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評者◆hacker
記憶と失われたものについての寓話
さいごのゆうれい
斉藤倫作/西村ツチカ画
No.3510 ・ 2021年09月04日
■主人公は「ぼく」ハジメ、お父さんは製薬会社の技術者で、いつも忙しくしています。お母さんはいません。ですので、夏休みは、いなかのおばあちゃんの家で過ごすことになりました。「ぼく」は、飛行機が大好きで、おばあちゃんとはろくに話もせず、おばあちゃんの家の近くに新しくできた飛行場に、毎日飛行機を見に行って、一日中そこで過ごしていました。
お盆の始まる日、8月13日にいつものように飛行場に行っていると、「すごく大きく見えたり、ちっぽけに見えたりする」飛行機が降りてきます。「降りた瞬間、音もせず、ぺたんこになったように見えた」飛行機は、「ぼく」の立っているフェンスの近くで止まります。機体には「BON VOYAGE」(盆ボワヤージュ)と書いてあり、そこから小さな女の子が一人だけ降りてきます。聞けば、女の子はネムという名前で、「さいごになるかもしれない」ゆうれいだと言います。そして、彼女が乗ってきたお盆航空の機体は、次第に平べったくなって、消えてしまったのでした。 実は、お話が進むにつれて分かってくるのですが、この時代は、「かなしみ」や「こうかい」がない、「大幸福じだい」だったのです。正確には「かなしみ」や「こうかい」が何なのか、みんな忘れてしまった時代でした。ですから、「ぼく」も、それが何だか分かりません。そして、ネムは、ゆうれいの国ではどんどんゆうれいの数が減っていき、今日の飛行機「お盆航空」に乗ったのも、自分一人だったと説明します。そこになぜか、絶滅危惧種は保護すべしという信念のミャオ・ターというスマトラ虎のような風貌の女性と、「幽霊は成仏させねばならぬ」という信念の托鉢僧のゲンゾウが現れます。そして、この「大幸福じだい」と、ゆうれいの衰退の関連性は、この四人の冒険によって、次第に明らかになっていくのでした。そして、「ぼく」も、おとうさんも、ミャオ・ターも、ゲンゾウも、自分が忘れていた「かなしみ」や「こうかい」と向き合うことになるのです。ですが、それは、とても大事なことだったのです。 そして、それまで「かなしみ」と「こうかい」を忘れていた「ぼく」は悩みます。 「これが、かなしみ? ほんとうに、これが、かなしい、ということなら、 ぼくには、とうてい、たえきれない。 逃げ出したい。 でも、じぶんのなかにあるものから、どうやって逃げたらいいの?」 でも、おばあちゃんは「ぼく」に言います。 「悲しみだって、×××が、わたしたちに、くれたものなんだよ。残された者には、ありがたいものなの」 そして、「ぼく」は気付きます。 「いいも、悪いもない。あることが、うれしい」 本書は、記憶と失われたものついての寓話です。どんなに辛い別れでも、それは「ある」のです。そこから目をそらさずに、我々は生きていくしかないのです。しみじみとした読後感が心に残る本でした。 ところで、本書は、私の長年の疑問を一つ解消してくれました。つまり、旧盆から新盆に切り替えた地域では、ご先祖様たちはシャバに戻る日を間違えないのだろうかということなのですが、なるほど、お盆航空というのがあったのですね。それを予約して乗ればいいわけです。教えてくれて、ありがとうございました。 |
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