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評者◆凪一木
その90 Sのいない警備
No.3491 ・ 2021年04月10日




■「ビル管人間S」という替え歌について。
 「早く人間になりたい」というフレーズで有名な『妖怪人間ベム』というアニメのテーマソングがある。これになぞらえての「ビル管ブルース」のようなものだ。なぜSなのか。ビル内の皆から「設備さん」と呼ばれているからだ。
 ♪それはいつ生まれたのか誰も知らない。暗い音のない世界で、失業者があちこちに生まれて増えていき、三つの生き物に分かれた。設備、警備、清掃。「早く就職がしたかった」。闇に隠れて生きる。地下で監視盤ながめてる。夜中にゃ巡回。朝まで天国。朝礼の地獄。俺たちゃ、ビルメンテナンスなのさ。客に姿を見せられぬ。何の職業か分からない。「早く地上に出たい」。暗い定めを吹き飛ばせ。訳あり、性悪、高齢、無駄にプライド、無能、コミュ障、サイコパス。「早く正社員になりたい」。ビル管人間。
 設備は後ろ暗さ天国、清掃は弱者の最後の逃げ込み場で、最も高齢の集まる警備は貧困老人の吹きだまりとなっている。
 今、私のいる現場の同じ部屋の警備は「大手」である。大手警備会社の人間(社員も雇員も含めて)の方が、弱小の警備会社の人よりも「おかしな人間が多い」という点では、設備の人間たちの間で一致している見方だ。なぜそうなるのかは、隣で見ていると分かる。交通警備などのいわゆる「棒振り」は下っ端の警備会社が請け負うと言われている。実際そうだ。中堅の会社で、別会社で敢えて老人部隊をこしらえているところもある。全員が寮住まいで、つまりはホームレス寸前の人間を掻き集めている。しかし、実は彼らの方が大手よりも人間的である。身体を動かしたり、実質の仕事量が多いから、妬んだり、粗探しをしたりする暇が基本的にない。
 大手は一応、施設警備や機械警備であるが、資料や決まり事や報告量が多く、無駄なやり取りも多すぎる。掛けても掛けなくてもいい部屋の鍵のチェックや必要以上の巡回とつまらな過ぎる内容の引き継ぎ、それに掛け声やスローガン、テーマの復唱など、バカバカしいデモンストレーションが多い。
 現状の隊員たちを点描する。
 フォークソング狂の警備員は、太田裕美のパネルを今でも部屋に飾り、倉田まり子ファンで、雑誌のバックナンバー『GORO』『スコラ』のコレクション、山下達郎や大貫妙子の全CDを持っている。竹内まりやの実家に修学旅行で宿泊したという。だが、異常な清潔好きで、酢を混ぜた自家製の香料を、部屋中に振りまくので、臭いなんてもんじゃない。しかし、それが許されるのは、元自衛隊の、さらに臭すぎる体臭男がいるからだ。こいつに対しては、私も、多くの隊員も何度も「体を洗ってくれ」という抗議をしたのだが、暖簾に腕押し、全く聞く耳を持たない。実際のところ、片耳が自衛隊時に殴られて聴こえない。
 つまらないマシンガントークの怖ろしくネチネチした九州男児がいる。うるさくて、たまらない。教養がないとか、論理的に稚拙であるとか、知的水準が低いとか、そういったこと自体は、共存するうえで問題ではない。ある集団の中では、適度な配分なり役割分担をされて、稚拙な者の方が過剰な力、もちろん最大の力になることはないからである。ところが、稚拙な者の方が、権力において、パワーバランスにおいて、相手に対し暴力的に妥協を迫るということが、「ある」。声の大きさと喧しさが、物事の道理を有耶無耶にする効果を発揮する。
 うるさいなんてものは、これまでいくらでも経験したが、この男のそれは、国鉄の組合運動で培ってきたうるささで、親もまた国鉄マンで、しかも一時は司法書士を目指して、司法書士には受からずも、不動産鑑定士や宅建などあれこれ取得している資格マニアでもあり、声もでかくて、とにかく面倒臭い。うるささの方が、こういった大手の警備会社では「解決しない」という点で、すべてを凌駕するのである。解決する会社であれば、うるさい奴は排除されるだろう。だが、問題の解決しない世界では、うるさい奴は優位に立つのである。なぜ問題が解決しないのかというと、解決する気がないのと、しなくても済む世界であるからだ。問題を先送りし、あれこれ討議し、それこそうるさく長引かせれば、それで仕事をした気になるのである。こういう奴の方が、重宝されるわけでもないのに、大手の警備会社では、のさばっている。
 この九州男児と同じ日に泊まっている何人かとのやり取りを目撃した。小石先生もその一人だ。「小石さん、ちゃんと巡回している?」「してますよ」「Aも回った?」「まわりましたよ」「カード履歴に残っていないんだよね」「いや、それはその」「あした隊長に報告しなきゃならない」。このやり取りを小石先生だけでなく、全員にやる。これに引っかからないのは、元自衛隊員と酢の香水を使うフォークソングマンだけである。あとは皆、端折って巡回している。「凪さん、俺も終わったよ。会社辞めようかな」。小石先生の毎回の呟きである。
 ところで、設備に紛れ込むサイコパス(S)は、都市部のビルに、特に飲食店においてよく見られる都市型害虫「チャバネゴキブリ」のような存在だ。チャバネゴキブリは、都市の、それも野外よりも屋内に生息していることが多く、寒さに弱く、マイナス五度では二四時間のうちに死んでいく。したがって、屋外での越冬はほとんど不可能で、ビル管の中にSが潜んでいるのも頷けるのは、警備の場合、寒い現場での立哨などがあり、さすがにこれは無理だからだ。
 警備には少なくともSはいない。理由は、Sにとっての旨みがないからだ。警備は立っていることが出来れば、雇われる世界だ。これについて反論する人がいるけれども、今現在、私が目の前で見ている人間で、糖尿病で毎日四本のインシュリンを打ち、あるいは週に三日人工透析をし、さらには身体の内臓の五%しか機能していないと医者に言われている人間まで、働いている。設備は少しだけ資格が必要なため、それがゆえに、ある一線を引いている。つまり、「少しだけ資格が必要」というところで、最古透などは、無資格なのに入り込むわけで、策を弄し挑戦する価値があるのだ。Sの腕の見せ所。警備や清掃では、実入りもそうだが、いじめて、いたぶる甲斐がない。
 少しだけだが、Sがいないというその一点で警備が羨ましい。
 まさに隣の芝生である。
 早く人間になりたい。
(建築物管理)







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