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評者◆粥川準二
カズオ・イシグロの新作とインタビューから、二元論・二極化からの打開策を考える――「適切なアウトサイダー」と呼ばれる「特別な性質を持つ」第三者を定常的に関与させるべきだ
No.3492 ・ 2021年04月17日




■東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所事故から一〇年が過ぎた。新型コロナウイルス感染症(COVID‐19、新型コロナ)のパンデミックの発生から一年が過ぎた。筆者の住む広島に甚大な被害を与えた西日本豪雨から約三年が経つ。
 思い出すと、筆者は震災の直後、それまで週に数本観ていた映画を観る気がしなくなってしまった(そもそも映画館が閉まっていたが)。一カ月ほどして、ひさしぶりに観た映画は、カズオ・イシグロの同名小説を映画化した『わたしを離さないで』だった(原作は数カ月前に読んでいた)。
 その小説と映画は、あらかじめ臓器提供をすることを運命づけられたクローン人間の少年少女たちの青春群像を淡々と描いていた。筆者には、その小説と映画の世界が現実世界に重なって見えた。なぜ原子力発電所は、東京のような人口密集地帯ではなく、福島県の浜通りのような人口の少ない土地に建てられたのか。事故が起きれば、福島県の人々に重い影響があることは、あらかじめわかっていたはずだ。事故の収束にあたる作業員たちの多くが地元福島県の人たちであることも仄聞した。
 にもかかわらず、東京はわずかな放射線に怯えつつも、元に戻りかけていた。筆者はそろそろ被災地に行くべきではないかと考え始めていた。
 それから一〇年後。ノーベル賞作家となったカズオ・イシグロは新作『クララとお日さま』(早川書房)を発表した(邦訳の発売は三月二日)。人工知能を持つロボット――作中では「AF」――のクララが、病弱な少女との交流を一人称で語る。もちろんその舞台は未来であろう。イシグロ作品の語り手はしばしば「信頼できない語り手」とみなされるが、今回も例外ではない。クララは作品世界のことをわかりやすく語ってくれるわけではない。
 しかしながら、人工知能だけでなく、ゲノム編集や環境破壊、リモート授業など、われわれ読者も知っている物事がちらちらと登場することから、筆者にはこの小説の世界と現実世界が地続きに見えた(厳しい人はこの新作を『わたしを離さないで』の焼き直しと評価するかもしれない)。
 イシグロはインタビューで、この小説を書き終えたのは二〇一九年の末であり、「学校に行っていない子どもが登場したり、今回の小説がコロナ禍を彷彿させる場面があるとしたら、それは完全に偶然です」と答えている(倉沢美左「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ」、東洋経済ONLINE、三月四日)。「今回のパンデミックが私の小説に影響を与えるとしたら、それは次の小説に現れるのではないでしょうか」。イシグロは三冊目のディストピアSF小説を書くかもしれない。しかしこのインタビューの主題は、自作の解説ではないようだ。
 彼は「科学の世界で行われているやり方が非常にすばらしい」と感じるようになったと言う。「もちろん科学の世界が完璧なわけではありませんが、基本的には何かをめぐって論争が起きた時に、最終的にデータやエビデンスによって事実が判明し、間違っていた側もそれを認めて「では、次の議論へ移ろう」となるようです。科学の世界では、人々はそうやって議論し、意見を持ったり、意見を諦めたりしています」、「しかし、科学以外の世界では何か異常が起きている。これは私たちのような感情を通してコミュニケーションをする創造的な仕事をする人間にも責任の一端があるかもしれませんが、私たちは「大事なのは事実や真実ではなく、何を感じるかだ」という考えを浸透させすぎたようです」。
 その結果がブレグジットやトランプ当選であり、「エビデンスではなく、感情や意見が幅をきかせるようになってしまった」「政治や一般的な世界」だ、とイシグロは言う。
 そして彼は、自分を含む「リベラル」や芸術、ジャーナリズムにかかわる人々の問題を指摘する。彼自身にはこの問題への答えがあるらしいのだが、記事では述べていない。「それぞれがチャレンジとして考えるべき」と言うのみだが、「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」。なおイシグロは、なぜか「リベラルアーツ(教養教育)」と政治的「リベラル」を重ねている。
 一方、社会学者の寿楽浩太は、福島の原発事故やスペースシャトル・チャレンジャー号事故、風力発電を例として、そうした巨大科学技術の「安全神話」や神話的な「定説」を、科学社会学の知見を援用して批判的に考察している(「原発の安全神話の再生産をどう断ち切るか」、論座、三月九日)。
 寿楽はそうした神話の再生産を断ち切るには、「現場の外部に位置する者の目」や「適切なアウトサイダー」と呼ばれる「特別な性質を持つ」第三者を定常的に関与させるべきだと主張する。AIであれゲノム編集であれワクチンであれ、賛否を呼び、二極化しがちな科学技術の導入について議論するさいには、この指摘はきわめて重要になるはずだ。
 イシグロは「事実/感情」という二元論、「リベラルvs.非リベラル」という二極化を憂いていたが、寿楽のいう「特別な性質を持つ」第三者はイシグロの懸念にも対応できるかもしれない。
 広島では、「ひろしまトリエンナーレ in BINGO」というアートイベントが予定されていた。しかし二〇一九年一一月に百島で開催されたプレイベントが非リベラルの怒りを招いたらしい。その影響で県は体制を変更、ひろトリのリーダーたちは退任した。結局、コロナ禍を理由にひろトリは中止に。しかし百島のプレイベントでは、対話の兆しもあったのだ(拙稿「あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」論争再燃」、論座、二〇二〇年二月一三日)。筆者はいま、プレイベントの記録集が届くのを心待ちにしている(NPO法人ART BASE 百島『連続対話+企画展示「百代の過客」』、四月一日発行)。「リベラルアーツ大学」と呼ばれるであろう、広島で開学したばかりの大学の研究室で。
(叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)







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