書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆凪一木
その99 カタギの知恵vs.武士の一分
No.3500 ・ 2021年06月19日




■派遣先会社の人事部長宛てに、苦情の手紙を出した。(派遣元の)上司に当たる男についての訴えだ。いつも酒を呑んでいるせいか、赤い目をしている、あのパワハラ所長である。
 手紙を出す行為は、当然だと私は思っている。自分の会社にいくら訴えても、その担当のK取締役部長は、「凪さんの思い過ごしではないか。そんな話は、ほかの皆からは聴こえてこないんだがなあ」というだけで、何も動かないからだ。
 あまりに理不尽な物言いをしてくる赤目所長に対して、一度言い返した。「会話を録音させてもらう」と。スマホを取り出したら、急に大人しくなり、その後は、かつてほどの居丈高なパワハラは示さないが、それはただ、警戒しているというだけであり、根本から改まったわけでもなければ、反省しているわけでもない。
 同僚は事なかれ主義で、「もう最近は、かつてほどではないのだから、このまま大人しくしてはどうか」と忠告してくる。また別の同僚は、「上手に乗り切ってほしい。辞めるのはもったいないから」という。だけど、それでは私の気持ちが収まらないのではなく、私の背中の声が収まらないのである。
 話を知る友人に、「(赤目の行為が)エスカレートして、余程に耐えられなくなったのか」と訊かれる。そんなこともない。だけど、なのだ。
 大切な人間を傷つけられて、傷付けられた彼らの気持ちを放ってはおけないのだ。傷付けた人間たちを、目の前の赤目を、そのまま放置は出来ない。俳優中山一也が、自ら降板させられた原作監督の高橋三千綱を刺したのは犯罪だ。だが、「その傷の痛みは、俺の心の痛みだ」と言い放った。言葉自体は生きている。そう思った。
 前の会社でもとてつもないパワハラトリオに遭遇した。彼らを決して許してはいない。だが、そのときは、その場ではどうしようもなかった。
 「もう辞める」と、かつての訓練校の同窓に相談したとき、「辞めないでくれ」と言ってきた友達が何人もいた。
 「凪さんが辞めたら、ぼくらの気持ちはどうなってしまうんですか。闘ってください。せめて、ぼくらの分までお願いします」
 辞めるだけなら、自分自身は、別の会社を探せばよい。それ自体、多少の負担ではあるが、大きな痛手にはならない。だが、あのモンスターはそのままのさばるだけではないか。
 実は、辞めるとき、手土産に、三人のうちの一人を「飛ばす」ことに成功した。別の部署へ異動させた。しかし、私自身は辞めて、二度の転職活動をした。いずれは、相手が死んでいない限りは、手紙の一つでも出して震え上がらせるつもりではいる。だから、今回は、もう、引き下がるわけにはいかない。このまま、事が収束しかけたからといって、まるで「なかった」かのように、事を収めるつもりはない。
 もちろんビクビクする。当然の行動だと言っても、相手は権力のある側だ。好かれたいわけではないが、派遣先や会社に対して「歯向かってはいけない」「食べさせて貰っている」という多少の刷り込みはある。奴隷とまではいわないが、「出来た社員」とは、お利口な犬のことであり、従順な腰巾着のことである。今現在、目の前にもかつてカメラマンだったフェラーリが、完全にそうなっている。見るのも嫌だ。
 妻が、夫の性欲処理の道具ではないように、部下は、上司のつまらない自尊心を満たすための道具ではないということを、どうしても、私は、このフェラーリにも示したい、自身の行動で見せたいと思ったのだ。
 「言わないで我慢している方が得だよ」と語ってくるフェラーリも、私を傷付けていることになるのだ。NOと言え。
 林養賢が、金閣寺を焼く行為に似ている。「今月今夜のこの月を」の金色夜叉じゃないけれど、どうしてもやらねばならぬ。
 精神科医が「統合失調症」なり、かつての「精神分裂病」と診断しても、その理屈が、たとえば私を説得できなければ、私はそうは思わないし、私自身もまた、林養賢同様に統合失調症ということになる。そうかもしれぬが、そうであるなら、社会の方がおかしいと私は思う。
 なぜそこまでやるのか。
 昔ヤンチャやっていじめもやったけど、今、更正している、という奴がいる。だけど、反省していても、それだけではダメだ。被害者の存在を思い出させる必要があるのだ。いじめというものの傷の深さを思い出させる。相手に伝わろうと、伝わるまいと、「嫌だったんだ」ということを、表明することは大事だ。
 『ザ・レイプ』という映画がある。主演の田中裕子が強姦される。彼女には恋人がいた。風間杜夫だ。物分かりがよさそうに、忘れろと言う。
 「裁判なんかになってさ。滅茶滅茶に傷付いてさ。それで勝ったって、何に勝ったことになるんだよ。止められないのか、裁判」
 裕子が返答する。
 「どこまで自分が耐えられるか、見てみたい気持ちがあるのよ、あたし」
 面倒くさいことになるのは分かり切っているが、私もまた止められない。降りられない。
 私自身は、もはや傷が癒えても、私は、私だけの身体ではない。存在ではない。
 俳優小沢仁志が、俺の体は俺だけのものではない。服だって、腕時計だって、俺が買ったものじゃない。スターなんてそんなものだ。自由がないとも言えるが、人のための体だとも言える。人のために使う身体だ、と。
 戦後文学が死者を背負っているように、私も、人の無念を背負って、やらないわけにはいかない。手紙を出し、話し合いの場に引きずり出す。
 聞き取り調査が始まるだろう。このとき、立場の強い方に寝返る奴がいる。現状肯定の保守主義。今ある世界を変えたくない。波風を立てたくない。揉め事を嫌う。当事者になりたくない。発言の責任を持ちたくない。誰かにやってもらう。当たり障りのない話をするようになる。日本型寄らば大樹の陰。
 だが、そうはさせない。
 一度バカにされたら、その後に解消しても、自分は許しても、相手にそれで済むと思われると、他の人間にまた「やる」からだ。他の人間に対して、バカにした行為をする。許さない理由は、許せないのではなく、仲間の思いを背負っているからだ。だから「許さない」というよりも、自分の地雷(背負っている思い)ぐらいは自分で守ろう。つまり許しても、地雷はそのまま爆発させて、存在を知らせる。痛みの事実を知らせる。これが大切。
 そうして、私は手紙を出した。
 これがまた当然のごとく火種となった。(建築物管理)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約