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評者◆凪一木
その100 八時半の男
No.3501 ・ 2021年06月26日




■記念すべき一〇〇回目の連載を、こんな男の話で埋めたくはないのだが、目の前の敵と対峙せずして、一体誰と闘おうというのか。
 パワハラ防止法とは、正式名称を「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(略称「労働施策総合推進法」)という。二〇一九年五月二九日に成立し、翌年から企業でのハラスメント対策が義務化された。施行は大企業が二〇二〇年六月、中小企業は準備状況を勘案して二〇二二年四月から「努力義務化」の施行となる。これまで、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法などで定められていたセクシュアルハラスメント、マタニティハラスメントの対策強化に加え、パワーハラスメントへの対策も求められるわけだ。
 【企業に防止措置を義務付け】として、1=相談窓口を設置する。2=被害者・行為者のプライバシーを守る。3=社員研修を実施する。4=調査体制の整備。以上の四つである。
 我が社のT工業は一つも義務を守っておらず、仕方なく、派遣先の本社に手紙を出した。
 厚生労働省は、「職場のパワーハラスメント」を六つに分類し、典型例を示している。
 1=身体的な攻撃(暴行・傷害)、2=精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)、3=人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)、4=過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)、5=過小な要求(業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)、6=個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)。八時半の男は、この六つすべてに当て嵌まる稀有な例ではないか。
 一例を挙げると、1は、本を投げつけた。体当たりして、屋上へと向かった。2は、「文章を勉強しろ。新聞を読め」などの文言。3は、時間変更や予定を直前まで、知らされない。4は、直前の変更、立ち会いのあることを知らされていない。5は、全く蚊帳の外で、書類など、おそらく、見ている限りでは他の人よりも適任であろう私には振らない。6は、(設備の三島の)家からのバスの始発時間までを調べて、別の路線で敢えて時間とお金の掛かる方を選ばせるなど、介入している。
 世の中の流れから言って、こういう人物を、まともな会社は、火薬庫として、「パワハラ防止法」の時代に、放ってはおかないはずなのだが、むしろ、この現場で上手く収めてくれるなら、下手に他の現場に回して、また揉め事を起こされるよりはましだ、とでも思っているようだ。
 四月一日当日がやってきて、抜け駆けのように「八時半出勤」が、決められた。問答無用の有無を言わさぬ形で、規定事項であるかのごとくに、ほとんど闇討ちで押し付けてくる。あんな姑息なやり方には、納得できない。だが、どうにもならない。本当に民主主義が機能しているのか。
 二〇二〇年に公開された『男はつらいよ』第五〇作目の『お帰り寅さん』には、或る男の名がクレジットされていた。写真提供として、性暴力加害者で追及を受けている「広河隆一」である。不快ではあったが、そのことで監督の山田洋次や作品そのものをも評価をゼロにするべきものとは思えず、私は『キネマ旬報』ベストテンでは一〇位に挙げた。
 二〇二〇年九月八日に大麻取締法違反で逮捕された俳優・伊勢谷友介の出演する映画『とんかつDJアゲ太郎』『十二単衣を着た悪魔』『るろうに剣心 最終章』が各社、順次公開され、またされる予定であるのと同じで、参加者の一人が、参加の時点で「知らなかった」場合に、全体を左右すると私は考えていない。だが、このことによって、監督の山田洋次への私の見方は、少なくとも落ちる。広い意味で、私は「悪」には加担すべきものではないと思っている。
 渋谷のアップリンクという映画館でもパワハラ問題が起きた。この映画館は、自主映画系の重要な基地でもあった。そこから育てられたと言ってもいい監督の一人に、深田晃司がいる。二〇二〇年、彼は自身の監督作品をアップリンクで上映しないことにした。さらにパワハラ問題のあるスタッフは使わないとも宣言している。
 韓国の世界的監督であるキム・ギドクが亡くなった。日本では、その偉業をたたえる追悼記事が多く出た。だが、パワハラ・セクハラが認定されて韓国を追われ、ラトビア移住によりそこで新型コロナに罹って亡くなった。本国では、排外番組も放映されていて、日本のような「偉大」な扱いではない。映画監督ヤン・ヨンヒが、ツイッターでこのことを呟いて、情勢は変わっていく。キム・ギドクへの無神経な礼賛記事は消えていく。
 フランスのセザール賞は、アカデミー賞などと同じく国を代表する映画賞だ。ロマン・ポランスキー監督作品がノミネートされるも、彼もまたパワハラ・セクハラの認定された監督であり、セザール賞の審査委員会メンバー全員が辞任した。フランスの男女平等相や映画評論家も、ノミネートを非難した。映画という作品でさえ、人格と切り離せない部分において、要注意人物の作品は、その人間の作品ゆえに「認められない」流れである。人格と作品が切り離せないように、ましてや、仕事と密着する人格は、その実力がどうあれ、処分されるべきである。上司のパワハラに翻弄されるのは、人間である。
 良い映画の定義というものはないが、私が思うに、映画館に迷い込んできた観客である弱い人間に向かって、「人生はまだまだ捨てたものではないぞ」と励ましてくれる映画が、「良い映画」だと思っている。逆に、頭ごなしに、上から怒鳴ったりお説教してくる映画は、たとえ立派な内容であっても、決して良い映画ではない。良い上司というのもまた、同じである。
 人事部長宛ての手紙を出したら、総務部長から返信の手紙が、T工業に来て、私に手渡された。手紙に「時間を取って頂き、聴取のほどよろしくお願い致します」と書いた通り、日時を指定され、会うことになった。
 こちらは、T工業の、相変わらずのノラリクラリ出鱈目取締役部長のKと二人で、向こうは、返信をくれた総務部長と、もう一人、常務取締役が登場した。
 建設大手の子会社であるから、おそらく天下りで、エリートで、それ相応のふんぞり返った階級の匂いがする。
 案の定、とんでもないことを言われたのが、向こうの第一声であった。(建築物管理)







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