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評者◆凪一木
その107 マーシーの不正
No.3508 ・ 2021年08月14日




■「辞める辞める詐欺」と言われてから一年以上経つマーシーである。
 そもそもが、最古透の罠に嵌まってジンマシンが出来て夢遊病者状態に陥り、他社の面接試験をパスして、いよいよ当日辞めるとのことで出社したその日に、最古透が、突然「退職する」と欠勤し、来なくなったのである。そこでいったんは、「よし続けよう」となって、やる気になったのもつかの間、所長が急に消え、パワハラ新所長がやってくることになった。そこで最古透の代わりに入った新副所長のボストンが、新所長に追い出され、最新の副所長にマーシーが収まったのである。当然、そのパワハラ所長の下で、気の弱いマーシーは、徹底的に、最古透とは別の暴力にさらされる。「辞めたい病」が再発し、毎日の如くに、「もう辞める」「来週から来ない」と、所長の前では全くの借りてきた猫状態ながら、所長の消えた我々の前では、繰り返し繰り言を述べ続けるのである。
 そしてあるとき、結局ジンマシンで、急遽欠勤した。その日のことは、所長が人員不足のまま存在したかのように装い、警備の隊長から突き上げられた。この日の扱いを、マーシーは、出勤扱いで、会社に給与を請求する。これはやってはいけないだろう。なぜそんなことをするのか。しかも、コピーを残さずに、私のハンコをフェラーリに押させて、原本を見ることが出来ない状態で提出する。そこで、私は、「もしかして」ということもあろうから、フェラーリに、写真を撮って送ってこさせた。そうすると、マーシーの不正出勤受給と、フェラーリの交通費不正受給を見つける。「不正はダメだよ。会社からいつまでも追いかけられるし、遡って調べられて面倒なことになるよ」。
 だが、なぜ、そういう下らない、一番やってはいけない「お金の」ことに手を出してしまうのだろうか。
 民法一六七条一項の三「消滅時効」では、〈労働者の使用者に対する賃金請求権(退職金請求権を除く)の消滅時効期間は二年です(労働基準法一一五条)が、使用者から労働者に対する過払い部分についての不当利得返還請求権の消滅時効期間は原則として一〇年となると考えられます〉ということだ。
 マーシーは、「ならば凪さんがやってくださいよ」と言ってきた。やること自体は簡単だと私は思っている。マーシーにとって苦手なのだろうが、それ以上に権利や責任意識が低い。「マーシーは不正をする」の対偶は「不正をしないならばマーシーではない」。逆の「不正をするならマーシーである」や裏の「マーシーでなければ不正をしない」は、必ずしも真ではない。「じゃあお前がやってみろ」という言い方は、誰がやっても不正を働くはずだ、という意味でのマーシー自身の思い込みなのだ。命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である。通常の数学では、その真偽は必ず一致する(対偶論法)。
 ハッキリ言って、マーシーはお上や所属会社や上司に対して、全くもってダメだ。いや、部下の「設備の三島」にすら、まるで弱腰で、何一つ注意すらできない。国家への恭順を役目だと考えているような運動選手がいるように、親への孝行を徳目のように語る者
もいて、マーシーは、組織にとって都合の良い部品である。
 それだけ組織に従順であるのに、困ったときには、平気で組織を裏切る。会社で職務上知り得た個人情報をヤミ金業者に渡して金をもらうとか、自分が「これだけ大変なんだから」やるしかないと、犯罪のハードルを下げる。「じゃあ、凪さんやってみろ」と、まるで私も犯罪を、不正をやってみたくなる心境が分かるはずだ、とでも言いたげだ。
 新型コロナウイルスによる社会不安が広がる中、主婦や大学生などが犯罪に手を染めてしまうケースが急増しているという。
 NHKで特集番組が組まれた。五〇回以上犯罪をさせられ、警察の事情聴取をされた数日後、自ら命を絶った二一歳の元大学生が取り上げられていた。スマホには指示役からのメールが残っていた。
 「今から一時間後に現金回収は可能か」
 残酷である。マーシーもまた、所長や最古透の脅しや、魔力でもって、死に近い状態にまで、ジンマシンで、私のチェックで、不正を何とか回避できたのであろうか。
 『論語』の有名な一節に以下のものがある。
 〈父は子の為に隠し、子は父の為に隠す、直きこと其の内に在り(子路第一三の一八)〉
 父は子供が悪いことをしても庇い、子供は父が悪いことをしてもまた、その父を庇う、というものである。父が羊を盗んだと正直に話す息子を自慢した楚の国の葉公なる者に対して、孔子が「本当の正直とは隠すものだ」と反論した話だ。
 だが、これに対し法家の韓非子は、五蠹篇で同じエピソードを挙げ、「公」「私」は決して両立しないと意見している。
 日本の刑事訴訟法では、自己の配偶者、三親等内の血族などについては、その人が刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのある証言は拒むことができる。つまりは論語的な解釈だ。
 日本のカイシャ組織は、家族的であり、同調圧力がひどく、政党の組織票の温床ともなっている。
 ハッキリ言うと、マーシーは、絵に描いたような被害者面するサラリーマンだ。防災訓練で、準備不足の部下が「所長に責められ」ひどい目にあって、そのことで問われると、なんで自分が責められなきゃいけないと泣き言を、しかも、繰り返し言ってくる。それも、当人に言うのでなく、私に言ってくる。さらには、次回の空気環境測定で準備不足について、所長に「自分が」責められないか、と自分の心配をする。典型的な小市民だ。少なくとも、上に立つ器ではない。メンタルが弱いから、ちょっとしたことで落ち込み、逆にちょっとしたことで浮かれる。芯が通っていない。生きる柱のようなものがない。
 「もう辞める」と言っていたが、所長がいなくなりそうだとなると、「もうしばらく様子見する」と前言を撤回する。自分で事は起こさず、あくまで他力本願。幸せは他から持ってきてくれるものと考えている。洗濯機を二六年間も使い続けて、未だ壊れないという慎重な人間でもある。株式投資もやっていて、株価が落ちると翌日まで眠れない。パチンコも週に三回くらいは通っている。競馬競輪競艇オートはやらない。気が小さくて弱い。満身創痍、八方塞がりパンチドランカー状態のマーシーである。
 だが不正をしてはいけない。組織に依存してはいけない。自分で解決し、会社と対峙し、国とも対峙し、自分で切り開いていかねばならない。
 これは日本のサラリーマン一人ひとりの問題でもある。
(建築物管理)







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