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評者◆秋竜山
漫画家めざして突っ走れ、の巻
No.3492 ・ 2021年04月17日
■岡崎武志『古本で見る昭和の生活――ご家庭にあった本』(ちくま文庫、本体八四〇円)では、「文藝春秋漫画讀本」のことが書かれてある。本書では、〈大人による大人のための漫画雑誌〉と、いっているが、大人の漫画雑誌がアッという間に消えてしまった。大人が漫画を必要としなくなったのか。本が消えるということは、面白くないから売れなくなったということか。売れる本は消えることもなく、どんどん発展していくだろう。大人が漫画を見はなしたのか。漫画が大人を見はなしたのか、いづれにせよ大人漫画は見たくても見れない、そんな世の中になってしまった。
〈「漫画讀本」という雑誌は、一九五四年(昭和二十九)に「文藝春秋」の増刊号として創刊され、のち月刊誌として独立する。〉(本書より) 〈文藝春秋臨時増刊、漫画讀本〉に、 〈社告 本誌は英國パンチ社と特約致しました。同社発行の「パンチ」誌はつとに我國でも有名でありますが、漫画雑誌としては世界で最も古き歴史を有し、幾多の有名なる漫画家を世に出しました。本誌は漫画の面白さをより一層理解するためにパンチ掲載の傑作漫画を次々と讀者各位に御紹介致します。御期待下さい〉(本書より) 今まで、外国漫画など見たことのない人たちは、英國パンチ誌の本場の大人の笑いを見ることになる。日本で、漫画をポンチ絵と呼んだのも、パンチからという。アメリカ漫画が多く日本で紹介されていた。フランス漫画も、それに加わってイギリス漫画である。大いに期待されたのであった。 〈漫画家志望者がいた。彼は考えた。=人はなぜ笑うかを研究するのが漫画家になる一番早道だ=そこで彼は、ベルグソンの「笑いの哲學」などをひもといて、なぜ人は笑うかを分析して系統立ててみたが、遂に漫画家にはなれなかった。ヤミクモに相手に惚れる方が戀の勝利者となる。漫画家になろうと思ったら、眞實の中にヤミクモに突入することだ。笑いは眞實の中にのみある。―日出造格言集より―〉(本書より) この、近藤日出造の一文は、漫画家を志す若者たちの間で話題となった(そーでもなかったのかな)。しかし、私のまわりでは、よくこのことについて話をしたものである。漫画青年というより、漫画少年たちであった。漫画というより、恋人をいかにものにするかであった。要するに、その恋人を研究するより、何も考えないで、突っ走れということではないか。と、いう一致した意見であった。女性と話すだけで胸がドキドキしてくる年代である。そして、その日出造格言を実践して成功したものもなく、失敗に終わったもののようであった。やっぱり、我々は漫画に情熱を持たなくてはいけないと、いうことになった。だからといって、漫画家になれたものもいなかった。 〈六〇年代には「大人の漫画」の世界ではせいぜい挿絵ぐらいで活躍の場の少なかったから、この雑誌で大いに腕を振った〉(本書より) 若手漫画家も多い。すでに大家だった横山隆一、横山泰三、清水崑など始め、岡部冬彦、鈴木義司、サトウサンペイ、馬場のぼると、まるで大人の漫画家の紳士録みたいだ。外国漫画では、ヴァージル・F・パーチ、スタインベルグなど、フランス漫画傑作選では、ボスク、シャヴァル、フランソワ・デュブゥーなど、漫画讀本は七〇年の休刊まで、その功せきは大きかった。 |
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