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評者◆睡蓮みどり
天使と人魚を求めて――ロバート・エガース監督『ライトハウス』、石井裕也監督『アジアの天使』
No.3502 ・ 2021年07月03日




■その存在は何度も耳にしたことはあっても実際に見たことはなく、それでもどこかで存在していると信じたくなる架空や伝説の存在。もしそんな生き物が人間に近い姿をしていたら、話しかけたり、触れてみたりしたいという欲求を強く掻き立てられるかもしれない。まばゆい光に包まれ、うっとりするような羽を持つ人のようで人でない存在――天使みたい――というのは、優しさや美しさを讃える比喩表現であり、一種の褒め言葉だろう。「魔女っぽいね」とは散々言われたことがあるものの、「天使みたいだね」と言われたことは残念ながら私の人生でこれまで一度もない。
 日本と韓国は地理的な距離こそ近いものの、言葉も文化も当然違う。K‐POPや韓流ドラマやコスメが大ヒットする一方で、残念ながら韓国という国、ひいてはそこにルーツを持つ人々への嫌悪感をあらわにする日本人たちも根強くいる。ソウルで怪しげなコスメ輸出の事業をする兄・青木透(オダギリジョー)に呼び出され、幼い息子の学(佐藤凌)とともに韓国ソウルにやってきた剛(池松壮亮)。着いて早々、透は仕事の相棒に裏切られ、三人は新事業を開拓すべく北東部に位置するカンヌンへ向かうことになる。途中の電車の中で、歌手
のソル(チェ・ヒソ)と再会する。以前剛は、街中の小さなステージでソルが歌っている姿を見かけていた。剛たちは両親の墓参りに向かう途中だというソルとその兄妹たちに着いていくことになる奇妙な旅が始まる。
 元は人気アイドルだったが、現在は売れない歌手。芸能界の裏の顔や辛く厳しい現実が描かれる。かたや、売れない小説家である剛はソルの「悲しげな瞳」にシンパシーを感じる。
 剛とソルはお互いの母国語で会話することができない。言語が堪能な人が必ずしもコミュニケーション上手というわけではない。同じ言語でも伝わらない相手もいれば、お互いの母国語が違っても伝わる場合もある。そこに言葉を交わすということの面白さがある。互いにつたない英語で話すシーンもあるが、ほとんど喋らない幼い学がそれぞれの兄弟の間を行き来する。旅を続ける中で、「同じ天使を見たことがあるかもしれない」という共通体験がふたりの距離を縮める。もうひとつ、距離を近づけるのは共通して大切な人を胃ガンで失ったという悲しみでもある。
 日本と韓国でそれぞれに嫌悪感を抱いている人が60%以上いるとテレビで見たという理由から、日本人と韓国人の恋愛は「ロミオとジュリエット」もしくは「人間と天使」くらいに難しいというセリフがある。しかし国際結婚においても日本人と韓国人の組み合わせは双方の国で一定の割合を占める。また、いくつかの人物の設定には疑問が浮かぶ。なぜ幼い子を持つ父親がビザも取得しないまま家を引き払って異国の地にやってくるのか。妹の勉強や生活のために働くのに売れなくなっても歌手活動を続けるのは、本当に歌手を続けたいという夢
のためなのかがいまいち曖昧なところなども、責任を背負っているという人物設定をしているが故にモラトリアムな描き方だと感じる。
 重要な役割を果たす天使がいわゆる“西洋人の風貌の天使ではない”ということは重要な意味があるだろう。天使には国籍がない。二人にとって、天使がアジア人のルックスをもつことはどこか親近感を覚えるだろう。この作品において、私には天使が単に二人をハッピーエンドへと導くための奇跡的な存在だというふうには見えなかった。ソルが天使を目撃することが自分の人生の好転機になるのだと信じてやまず、必死に信じようとする力は不安なときこそ何かにすがりたいそれと何が違うというのだろう。天使は手を差し伸べて助けてくれるわけじゃない。美しく微笑み優しく語りかけてくれるわけでもない。同じ天使が見えたのなら、それは同じ時代に生きるふたりが、辛い現実を直視したくないからこそ見せた何かだったのかもしれない。このような見方は本作の制作意図ではないとも感じるが、悪魔かもしれないその存在を、しかし天使と呼ぶところに希望と絶望が混在する。「相互理解」を言葉ではなく「天使」の存在と紐づけるならば、もう少し言葉ではなく映像で語ってほしかった。

