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評者◆高橋宏幸
その光の先に――高山明/Port B『光のない。―エピローグ?』(@シアターコモンズ、3月4日~11日)
No.3493 ・ 2021年04月24日




■東日本大震災からの十年。むろん、それは福島の原発事故からの十年でもある。震災後しばらくの間は、演劇も他のジャンルと同じように、「以後」という磁場のなかにあった。あの光景の後で、どのような応答が作品に可能なのか。作品にしてしまうことに対して、たじろぎながらも結実させることに緊張感が漲っていた。表象不可能性、当事者性、鎮魂や癒し、カタルシスなど、さまざまな言葉が作品を取り巻いた。
 高山明は、ノーベル賞作家であるエルフリーデ・イェリネクが福島原発事故に触発されて書いたテキスト『光のないⅡ』を用いて、同名の作品を2012年の「フェスティバル/トーキョー」で上演した。これもまた震災と原発という文脈における一つの応答だった。その作品がおよそ十年を経て、3・11の前後に、シアターコモンズのプログラムの一つ『光のない。―エピローグ?』として、新たに作り直されて上演された。
 基本のコンセプトや作品の骨子は、今回も変わらない。観客というよりも参加者は、新橋駅前の雑居ビルの一角に、それぞれ指定された時間に集まる。携帯ラジオと地図がついたポストカードを渡されて、一人ひとりが時間差でスタートする。そして、いくつもの指示された場所でラジオのチューニングを合わせる。そして、ラジオから流れる福島の高校生たちが朗読するイェリネクのテキストに耳を傾ける。
 たとえ十年近く前の作品としても、『光のないⅡ』のことは、はっきり覚えている。最初に指示された場所は、新橋にある東京電力本社ビル前の、都会の片隅に空いたエアポケットのような小さな公園だった。まだ反原発デモの余韻が消え去らぬ頃に、デモコースを逆走するように作品は始まった。そこから、いくつもの場所をめぐる。雑居ビルの一室に設えられた無骨なインスタレーション、写真パネル、映像やショーウィンドウなど、十箇所以上のスポットのどれも、原発事故をモチーフとしていた。
 猥雑で活気ある新橋という街を体感しながら、原発事故を象徴させる異物が挟まれる。さらに朗読されるイェリネクの、なかば抽象化された原発事故にかんする散文詩のような言葉たち。その圧倒的な言葉の量と質が、たとえそれぞれの場所での朗読は断片化されているとはいえ、まるで渦のように聞いているものの思考を巻き込む。街を歩いて聞くだけなのに、いつしかふだんと変わらない新橋という街が異化される。同時に、街ゆく人々にとっては、ラジオを片手に佇む参加者たちが、街に投げ込まれた異物に映るだろう。なにをしているのか分からないが、ときおり時間差で来ては、もの思いにふけり、街角の景色を眺めるものたち。
 やがて、徐々にだが、その空間を歩く参加者たちは、この煌々ときらめく街の光はどこから来るのか、光をつくり出した福島の原発と、その光を享受している東京に住む自身に思いいたる。なにも反原発や脱原発を声高に謳うものではない。だが、その光の先へと思いをめぐらすことを促されるようなのだ。最後には、出発したビルの屋上に戻る。そこに置かれたポストカードには、福島の第一原発事故から数十キロメートルおきにとられた空の写真がある。30キロ圏内からはじまり、それぞれの地点で撮られた空の写真には、当たり前だが境がない。同じ空の写真に、東京と福島を隔てる物理的な壁はないことを気づかせた。
 今回の作品『光のない。―エピローグ?』は、前作が福島の第一原発と東京との地理的な距離をイメージによって融解させたことに比べたら、むしろ十年という時間的な距離を映した。たとえば、渡されたポストカードの写真や場所は、前回と同じものもあれば、異なったものもある。訪れる場所も十年という歳月を含めて、変わった場所は多い。しかし、福島の第一原発事故にかんするモチーフに変わりはない。むしろ、現在の状況を、コロナ禍を含めて、街の風景から映し出すからこそ、震災からの時間という距離が浮かぶ。
 たとえば、一つのスポットでは、街中の壁に貼られた写真パネルがある。それは、かつて原発事故直後の避難した住民たちの集会だ。多くの人たちがマスクをして、飛散する放射能を警戒した。かつては原発事故の象徴であったが、今となってはコロナ感染防止のためのマスクが、その写真を違和感なく街に溶け込ませる。また、コロナは新橋の街もかつてに比べれば閑散とさせた。それも震災直後の東京の街の光景だった。あのとき、電力消費を控えるために一様に街から人の姿は消えていた。
 だから、前作を体験していなくとも、事故直後の原発事故をモチーフとした写真や朗読を聞くだけで、現在と3・11との時間的な距離をイメージさせる。そして、あれからなにが変わったのか、と。その光がつくられた先で起こっていることは、まだ続いている。たとえその光への畏れが風化しつつあっても、原発事故の後処理は、十年という月日が経過したなかでも、なにも終わっていない。地理的空間から時間的空間へ。その距離をイメージによって溶かしたのが、今作の『光のない。―エピローグ?』ではないか。







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