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評者◆凪一木
その103 怪奇渦巻く世界
No.3504 ・ 2021年07月17日




■派遣先の大手ビルメン会社の本社で、常務取締役Aと総務部長Bを相手に、こちらは、取締役部長のKと平社員「凪一木」の二人は対峙する。と言っても、このKは、私がいつもユニオンの団体交渉での直接の一番前に立ちはだかる最悪のずる賢さと最も危険な出鱈目さを持った男である。同じ会社でありながら味方でも何でもない。三方一両損みたいな敵連中(AKB)の、私はド真ん中にいるようなものなのだ。
 そこでKの茶番を見せられ、Aから「時間を割いてやっている」「パワハラは水掛け論でしかない」の二つの言葉をいただき、Bは、最初から最後まで不愉快なときの筒井康隆の風貌で、苦虫をかみ潰した顔のまま無言を通した。話が終わって、帰り際、エレベーターまで(私ではなくKを)見送りに来た。このときも、私が探りを入れるべく「悪感情を持たれたかもしれませんが」と言葉をはさむが、一切視線を合わせることなく無視された。よほど頭に来たのか、初めから含むところがあったのか、あまりにも不自然な態度であった。
 ところが、この直後に笑っちゃう話が登場するのである。いや、これが原因なのかとも思った。『エレベーターを降りて左』というコメディ映画が、三〇年前にあったけれど、まさに左に向かうとき、Kが妙なことを言ってきた。
 「凪さんから二通だよね」
 何のことかと思うと、本社宛に出した手紙は二通だよね、と確かめているのだ。驚いた。
 「いや、自分は先週出した一通ですよ」
 そうしたら、K氏は焦った顔をして驚いてみせた。というより、あと一通はなんなのだ。私こそ驚いた。「二か月くらい前に、もう一通、出してない?」
 「そんなの全然知らない。先週が初めてで、後にも先にも一通のみです」
 「Sビルサービスから、二か月前に誰とは言わないが苦情が来ているという報告があって、ああ凪さんからだろうな、と思ってたんですよ」
 「いや、自分も私以外に手紙を出すような人間は、考え付かないけれど……。だけど、私の手紙は一回だけです」
 「そりゃ参ったなあ」「それに、無記名なんて出しませんよ。署名入りで出しますよ」「Cさん(ボストン)かな。それとも辞めたDさん(樵)かな」
 「私は知りません。興味ないです」
 だが、とてもビックリした。そんな奴がいたんだ。もしかして「設備の三島由紀夫」だろうか。あるいは、Kの片腕のミニKであろうか。瓢箪から駒、棚からボタ餅、飛んで火にいる夏の虫。私のほかにもう一人、苦情を出した奴がいたんだ。

 ところが、さらに自分の勤務する現場で妙なことを聞く。
 警備のE隊長からだ。「清掃のチーフFさんから聞いた話なんだが」。
 Fがなんと、メールセンターの長であるGさんから聞いた話だという。
 所長宛に、「お前のせいで、俺の人生が狂わされた」とかなんとか書いたハガキが届いている、というのだ。なんだ、これは。だが匿名ではないという。メール便の担当者も知らないというから、この現場とは関係ないのかもしれない。どこかの現場で恨まれていて、その人が、新しく赴任したこの現場を探し当てて、書いてきているのではないか、とE隊長は言う。
 なんだか、私が疑われそうで嫌だが、とにかく、謎の手紙があちこちに、少なくとも私以外に二通も存在するというわけだ。さすがビル管だ。前にホテルに少しいたことがある。三島由紀夫が祝宴を挙げたというとだいたい見当がつくだろうが、私のいる期間でも、死ぬ前に中曽根元首相が何回か来ていた。美智子皇后が集まりなどによく使う。まあ、それほどに格式の高いホテルなのだが、この現場では、設備を相手に、おそらく内部の犯行であろう、おかしな行為が頻発していた。人の出入りの多いホテルではないから、僅かの期間しかいない私でも見当が付いた。トイレの清掃用具のキャップを外して、便器に流し込んで詰らせるのだ。外から来た人間がやるには、監視カメラの位置を知っていないと、見つからずに行うのは難しい。言いたかないが、自業自得だ。それほどに「三島・中曽根・皇后ビル」設備の連中は嫌な奴ばかりだった。
 すっかりキツネにつままれたような話が次から次と登場する。K氏は、もう一通も私だと思っていたから、今まで見たK常務史上最大の驚いた顔をしていた。
 だが、誰なのかを探そうとしても、無記名な以上は絶対に答えないだろう。答えたら、そういうことをする人間だ、と公表するようなものだからだ。そんな変な奴は、最古透ぐらいしかいないだろう、と思うが、もう消えて半年が過ぎている。たとえばフェラーリだとしても、人間というのは、そういうもので、私はあまり驚かないが、しかし、その可能性はない。
 小説よりも奇なりというのは、これなのか。人生そこそこ長いが、まだ驚かされた。
 ちょうど「ピアノマン」というNHKドラマを見ていた。二人の男が凄まじいパワハラを演じていた。原田泰造、黒田有と、今年で五一歳になる、三島由紀夫の自決年に生まれた彼らは、決して戦中派でも、戦後闇市派でも、全共闘世代でもない。新人類世代ですらない。なのに、パワハラ演技が、ブラック企業の上司が板についていて、これはこの国の伝統芸かよとも思う。ドラマの中で、「奴隷」という台詞が出てくる。あんな原田や黒田やチンケな連中の奴隷なのか。言い返すことが出来ないのか。テレビ画面に向かって、思わず私は声を上げていた。セクハラの問題もそうだが、繰り返し、繰り返し、ドラマでも、広報でも、放つことで、展開が起きる。波紋が広がる。ピアノマンがそこにいる。
 水掛け論になると言って、調査する人間が、パワハラ疑いのある側の人間である。これでは話にならない。もし真摯な対応を心掛ける会社であるなら、第三者機関に依頼するべきではないか。水どころか、熱湯でも掛けてくるつもりなのか。
 「あなたがパワハラだと言っても当人に訊いたら、パワハラはしていないという。これでは水掛け論になるから同じだ」というまやかし。
 そして、常務のBは、所長のパワハラで退職した樵さんのメールがここにある、というと「樵さんの情報を見せろ」と言ってきた。私信なので、相手の了承を取らねば無理だというと納得した。だが、なんだ。この横柄な口の利き方の男は。
 しかも実は、前に辞めた所長に、私が出した私信を、ミスなのか仕掛けなのか、現場に置いていった。それを八時半の男が読み、なおかつ、同僚たちに見せている。少なくともフェラーリは読んだ。なんだ、この魑魅魍魎の世界は。
 怪奇が渦巻いている。
(建築物管理)







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