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評者◆稲賀繁美
「二而不二(ニニフニ)」と「豪猪(ヤマアラシ)のジレンマ」
土宜法龍(どき・ほうりゅう)という産婆が孵化させた熊楠曼荼羅の舞台裏――小田龍哉著『ニニフニ――南方熊楠と土宜法龍の複数論理思考』(左右社)を読む
No.3500 ・ 2021年06月19日




■南方熊楠をめぐって、昨今の研究の深化進展には、顕著なものがある。「複眼の学問構想」を副題とする松居竜五の博士論文は角川学芸賞、志村真幸の『南方熊楠のロンドン』はサントリー学芸賞を受賞。そこに今度は『ニニフニ』という聞き慣れない名辞の著書が加わった。たんなる表層の流行ではなく、ここには「学術」そのものの抜本的な問い直しが兆している。
 以下、下手なネタバレは避けたいが、冒頭から熊楠の「反芻嚥下」とゲロ「吐き戻し」の特技が、その学問姿勢の身体的方法として摘出される。この「逆流性」と「嘔吐する学問」だけでも、おそらく前代未聞だが、つづいて妖怪退散を目指す井上円了に視点を転じ、円了の定義する「真怪」を実体化せずに「不思議」なる「活物」とみる「距離感」に、熊楠の叡智を探り当てる。「活物」は福澤諭吉に由来するが、本書はついで、その慶応義塾へと選抜された若き真言僧、土宜法龍の知的遍歴に光を照射する。これは真言宗の近代に疎い読者には新知見満載。法龍が複数の筆名に「人格分裂」して演じた「逃走劇」の顛末が解明される。
 これらがさらに巧みな伏線となり、第二部に突入する。周知のように、法龍は、シカゴ万国博覧会に併設された世界宗教議会に出席した後、ロンドンで熊楠と交流を持つ。両者は巴里と倫敦とで文通を開始するが、本書はあらたに発見・翻刻された往復書簡を巻末の一次資料として、両者のいわば「掛け合い漫才」の上演を活写する。かたや「嘔吐者」、かたや「逃走者」の
ふたりは、維摩経を「舞台」の振り付けに援用する。法龍が熊楠を「舎利弗」つまり頭でっかちと揶揄すると、熊楠は、自分は「維摩居士」すなわち「菩薩」になる前の「金栗王如来」だが、まだ文殊は到来しないと、法龍に悪態をつく。熊楠を「変身」させた元凶は法龍にあったが、南方の発揮した「神通力」は土宜の予測を超えた。「不二の法門」に熊楠が感応したのもシカゴでヴィヴェカーナンダに遭遇した法龍経由だろうし、「物」と「心」の重なる位相に生じる「事」の背景にも、真言宗の近代化という宗務を背負ったモダンボーイ知識人僧侶・法龍の「事業」志向が木霊していた。両者の丁々発止たる遣り取りから熊楠の思考の彫琢ぶり、「不思議」観の正体を炙りだしたのは、本書の大きな功績だろう。
 「理外の理」が「相場師」のtact〓「やりあて」と呼応し、そこから熊楠の霊魂論が浮上する現場は、戦慄的。死者は自分の前世の様を知りえない存在だが、それらの死者に善事の営まれていることを知らせるのが供養であり、生者の働きかけが死者の解脱に奉仕する。小田はここに安藤礼二の想定する「一」志向の霊性とは異なる「不二」の源を探り当てる。
 倫敦と巴里の二都〓二兎「ロンパリ」問答(一八九四年)が「霊魂不滅」に関する「大発明」だったなら、熊楠が二度目の「大発明をやらかし」たのは、一九〇三年。通称「南方曼荼羅」と呼ばれるふたつの図が生まれ落ちる。理事の網目が無碍に交錯する「萃点」に、連鎖上の「因果」をこえた「縁」も与って生成される「事不思議」を見る熊楠。元来、法龍から示された「二而不二」など「空唱空言」と熊楠がこき下ろすところから始まった議論は、「萃点」たる一個の「心」を「数心の集まりたるもの」と観る認識に導く。一方でこれは、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の霊魂観に通じ、他方では維摩経の眼目をなす文殊「不在ノ相」・維摩「不見ノ相」(植木雅俊説では漢訳仏典の逸脱的誤訳)、すなわち「在にして不在」、結晶した瞬間には破砕して放擲されるべき境位、驚異にして脅威を「印」していたはずである。
 ……以上はまだほんの鳥羽口。由良君美はJamesとJohn StuartのMill親子の関係に拘泥したが、その裏には慶應義塾の伝統が遠望され、実はそれが法龍経由で熊楠にまで伝播していた。そんな余滴からも、意想外の学恩を忝なくした。舞台が次々と転じつつ、話題がsynchronizeしてゆく思想活劇は、熊楠の脳内の「活物」を「打楽器的」(中沢新一)に賦活する。「淫欲」を「妙想」へと昇華する「曼荼羅」の「転化」。そこで「二而不二」はbi(o)logicalの謂となり、「Aかつ非A」「Aでも非Aでもない」「分別」    の領域へと横超する理路を獲得する。これと「ヤマアラシのdilemma」(A.Schopenhauer)との関係は、本書を読んでのお楽しみ。(過剰圧縮難文多謝)







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