがあり、集う人たちは目を輝かせる。隣人のオルガとその娘もまた、テーラーの仕事を手伝うことで距離を縮めていく。彼にとってテーラーは単なる仕事ではなく、外と関わりを持つ手段そのもの。いつかギリシアを訪れたら、ドレスをなびかせた車で走るニコスに会えそうな気がする、なんとも爽やかな風の吹きぬける映画である。
(女優・文筆家)







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