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評者◆秋竜山
芸術家は芸術論がお好き、の巻
No.3494 ・ 2021年05月01日
■芸術家という存在。そして、芸術にも、ピンとキリがあるというのか。巨匠の芸術はピンで、無名の場合はキリか。芸術には、そのような差はなく、すべてピンである、といいたいところだが世間はそーはみない。そして、まったく芸術性もない〓 などともいう。こだわり知識愛好会『名言で楽しむ「世界の名画」――画家の発想を知れば、展覧会が10倍楽しい』(PHP文庫、本体七四〇円)では、世界の名画の巨匠における名言を楽しむ。「芸術」についての名言である。巨匠だからピンの名言であるのか。本書よりひろい出してみる。
〈ピエール=オーギュスト・ルノワール。―世の中にはもう不愉快なものが溢れているのではないか。わざわざ芸術のなかに不愉快なものを描く必要もなかろう。(ルノワールの晩年の言葉)〉 〈エル・グレコ。―芸術の達人といえども困難はあり、要はいかにも楽々と描いたように見せるかであろう。(エル・グレコの持論)〉 〈エゴン・シーレ。―現代的な芸術など存在しない。あるのはただ一つ、永遠に続く芸術のみである。(エゴン・シーレの持論)〉 〈ジェームズ・マクニール・ホイッスラー。―ある芸術が社会で人気があろうとなかろうと、本質とは無関係である。芸術は孤高な存在である。(ホイッスラーの美学論)〉 〈グスタフ・クリムト。―わたしは自画像を描いたことがない。わたしは絵の主題としての自分自身に興味がないのだ。わたしはほかの人びと、とりわけ女性を好むし、さらにもっとほかの存在を好む。「わたしは自分が人間として特別興味深いとは思わない。わたしは特別なことなど何もないのだ……わたしは語られたり書かれたりする言葉である芸術家としてのわたしのことを何か知りたいと思う者は誰でも、わたしの絵を注意深く見つめ、そのなかにわたしは何者か、私は何をしたいのかということを見ようとするべきである。〉 〈パウル・クレー。―芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある。(パウル・クレー「造形思考」より)〉 「芸術とはむづかしい」ものである。巨匠たちの、それぞれの芸術論も、よく考えてみると、「わかったような」「わからないような」それで、巨匠のいうことだから、そうであろうと思わせる話術のようなものを持っている。ピンのいう言葉であるから、名言となる。これが、無名な芸術家がいったとしたらどうか。キリの芸術論ということになり、誰も見むきもしないのである。そして、芸術家は芸術論がお好きである。自信たっぷりだ。こうなったら、しめたものであり、大芸術家の大芸術論となり誰もが認めるところだ.画家が作品を描き上げた時、それにともなう芸術論が必要となる。「わたしは何も申しません」では、芸術家として成り立たない。そして、名言というのは、「ひとこと」で、よいのであって、ペラペラと喋りまくるのは安っぽくなる。喋りたいのをグッとこらえる。名言というものは画家に必ずすべて、そーいうもののようである。 |
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