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評者◆秋竜山
ここぞとばかりの「シー」、の巻
No.3493 ・ 2021年04月24日




■よく、暗がりの中の映画館、上映している映画を観ている中を、隣の席などで、ボソボソと話をしている。そんな時、「うるさい」と、言葉では言わないで「シー」と、やる。うるさいから「やめろ」と、いう意味である。それをやられると黙るしかないだろう。相手の言葉を制する意味で、この「シー」がもっとも有効である。やるほうもやられるほうも、了解という意味で黙ってしまう。考えてみると、この「シー」というのは何なのか、意味はわかるが、なぜ「シー」なのかよくわからない。
 岡崎武志『古本で見る昭和の生活――ご家庭にあった本』(ちくま文庫、本体八四〇円)で、
 〈ただ、六〇年代から七〇年代にかけて、学生街にあった「ジャズ喫茶」と呼ばれる形態の不思議な熱気を、それを知らない世代に、どうやって説明しても伝わらないだろう。「たいてい、地下とか二階にあってさ、ドアを開けると、いきなり耳を押さえたくなるような馬鹿でかい音が鳴っている。店内は薄暗くて、私語はいっさいない。というより、喋り声なんか聞こえないんだよ。みんな腕くんでうつむいているか、難しそうな本を読んでて、しきりに身体や足をゆすっている者もいる。コーヒーの値段は、ふつうの喫茶店より二、三割方高くて、おそろしくマズいの。便所は汚くて、壁は落書きだらけ」〉(本書より)
 ジャズ喫茶なので、うるさいくらいの音楽の中で、わかってか、わからないのか知らないが、黙って聞いているのである。そんな中で、私語のようなものを発すると、とたんに「シー」をやられてしまうのである。ここぞとばかりの「シー」である。隣の席からだろう。もちろんやった者の顔もはっきり見えるわけもない。薄暗がりからの「シー」である。やられたほうにしてみれば、やられた自分がわるいとばかりに黙ってしまう。やられたから、今度いつかやりかえしてやろうと、いうわけでもないが、「シー」をやったりしている。
 私の知っているのはジャズ喫茶ではなく、「音楽喫茶」であった。その音楽喫茶は新宿にあり、よく出かけていったものであった。クラッシック音楽であった。みんな、ベートーベンのような顔をさせて音楽を鑑賞している。いつの間にか、ベートーベンのような顔になってしまうのだろう。モーツァルトの音楽であってもベートーベン顔になってしまう。一番ふさわしい顔つきだからだろう。私は自分からは「シー」はやらなかったが、かなりやられてしまった。一人で行った時などは喋ることはなかったが、編集者に原稿を渡すためこの音楽喫茶を使用した時とか、漫画の友達と行った時など、音楽を聞くためではなかったので、当然別の話になってしまう。「シー」であった。シーとやられると黙るしかないのである。とにかく、ここは音楽喫茶なんだから。
 それにしても「シー」とは大変便利な言葉?である。「シー」で相手に通じてしまうからだ。店内に流れる音楽を黙って聞いているもの、必ず眼をつむっている。よく見ると居眠りしているものが多かった。大きなイビキに対して「シー」は通じないだろう。
 当時は「ねくら」と、いう言葉がはやった。それが、いつしか「ねあか」に変わった。「ねくら」がはやっている頃は「ねあか」と、いうと馬鹿にするなと、いうことになり、「ねあか」が、はやると「ねくら」が、馬鹿にする言葉に逆点した。薄暗かった喫茶店も明るくされて、明るい喫茶店は喫茶店ではない!! なんて、いったりした。今は、喫茶そのものが無い時代だ。







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