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評者◆凪一木
その93 設備の三島由紀夫
No.3494 ・ 2021年05月01日




■実は設備の鈴木大拙というのもいるのだが、またの機会に書くことにする。
 新入社員が入ってきた。四年前にT工業にいた、今は他社で区役所の現場にいる元銀行マンと同じ苗字だ。同じ現場で、同じ苗字の名を呼んでいると、前の人間を思い浮かべて、調子が狂う。前の元銀行員は功利主義の塊であり、父親が銀行員だったサイコパスから唯一被害を受けずに済んだ男であった。今回の同じ苗字の男は、元銀行員ではなく設備、つまり設備管理ではなく「設備」の出身ということである。これが設備といいながら設備について全く知らないのである。仮に「設備の三島」とする。三島由紀夫が天性の運動音痴な如くに、この男は全くもって天性の設備音痴なのである。
 設備の三島は四五歳である。普通の会社なら、中間管理職で、中堅の働き盛りだ。だが設備管理においては、バリバリの若手である。金の卵だ。まったくのド素人でも雇う会社はある。そこで資格を取らせて、技術を学ばせて、管理職的な責任者に仕立てていく格好の素材なのだ。三島の場合、ビルメン四点セットと言われる「危険物」「ボイラー」「冷凍」「電気工事士」のすべてを持っている。多くの若い奴は、電気工事士以外は今持っていない。面倒くさいのと、資格を持っていても、就職の際以外には実際役に立たなくなっている現状があるからだ。三島は驚いたことに、職業訓練校のような学校にも通うことなくそれらを取得した。大したものなのである。
 ところがだ。初日から、大番狂わせが続く。クランプメーターを知らない。メガを知らない。使い方ではなく、その名称からして知らない。見たことがないという。ウソをつくなよ。電気工事士の試験問題にあるし、参考書にも写真入りで載っている。それらを覚えられなければ、試験に合格できないはずだ。お前(三島)も前にいた最古透同様に資格詐称男なのか。だが違う。本当に試験には通っているが、知らない。覚えることなく通過したか、もしくは覚えても忘れてしまったようだ。
 前の仕事は「設備」といってビル管ではもちろんなく、建築とかそういう類でもない。電気配線の組み替えによるレイアウト変更に対応する監視役の補佐みたいな仕事と言っていたが、世の中には妙に楽な、またおかしな仕事があるのだ。
 知り合いの警備は、銀行の現金輸送なのだが、朝の僅かな時間を仕事すると、あとは午後三時まで自由時間である。楽な上に給料がよいので、その寮は、同じ勤務の人間が集まって棲んでいて、ひどく荒れたという。酒を飲むと血だらけの喧嘩がはじまるという。香港まで買春に行ったり、欲望と人生の行き場を失くしてしまうという。私と同じ訓練校にいた元日産栃木工場社員だった男は、初め警備につくも、今はバスの運転手だ。朝のルートを運転し終わると、やはり四時間の時間が空くという。映画を観にいくのにちょうどいいという。そういえば、元印刷屋のビル管が前にいた現場は、毎日五分しかやることがなく、あとは自由に喫茶店へ行き、映画も観にいき、一七時には帰るという現場にいた。日本橋の一等地である。オーナーの持つビルで、ビル管会社を通さず直契約だ。給料は手取りで三〇万を超えていた。マーシーの知っている現場のお寺は、一日五時間だけの週六日勤務で、普通に給料と賞与が出るという。この手の「ビル管だららん話」「まったり現場話」「楽したいなア話」には、ビルメンテナンスの面々は事欠かない。まるで刑務所内での、「あれが食べたい」「こんなイイ女とやった」といった類の与太話である。
 おそらくしかし、この設備の三島は、間違いなく、まったりな世界にいたのだ。
 運動音痴だった文豪三島由紀夫は、体育の授業に出ず、「青ジロ」とあだ名される。
 ボディビルや剣道、ボクシング、合気道にまで手を染めるが、体を鍛えても逞しさに欠ける。絶望的だったのが、やはり映画の世界ですべてに見劣りする三島である。チビで、ギョロ目の能面「近代ゴリラ」の三島は、それでも、その気になって、ダンディズムを強調し、写真集にも進出した。だが、圧倒的な下半身の弱さが浮き出てしまう。
 主演した映画『からっ風野郎』のラストシーン。笑ってしまうほどに腰から砕けて、エスカレーターのステップの上で、何が起きたのかと思うほどのハプニングで映画は幕を閉じる。撃たれて死んだのではなく、体力がなくて中断して、もう撮影が困難で、これで辞めたようなラストシーンなのである。当時の映画館で笑いが起きただろうことは想像がつく。三島は、殺し屋役の神山繁からアドバイスを受ける。「もっと派手にやらなきゃだめよ」。そこで思い切って飛ぶ。これが災いし、右後頭部をエスカレーターの段にぶつけて脳震盪を起こす。虎の門病院に運ばれた。
 自決しなくとも、テレビのロケ番組などで不慮の事故により死んでいたかもしれない。そう思わせるような、無鉄砲というよりは、世間的な「怖いもの」を知らずに生きてきたタイプである。
 また、灰皿を投げつけるシーンでも、灰皿を掴む握力に乏しいのか、うまく投げられない。野球で「女性投げ」と言うスタイルがある。三島もこれに近く、キャッチボールを助監督と一時間ほど練習してから、撮影し直したようだ。
 設備の三島は、本当に設備に向かない天性の自由な、実体のない給料泥棒であった。設備管理自体が、生産性はなく、現状維持を目指す、マイナスからプラスを目指すだけの冴えない業種なだけに、そこでなおマイナスのママを志向するこの男は、業種のダメさそのものを問う存在として現れてきたかのようだ。
 脚立に登って管球交換するという最もビルメンの花形というか中心的な仕事がある。「タマ替え」という。映画で唯一描かれたビルメン訓練校の物語『学校Ⅲ』では、主役の大竹しのぶが、晴れてビルメン会社に就職し、ラストシーンは、天井の管球を脚立に登って交換するという象徴的なシーンで終わる。
 それが出来ないのである。いや、それどころか、何一つできない。運動神経が鈍いわけではなく、頭も悪くはない。いやむしろ、権利意識が強く、少々不当な命令には一切従わない。契約と違えば無視する。正義感も強く、他人に対するパワハラ的行為を見ただけでも、絶対に許さないと、いつかのときを待っている。
 実は私はこの男が好きなのである。(建築物管理)







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