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評者◆中村隆之
詩人を讃えよ――私たちは人文学の環境を新たに作り直さなければならない
形象の力――合理的言語の無力
エルネスト・グラッシ著、原研二訳
No.3496 ・ 2021年05月22日




■レヴィ=ストロースが提起した、西洋の近代科学とは異なる論理に基づく「具体の科学」という魅力的構想は、その根源において、人間の美的・感性的把握に基づく論理の復権を目指していた。
 ところが、人文学の一般的環境は、いまだ「具体の科学」が提起する問題意識を共有しているとは言い難い。むしろ21世紀に求められる人文学のオフィシャルな姿とは、大学人に限るならば、数値化された合理的業績主義と競争的資金を得た研究計画でもって築かれるべきものであるかのようだ。合目的性を有する数年間の研究により短期的成果を出すこと、研究の進捗状況を毎年確認し、研究の妥当性を自己管理すること、学会で発表したり共同研究を行ったり、さらには自己プロデュースしたりして時流を意識した社会的要請に応える研究をすること……。
 21世紀の人文学者とその関係者が置かれる、こうした現状に危機感を覚える者として、私の感性に呼応する〈内なる本棚〉から本連載の最後に取り出したいのは、反動的哲学者エルネスト・グラッシ(1902‐1991)の『形象の力』(原著は1970年)、高山宏セレクション〈異貌の人文学〉の渾身の一冊である。
 本書の見立ては、明快の一言に尽きる。目指されるのは、哲学と芸術の再統合であり、弁論術に代表されるフマニスムの伝統の復権だ。著者の思想的対決相手は、なんともわかりやすいことにデカルトただ一人。なぜなら、近代哲学の出発点は、デカルトが哲学の第一の礎石とした明証性の規則にあるからだ。
 デカルトは言う。「明証的ではない原理から導き出される結論は、たとい導き出しかたが明証的であろうとも、いずれも決して明証的ではあり得ません。従って、かような原理を支えとしたあらゆる推論は、いかなる事物についても彼らに確実な認識を与え得ず、従って知恵の探究において、彼らを一歩も前進せしめ得なかったわけです」(『哲学原理』「仏訳者への著者の書簡」岩波文庫)。
 すなわち、デカルト以降の近代哲学は、論証された「真」から出発しなければならない。この知的態度の徹底は言語の厳密な論証的使用を求めることになる。ここから、弁論術や修辞学といった、反論証、非合理を取り扱う哲学の伝統は「偽」の論証として切断されてしまった。言い換えるならば、近代哲学は理性を第一に重視し、合理的に取り扱えるロゴスの問題だけに的を絞り、言語の有するパトス的効果を軽視するようになったのだ。本書の例では、ロック、カント、ヘーゲルといった大哲学者たちにとり弁論術、想像力、形象は批判すべき「非科学的なもの」だった。
 本書の執筆意図は、こうしたパトス軽視を超え、ロゴスとパトスの統一を目指したイタリアのフマニスムの伝統を発見することにある。まさに〈発見〉とは、本書の思想的典拠にしてフマニスムの伝統を継ぐジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668‐1744)が第一に重視した思考法だ。デカルトとの批判的対話を通じて、ヴィーコはデカルト哲学が前提とする揺るぎない基盤としての「知の根拠を形成すべき演繹不能の明証性の真理」(287頁)を確認する。この「第一真理」から出発するのが近代の自然科学であるが、それによりデカルトが締め出したのが、文学や修辞学のような「真理のようなもの」の領域であった。ところが、この真偽判断の根拠となる「第一真理」に先行するものがある。〈発見〉だ。ヴィーコによれば、あらゆる合理主義的思考の前には、この〈発見〉があり、これ自体は、弁論術をめぐるフマニスム的伝統の中で重視されてきたものだった。
 ここで問題は核心に迫る。私たちは、合理的言語、理性的な思考に縮減された「真理」だけではなく、「真理のようなもの」をふくめた事柄を〈発見〉することを優位とする、この切断された哲学的伝統に立ち戻ったところから、形象の力を探究すべきなのではないだろうか。
 グラッシのこうした確信を支えるのは、私の見るところ、人間とは何か、という問いにある。グラッシが人間の人間たる所以を提示するのに参照するのは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864‐1944)だ。
 ユクスキュルの『生物から見た世界』で提唱される「環世界」の概念を通じて、グラッシが強調するのは次のことだ。すなわち「動物は世界を〈記号〉によって認識するための能力、前もって完成された誤謬なく反応する能力を持っている」(73頁)。これに対して「人間は環境そのものを構築しなければならず、世界解釈の能力をまず発展させねばならず、行動の由ってきたる〈成型〉、〈観念〉からまず認識の対象とされねばならない。この過程の意味するところは、自分とは〈成る〉もの、〈自己‐形成〉するものだということである」(74頁)。
 このように環世界を踏まえたグラッシの考えでは、動物があらかじめ形成された世界に適応するのに対し、人間とはこの環世界それ自体を形成していく。これが何よりも著者が形象の力、すなわち言語による経験の確定からその拡張を生み出すメタファや、根源的なものを生み出すメタファとしてのインゲニウムを重視する所以である。
 いま私たちが資源の無際限の略奪を生み出してきた人間中心主義を問い直し、再びユクスキュルの環世界に注目し、人新世という問題意識をもつに至るのも、グラッシ流に言うならば、明証性の原理と言語の合理主義的理解に基づく近代主義的世界認識を相対化しようとしているからだ。そしてこのことは、原著出版の37年前、この反動的哲学者がイタリアのファシスト党に入党した政治的経歴や、ハイデガーに傾倒したという思想的経歴を振り返るさい、本書の試みがこうした過去の精算と捉えるべきなのかどうか、容易に裁断できない複雑さを秘めているとも言える。この点を抱えておく必要はある。
 いずれにせよ「発見」から着想される世界認識を有することを奨励する本書が真に讃えているのは誰か。それは詩人にほかならない。これは何よりも言語の詩的・創造的機能を最大限に評価する、文学に捧げられた哲学書あるいは「具体の科学」を構想する基礎文献として読まれるべきではないだろうか。高山宏は本書に寄せて次のように言う。「人文学の精髄の片鱗すら知らぬ徒輩が人文学の終りを叫んでいて、片腹いたいのだ」。その通りだ。その精髄の片鱗をさまざまに発見することから、私たちは人文学の環境を新たに作り直さなければならない。
(フランス文学)







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