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評者◆杉本真維子
のぞみ
No.3507 ・ 2021年08月07日




■マッチャハイが飲みたい。のびるチーズフライが食べたい。ある日、唐突にそう思った。「久しぶりにほんのちょっとだけ池袋か大山の「A」に行かない?」。思い切って家族を誘ったが、コロナ禍だし、チェーン店は味気ないし、と言って断られた。それでも、感染対策を十分にして外へは出ようという話になり、行先を決めずに上り電車に乗り込み、なんとかその気になってくれないかなと彼の襟のあたりを見つめながらひそかに願っていると、ゴトンと音がした。人身事故だった。
 少し高台になっている車窓から外を見下ろすと、地元の人たちが踏切の柵の草叢の向こうに集まっていた。隣に座っていた20代くらいの若者が、何があったんですかね? と言ってこちらを見た。とりわけ二つ向こうの車両のあたりに人がずいぶんと群がっていて、そちらのほうへ上半身をねじって見ようとする人、座席を離れてわざわざ見にいく人など、車内は非日常に少し沸いていた。
 まもなく女性の声でアナウンスが流れ、乗客は全員電車から降りるよう案内された。車両はゆっくりと数十メートル動かされ、上板橋駅のホームに寄せられた。どこへ行きます? もし池袋ならタクシーに同乗しませんか? 隣にいた若者が歩きながら話しかけてきたが、なんとなくそういう気持ちになれなかったので、丁重に断った。そのまま、人の流れに続いて前へ前へすすみ、ぐいっと押し出されるように上板橋駅の改札を出て、道なりに右へすすむと、目の前になんと「A」があった。
 のれんをくぐり、マッチャハイとのびるチーズフライを注文して、カウンターに肘をついてしずかに待った。注文したものが出てきたとき、自分が芝居をしているような気がした。何か強引な力で上板橋駅のこの店まで運ばれ、マッチャハイとのびるチーズフライを口に入れているとしか思えなかった。咀嚼や嚥下さえ、仕組まれたものの一部であるような、妙なわざとらしさがまとわりついた。
 人身事故のことが気になってネットで調べると、電車に飛び込んだのは、学生だとわかった。直前までのつらく生々しい言葉が、ツイッター上に残されているのを見て、目をおおった。そこには、「迷惑かけるけど最後だから許して」というような言葉が書かれていた。
 無味な画面のなかの「迷惑」という文字を見つめた。現状を俯瞰すれば、彼女の死が私のささやかなのぞみを掬い上げているかたちになっている気がした。それに対し、私はどんな言葉を持てばいいのかわからなかった。「世界は多分/他者の総和」(吉野弘)なのだとすれば、私も、私ののぞみも、彼女の死を構成する一部になっていたとはいえないか。何かをのぞみ、まして叶うなどということは、じつは恐ろしいことなのだと思った。







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