 天使がきっと幸せを呼ぶものだとされる一方で、不気味な存在とされるのが「人魚」だ。古代からたいていは人魚というと若くて美しい女のイメージを持ち、また同時に嵐を呼ぶなど不吉の象徴とされる。孤島の灯台=ライトハウスにやってきた寡黙で若いイーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)はベテランの灯台守トーマス・ウェイク(ウィリアム・デフォー)のパワハラめいた発言に苛立ちながらも日々仕事をこなしていく。嵐が近づき、ふたりは孤島に完全に閉じ込められてしまう。トーマスは、イーフレイムが死んだ水夫たちの魂が宿るとされるカモメを殺してしまったせいだと怒りおののく。
 延々と続く不穏な灯台の音、嵐の音、カモメの鳴き声、人魚の叫び、などそのサウンドデザインも素晴らしい。幽閉された、限られたシチェーションで、二人きり。そこでは極度の緊張と幻想への誘いに翻弄される。完全に音と映像と心理描写が重なり合い、立体的な体験として攻めてくる。最初はルール違反だからと酒も飲まずにいたイーフレイムだったが、しかし「俺がルールだ」というトーマスと二人きりの閉ざされた空間で酒を浴びるように飲み始め、精神的にも追い込まれていく。酒を飲んで異常なほど興奮し、過剰になっていく二人の演技に無条件に引き込まれる。ここにはルールや秩序というものが存在しない。存在するのは恐ろしい自然の脅威が迫り来るという現実だ。
 この映画では最初から人魚の存在がほのめかされている。前任の男が隠し持っていたものだろう、椅子のクッションの穴の裂け目から産み出された人魚の像は、イーフレイムの性的欲求を掻き立てる。美しい人魚との交わりを想像するも、人魚に生殖器はなく、決して交わることはできない。まるで男性器のようにまっすぐそびえ立つライトハウスの先端からはいつも明かりが放たれるが、トーマスは頑なにイーフレイムの立ち入りを禁じて、その場を独り占めする。まるで、何かに取り憑かれているように、そこに他者が入ったら死んでしまうかのように。ちりばめられたエロスのイメージと同時に、イーフレイムが一体何者なのかというミステリーが紐解かれようとする。本当の名前を隠していたイーフレイムだったが、酔った勢いでつい本当の名前は「トーマス」だと口にしてしまう。同じ名前を持つ二人の男。二人の境界線が曖昧になる瞬間だ。イーフレイムの容姿を「女性のようだ」「綺麗だ」と繰り返す一方で、「お前は寡黙でミステリアスなふりをしているだけだ」と罵る。折りの合わない二人のトーマスは時に生々しく距離を縮め、かと思うと激しく突き放す。
 美しさと邪悪さが入り混じり不協和音が響き渡り、もはや何が本当のことかさえも危ぶまれる。唯一変わらないのはそびえ立つライトハウスそのものだけであり、ついに人魚と交わることのできなかったトーマスは、乱歩の鏡地獄さながら自分自身と交わり絶頂を迎えたかと思うと、あっけなく一滴の精子となり射精されてしまう。始終、生と死の生々しさがにおい立ち、どのシーンも完璧で完全に時間を忘れて作品世界に魅了された。映画的イメージで五感に訴えかけながら人間の欲望、恐怖といった感情をえぐり出していく、この夏必見の一作。
(女優・文筆家)







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