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評者◆粥川準二
オリンピックが加速する「矛盾したメッセージ」がもたらすことは?――ワクチンが「矛盾したメッセージ」に対して十分な免疫になるかどうかは、はなはだ心許ない
No.3504 ・ 2021年07月17日




■本稿執筆中の六月二九日現在、東京ではオリンピックの開会まで一カ月を切っているにもかかわらず、新型コロナウイルス感染症の感染者が増加している。
 そのような状況下の六月一八日、政府の対策分科会の尾身茂会長を含む「コロナ専門家有志の会」は、政府と大会組織委員会に対して、独自の提言を提出し、同時に公開した(「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言」、note、六月一八日)。
 よく知られているように、菅義偉首相はこれまで、分科会に対して、東京オリンピックに関して諮問することはなかった。しかし尾身会長らは、たとえ政府から尋ねられなくても、自分たちの考えを表明するのが「プロとしての責任」であることを表明し、この提言を行った。
 提言はまず、国内外の感染状況を手短にまとめ、人流や変異株についてのデータに基づく予測を示す。そして、たとえオリンピックが開催されないとしても、首都圏ですでに人流が増加していること、夏には旅行や帰省などで人が動くことなどを踏まえれば、急激な感染拡大や重症者増加、医療逼迫がありうることを指摘する。そのうえで、オリンピックが開催されれば、人流や接触機会がさらに増え、感染が拡大するリスクが高まると明言する。
 提言は結論のようなかたちで、「リスク分析の結果からみると、当然のことながら、無観客開催が最も感染拡大リスクが少ないので、望ましい」と断言する。また、もし観客を入れるのであれば、「開催地の人に限ること」などを提案する。
 そして以下のように釘を刺す。「政府は、感染拡大や医療の逼迫の予兆が察知された場合には、たとえ開催中であっても、躊躇せずに必要な対策(緊急事態宣言の発出等)を取れるように準備し、タイミングを逃さずに実行して頂きたい」。
 筆者が最も注目したのは、この提言が「矛盾したメッセージ」について懸念を表明していることだ。「観客がいる中で深夜に及ぶ試合が行われていれば、営業時間短縮や夜間の外出自粛等を要請されている市民にとって、「矛盾したメッセージ」となります」、「こうした「矛盾したメッセージ」が届くことは、人々の警戒心を自然と薄れさせるリスク、感染対策への協力を得られにくくするリスク、さらに人々の分断を深めるリスク等を内包し、その影響は大きいと考えています」。
 このことはすでに起きている。いま東京では感染者が増えているにもかかわらず、人流は増えている。その根底にあるのは単なる「自粛疲れ」だけであろうか? たとえば、政府が国民に会食などの自粛を求める一方で、オリンピックを推し進めること、さらには政治家など「エリート」たちが会食をやめないことなどは、「矛盾したメッセージ」にしか見えない。「矛盾したメッセージ」に直面した人たちが、政府や専門家からの要請に耳を貸すとはとても思えない。
 また、この提言が「オリンピック中止」に触れていないことについて多くの者が疑問を持ち、なかには尾身会長を「腰砕け」と罵るメディアもあった。しかし、尾身会長自身は「最終的には国や組織委員会が決めること。やると決定したわけですけど、そのリスクを、十分に認識してやっていただきたい」と説明している(千葉雄登「「五輪中止」が選択肢にないのはなぜ?提言は遅すぎた?記者からの指摘に尾身会長は…」、BuzzFeedNews、六月一八日)。
 政治学者の牧原出・東京大学教授の解説はさらに説得力がある。「専門家は提言を出す上で自分たちの役割はリスク評価をすることだと宣言し、決めるのは政治の責任だとはっきりと言いました。あのメッセージは非常に強烈で、政治は逃げられなくなったと言えるでしょう」、「もしも、あの場で専門家が五輪の中止を求め、万が一にも政府が五輪を中止した場合、『専門家が中止しろと言ったから中止した』と全ての責任を専門家が負わされた可能性があります。五輪を中止すると、財政的な負担など様々な不都合が生じます。それへの責任を専門家は引き取らなかったわけですから、私は中止を求めないという選択は長期的に見ると良い選択であったと捉えています」(千葉雄登「「東京五輪の中止を求めないという選択は正解だった」逃げ続ける政治に専門家が突きつけたメッセージ」、BuzzFeedNews、六月二五日)。つまり、尾身会長らコロナ専門家有志の会がオリンピック中止を求めなかったということは、政府や政治家にこそ開催の可否を決める責任があることをあらためて確認したのである。
 また、あまり報道されていないようだが、コロナ専門家有志の会は同日、メディアに対する要望書を公表している(「オリンピック・パラリンピックの際の感染対策を涵養する報道様式についての要望書」、note、六月一八日)。この要望書は、「パブリック・ビューイングで熱狂する観衆」、「地元出身の選手の活躍を皆で集まって応援する人々」など「慣習化した報道」が「人々に感染症対策のうえで脆弱な行動を喚起」しかねないことを指摘し、「今回は避けられなければなりません」と主張する。そのうえで、今回のオリパラは「メディア〈だけを通じて経験する〉イベント」になる必要があり、そのための報道が実現することを求めている。
 前述したように、人々はすでに「矛盾したメッセージ」を受け取っており、その社会貢献意識は掘り崩されている。メディアのなかには、現政権やコロナ禍でのオリンピック開催について、厳しい意見を伝えているところも少なくないはずだ。そのメディアがオリンピックで「慣習化した報道」を繰り返せば、人々はまたもや「矛盾したメッセージ」を受け取ることになる。その結果がもたらすことは想像に難くない。
 さて、本稿が公表されるころには、状況はさらに変化しているかもしれない。幸いなことは、ワクチン接種が想像以上に早く進んでいることだ。しかし、ワクチンが「矛盾したメッセージ」に対して十分な免疫になるかどうかは、はなはだ心許ない。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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