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評者◆凪一木
その109 警備のヤスパースふたたび
No.3510 ・ 2021年09月04日




■何を今さらという感じで、Sビルサービスは、前年一〇月一二日の出来事を、六月も半ばに入って、その日勤務についていた(しかし防災センターにいたわけではない)警備員三人に対し、聞き取り調査を開始した。パワハラがあったかどうかについてだ。
 このとき、三人のうち一人はその場にいなかったので答えようもない。もう一人は、的外れな男で、記憶自体なく、「そんな昔のこと覚えているわけがないだろう」と答えたのだが、これを「そのときパワハラを見ていない」と、都合よく解釈される。
 そしてもう一人が、問題のヤスパースであった。
 ショーペンハウエルなどのドイツ語の哲学書翻訳で将来を嘱望された身であったのに、一切を捨て、履歴を消し、焼けのヤンパチ、警備に身を潜めている男である。早稲田大学教授のもと、有数の研究者の一人であった。『男はつらいよ』のマドンナなどの女優として知られる樫山文枝の父は、有名な教授であり、彼に可愛がられた男でもある。天理大教授の娘との一件については既に書いた。
 四九年秋分の日生まれだ。中学で就職しようとしたが、都内の模試で上位一桁の成績を常にとるなどで進学を強引に勧められる。小石川高校を推薦されたが、いくら授業料を出してくれると言っても、働かなくてはならないわけで、どうせ大学には行く気もないから、地元の北豊島工業高校に決める。だが、そこでも飛び抜けた成績で、旺文社の全国模試で総合二位にもなる。結局、授業料のほか毎月十何万円かが支給される「給費制度」を当時採用していたのが、早稲田大と明治大の二つである。その制度での合格は、もちろん超難関である。東大なんぞ二〇〇%合格するだけの実力が必要だ。六八年四月早大入学。これは、学生運動時代の真っ只中であった。
 「そりゃあ、どちらかといえば左だろうよ。だけど、あの時代、みんながみんな運動に参加してはいなかった。文学部は革マルで、法学部は民青で、奴ら皆マルクス・レーニンが正しいって決まっていた。だから集会に行く奴らを馬鹿にしていたし、実際に文句を言ったら拉致されたのさ。全員安保反対のはずがないと言ったら、吊るし上げられた。初めから答えが決まっているなら、集会の意味が無いだろう。アンチがただ潰されるだけの集会なんて行きたくもない。デモにも一度も行かなかった。そういう人は、当時珍しくもなく結構いたよ」
 初めに結論ありきで、違う意見を言うと、異星人扱いされ、キチガイだと言われて暴力的な展開となる。女性リーダーに永田洋子みたいな奴がいて、そっちの方が怖かった体験がある。宗教の狂信者と同じだった。語っている言葉が尤もらしくとも、行動に説得力がなかった。初めから決まっているなら、議論の必要など無いだろう。
 はしかと同じで、ほとぼりが冷めると転向し、『いちご白書をもう一度』の歌詞みたいに、髪を切って就職する要領のいい奴も多かった、と言う。
 「群集の異常心理だよ。迷惑がっている学生もいっぱいいた。勉強したくて大学に来ているのに、俺みたいにバイトしながら給費で通っている奴がいるのに、奴らは部室で酔っ払っている。社青同(武闘派の黒ヘルメット)の連中もいて、授業を聴く気もないのに、騒ぎにやってきていた。隠れ左翼や「生長の家」はいた。時代が左翼一色なので、表には見えなかった。始終暴れているから「うるせえから、どっか行け」と授業中に煽ったら、また拉致された」
 大学の授業料と同様に、やはり給費でコロンバスに留学。早大と提携校であったオハイオ州立大学だ。六八年の夏から一年間ともう半年行く。映画『さようならコロンバス』が公開されたのも米在学中で、コロンバスで観る。アメリカにはマルクスもくそもない。日本はマルクス主義ではなく、マルクス・レーニン主義だったが、向こうは、非合法であれ、共産党なんてものが存在しない。即つぶされる。せいぜい社会党的な党が細々とあるだけで、ベトナム戦争反対はあったけど、日本のような学生運動の騒ぎ方はまるで無かった、と言う。反体制の過激派ではあっても、共産主義ではない。
 「日本に戻ってきたら、相変わらずだったけど、すぐに参加者が減っていった。それ以降は“うねり”が一切ない。あれはいったい何だったんだろうね。そのときだけだよね。情熱を燃やす対象が、勘違いであれ、はしかであれ、あのときだけ存在したんだろ」
 七〇年五月四日、オハイオ州のケント州立大学でのデモで、一三人の学生が射殺されたが、このときはもう帰国していた。その四日後にハードハット暴動が起きる。だが反戦運動自体は市民に不人気であった。
 そんな警備のヤスパースが、今さら左も、運動もないが、援護射撃をしてくれた。
 「奴ら、格が上だと思っている。パワハラをもみ消そうというのはすぐに分かるよ。日付言われても、その日に何があったかなんて日記でもつけていなければ、分かるはずもない。だけど、パワハラで始終凪さんがやられていたことだけは確かだ、と言っておいたよ。問題の本質はその日にどうこうではなくて、パワハラの有無だろうよ」
 有り難かった。それに、いつの間にか、被害に遭っているこちらが嘘をついていて、その証明をさせられている羽目に陥っている。おかしい。
 そしてSビルサービスは、やはりパワハラの横行する会社だった。八時半の男よりもさらにひどいパワハラ男を本社で抱えているという。これ以上そういった人間を本社で引き取りたくないということで、八時半の男を何とか不問にしようとしているのだ。
 知り合いからのメール情報では、こうだ。
 〈麹町会館のSビルサービスの管理責任者にTKという人がいました。中央大法科卒、司法試験崩れです。ちなみに「八時半」氏と仲良しです。朝礼は一時間以上、パワハラ全開で、現場解任、本社預かりです。現場に出せず、首に出来ず、本人も転職出来ず。「八時半」氏も同様だと思います。抵抗が強いと、Sビルサービスとしては大人しく様子見になったのでしょう。〉
 どうやら、TKというパワハラ男と同じように、八時半の男も特に処分も謝罪もしないで済ませようとしている気配なのだ。ふざけやがって。ゼネコン体質が。
 だが、少し前から妙なことが起きていた。
 それは、八時半宛のハガキであった。
 Sビルサービスが、盛んに「コンプライアンス」と言って怖がっていたのは、むしろそっちの方であったのだ。
 なんだ、この業界は。
(建築物管理)







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