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評者◆秋竜山
たかが屁、されど屁、の巻
No.3488 ・ 2021年03月20日




■諺に「屁は屁元からさわぎだし」と、いうのがあった。と、おぼえていたが、ちょっと考えると、屁元というと屁をひった人ということになる。果たして屁をひった本人がさわぎだしたりするだろうか。これは、「屁は屁元の隣からさわぎだし」が正しいのではないか。それが道理というものだ。いくらバカでも自分の屁をみとめたりするものか。それに、屁元が、「スミマセン、私がひりました」などというだろうか。私ならしない。知らんぷりしているに決まっている。もちろん、すかしっ屁だろう。本来、屁というものは、音として出るものと、においとするものか。音の屁は妙なユーモアが存在するが。くさいにおいだと、きらわれるためにあるものだ。「今、席をたったものが、犯人だろう」と、いうことになってしまう。まかり間違ってもその場をたつことは禁ずるものである。そして、屁の特徴として他人の屁はなぜにあのようにくさいのか。そして、自分の屁はどうして愛しさもこめて、なんともいえぬ香りがするものなのか。
 復本一郎監修『俳句の鳥・虫図鑑――季語になる折々の鳥と虫204種』(成美堂出版、本体一五〇〇円)では、俳句で〈放屁虫〉について。
 〈北海道から奄美大島までの各地に分布、河原や水田など、湿った場所の石の下や草むらにすむ。(略)成虫は夜間地面を歩きまわり、昆虫をはじめ各種の小動物を捕まえて食べる。危険を感じると、尻にある開口部から「プッ」という音とともに刺激臭あるガスを噴射する。(略)尻からガスを出すしぐさがまるで屁を放っているようなためこの名が付いた。〉(本書より)
 人間と大いに違うのは、人間は、危険を感じて屁をひるということではないということだ。やむにやまれぬ生理的な理由であり、腹の中に逆流させると、ひどい腹痛をおこす危険性があるからである。俳句では、たかが屁、いやされど屁というべきか、芸術的な多くの作品がある。
 〈御仏の鼻の先にて屁へり虫 一茶〉
 〈放屁虫貯へもなく放ちけり 相島虚吼〉
 〈放屁虫主客の間を這ひ行けり 庄司瓦全〉
 〈放屁虫俗論党をにくみけり 高浜虚子〉
 〈放屁虫おろかなりとはいひがたき 軽部烏頭子〉
 〈放屁虫あとしざりにも歩むかな 髙野素十〉
 〈放屁虫かなしき刹那々々かな 川端茅舎〉
 〈放屁虫漁師の墓の前跼み 秋元不死男〉(本書より)
 屁を武器にすることは人間も見習うべきではなかろうか。動物ではスカンクなどが有名である。スカンクの屁も俳句になっているだろうか。
 江戸川柳に、ひとり者が一人で部屋で屁をひったからといってちっとも面白くないというようなのがある。一茶の〈御仏の鼻の先にて屁ひり虫〉というのがあるが、この時の状況をいろいろ想像してみる面白さがある。御仏は屁ひり虫の屁に何の反応もなく、表情もかえず、他人ごとのように平然としている。屁ひり虫も、御仏の鼻先であろうと、何の気もなく屁をひる。プッと屁の音だけがするだけである。満員電車の中でどこからともなくにおってくる屁に、みんな無言でたえている。誰一人として「くさいなァ……」など、つぶやきさえしない。誰もその屁にかかわりたくないのである。今は、誰もがマスクをしているから問題はないが、あのすかしっ屁だけはかんべんしてほしいものである。







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