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評者◆凪一木
その110 虫男の最期
No.3511 ・ 2021年09月11日




■バチが当たったんだろう。皆そう言っていた。
 虫男の死についてだ。
 ああいう平然とパワハラをしている人間は、人を不愉快にするだけで、誰のためにもなっていない。辞めた人たちやその家族の人生にもダメージや影響を与えている。会社にとっても、たくさんの人間が辞めることで、評判はもちろん、人員が入れ替わるのは収益の面でも社外イメージも損なう。現場の雰囲気も当然悪くなる。人件費も余計にかかって、人も育たず、何も良いことはない。
 なぜ今まで放置したのかは、日本社会の怠惰や狡さの問題と繋がっている。死ぬ前に、虫男に対して、私は何か一言言っておきたかった。いや、どうしたって、言うつもりではあった。元いた下請け会社にも、元請けに対しても、アクションを起こさなければ、この業界は変わらないと思った。犯人が死刑執行されて、この世にいなくなったときの、殺された被害者の遺族の気持ちは、こんな感じではないかと想像する。それぐらいに悔しい。
 あんな奴は、罪を償うことはなくとも、罪の重さを知ることもなくとも、被害者の無念による怒りぐらいは知らせておかなければ、間尺に合わない。
 「死ぬこと以外は掠り傷」という言葉もある。だが、あのとき味わった理不尽な悪意は、掠り傷では済まなかった。あの男だけの問題だとは思わない。天皇制を存置するこの国のスタイルが悪影響を及ぼしていると思う。つまり、ああいった人間であっても、立場や階級が上と認められたなら、その人間を無条件に「手厚く」特別待遇で、扱ってしまう傾向が、この国の多くの人間、私の見てきた同僚たちには「ある」のである。仕事もしない、出来ない奴であっても、上にいるだけで、「お疲れ様です」「ご苦労様です」となってしまう形は、天皇制のあることが一因だと私は思う。なぜアンタッチャブルを作るのか。
 虫男は、結局たくさんの人間を退職に追い込んで、その人間や家族、会社にも被害や打撃を与えたことを考え合わせると、虫男こそが「仕事の出来ない」人間の最右翼と言っても良い。前回書いた男のブログで、「仕事のできる男」などと紹介されている評価は、正反対の誤りということになる。
 ブログ男に関して、少し補足すると、彼は七〇歳過ぎまで、現場のキングギドラと呼ばれる三人のパワハラトリオに、自ら入れたコーヒーを毎朝、ヨロヨロと腰を曲げ、他のたくさんの管理員がいる中を縫って運び、「どうぞ」と猫なで声アンド気持の悪い笑みで差し出すのである。三人は、まんざらでもないというふうに、その温そうなコーヒーカップを手にし、いよいよ朝礼が始まるのである。ブログ屋のMという苗字をもじって、「喫茶M」と呼ばれていた。
 虫男は、ビル管理業界自体にとっても害悪だ。人間を育てることを放棄した人間がのさばることを許す会社が、さらにのさばることにもなるからである。業界の仕事、そして人間の質をも下げていくことになる。だから、まともな人間は、たとえそこそこの待遇であっても、この業界には寄り付かなくなる。虫男は、少なくとも上に立つべき人間ではない。下手をすると死人が出る。出ても、あの男は平気であり、根本的に悪人だろうと思う。そいつが死んだ。
 驚いたことに、あの安住の地だと思われていたパワハラ全開現場を虫男は死の直前に辞めていた。別のビル管理会社に移り、そこへ出勤途中の朝、心臓発作で倒れてそのまま亡くなった。
 「一二月に辞めたと聞いたよ」「まさかボーナス前に辞めたのか」「そんなはずはないよ。あの男は、一日の差でも計算して、どうやったって、貰うよ」「むしろ、二重に貰う作戦でも立てるような男だろう」「意地汚く、弁当でも食いに不要出勤した日に倒れたんじゃないの」「あの男ほど、死んでも良い言葉を使いたくない人間はいないよな」。
 人生は、そのときどきの通過点はあっても、ゴールが途中に訪れることはない。これで良いやというゴールがあって、老後とか、残りの余生としての仕事とか、そういうものは訪れない。一生生活できるだけの金額のお金が貯まっても、それでゴールになるわけではない。人生はそういう風にはできていない。虫男も、パワハラより前にそういう人生が災いしていたのだろう。
 波風を立てるのを嫌う日本人の性質を美徳などと言って、その性格を利用して、中小企業のズルい経営者などは、アルバイトに対して、有給休暇も、ボーナスも、平気で与えない。妻に、「なぜ言わないのか? 労働基準法違反だろ」と言うと、「そんなことしたらクビになる」と言う。びくびくと我慢することがまた、虫男の横暴を許している。
 世の中に正当な評価などというものはないだろう。実力の世界と言いながら、スポーツ競技の代表レギュラーは監督の意向による。権力を持つ者の悪意にも左右される。可哀想な者、不遇な人というものをずいぶん見てきた。だが、虫男によって、まさか自分がそうなるとは、なってみて初めて、思っていた以上に嫌な気持ちだった。
 奴隷は奴隷を生む。怒鳴る。パワハラする。それだけで仕事の出来ない人間だ。仕事の「出来る、出来ない」の基準の第一は、私はそれだと思う。
 元同僚「喫茶M」のブログにおいて、虫男がいかに仕事の出来る男と評されても、所詮は全体を見ていない戯言だ。
 〈求人広告などには、ビル設備管理の仕事、と出ているはずだから、何の仕事かも解らずに来た、とは言えないはずだが、そういう仕事を目指すというのでは無く、やれそうなら何でも良い、と言う人がほとんど全部に近かった。特に知識が無くとも、何回かやれば、つまり、回数で覚えられる、と言う仕事、いや作業もそれなりにあるから、なんとかなるだろうという程度の気持ちで来た人でも、それなりには勤まる、と言うのが、吹きだまりのビル設備管理の現場だ。(中略)まず、ビル設備管理の仕事をしよう、と言う自覚のない人が普通、というのが吹きだまりなのだ。(中略)安い、ということは、能力は不要、と言っているに等しいのだ。そういう現場にいて、能力について考えても始まらないだろう。(中略)様々な雇用形態の人がごった煮のように集まっている現場のレベルは、誰が考えても高くはない。(中略)吹きだまりに流れてくるような人たちだから、レベルが高いわけはない。というより、低くて当たり前で、何らかの理由で、まれに、奇跡的にシゲさんのようなレベルのことが来る、というだけだ。〉
 この「シゲさん」こそが、虫男であった。
 その奇跡が亡くなったのである。
 ご愁傷さま。
(建築物管理)







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