書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆福島亮
手稿、痕跡、秘密――「シュルレアリスムの発明」展
No.3487 ・ 2021年03月13日




■二つの穴のような目は真っ直ぐこちらを向き、鼻梁から眉にかけて丁寧に陰影をつけられた男の顔、そして炎のように逆巻く髪。それはナジャが何度も描こうとしたという、あのアンドレ・ブルトンのポートレイト。あるいは、一九二六‐一九二七年頃に書かれたらしいノートには「九月二日 アンドレへ 手紙の返事」と鉛筆で記されている。それはブルトンに返信するためにナジャが書いた下書き。また、一九二七年三月一四日の日付が書かれた紙片。それはブルトンへ送る手紙の草稿。この一週間後、ナジャは幻覚に襲われる――。
 当初は二〇二〇年一一月一七日から二〇二一年二月七日まで開催の予定だったが、その後延長して三月一四日までフランス国立図書館で開催されるはずの「シュルレアリスムの発明」展には、コロナウイルスの影響でまだ足を踏み入れることができない。展覧会場であるギャラリーが閉鎖されているのである。展覧会が行われているはずの図書館には毎週通っているのに、ギャラリーに入ることすらできず、ただカタログや何冊かの本を開き、こうして茫然としているのはそのためである。
 展示物はすべて揃い、いつでも開催できるはずなのに足
を踏み入れることができない、まるで秘密の展覧会のようなこの「シュルレアリスムの発明」展とはどんな展覧会か。副題に目をやると「『磁場』から『ナジャ』へ」とある。実は、二〇二〇年はブルトンとスーポーによる『磁場』が出版されてからちょうど百年目の年なのである。『磁場』が出版された一九二〇年から『ナジャ』が出版された一九二八年までを中心に、その前後、ダダがチューリッヒで産声を上げた一九一六年頃からブルトンとエリュアールによる『処女懐胎』が世に出る一九三〇年までがこの展覧会の大まかな時代の枠組みをなしている。
 『磁場』百周年はよいとして、「『ナジャ』へ」とあるのはなぜだろうか。これには、二〇一七年に『ナジャ』の手稿が国立図書館に収蔵されたことが関係している。二〇一五年、実業家のピエール・ベルジェが競売にかけた自身のコレクションのなかに『ナジャ』の手稿および関連資料(ノートや紙片など)が含まれていた。この手稿と資料は二〇一七年に国立図書館に収蔵され、二〇一九年末には手稿のファクシミリ版が部数限定で出版された。
 かくして、展覧会に先立つ二〇二〇年二月二五日に国立図書館でシュルレアリスム研究者のジャクリーヌ・シェニウー=ジャンドロンとアーキビストのオリヴィエ・ワグナーによる『ナジャ』の手稿を紹介するイベントが開催され、そこで紹介された資料は、全四章からなる本展覧会カタログの最終章を構成することになる。
 「シュルレアリスムの発明」展は、もちろん『磁場』刊行百周年という節目を印づけるものである。だが、その節目の周囲で、それこそ磁力に誘引されるかのように、『ナジャ』にまつわる様々な資料が姿をあらわしたのは偶然だろうか。本稿の冒頭で紹介したポートレイトと手紙の下書きはそのような関連資料の一部である。
 この展覧会では、シュルレアリスムといったときに誰もがイメージする絵画やオブジェが展示されているわけではない。ここで照明をあてられているのは、生まれつつあるシュルレアリスムである。そのために、普段はジャック・ドゥーセ文学図書館などに保存されている手稿が集められた。
 以下、展覧会のカタログに収められた手稿やノートについて考えてみよう。
 カタログには『ナジャ』以外の手稿も多く掲載されている。そのなかでも特に興味深かった「エリュタレティル」(「リテラチュール」の綴りを反転したタイトル)というブルトンのテクストの版下を取り上げてみよう。
 この「エリュタレティル」というテクストについては、カタログに寄せた論考および『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社、二〇〇七年)のなかで鈴木雅雄が詳細に分析を施している。以下にその分析を略述する。ブルトンのテクスト『シュルレアリスム宣言』は数え上げの書物である。ただし、数え上げの根拠はない。その究極的な例は、「ジャック・ヴァシェは私のなかでシュルレアリストである」というものである。この数え上げは、根拠はないがしかし自分のなかでは真実であるものを提示するための方法であると鈴木はいう。ここでこれ以上分析を繰り返すことはできないが、見開き頁にちりばめられた作家や詩人の名前のうち、ヤング、ルイス、ラッブ、ロートレアモン、サドとともに、一九一九年に亡くなったブル
トンの友人ジャック・ヴァシェの名がくっきりした大きな活字で刻印されているのはたしかに違和感と共に印象に残る配置ではある。重要なのは、そこで並べられたラッブとヴァシェの死が、共に自殺であったかもしれないとブルトンが思っている(あるいはそう理解している)、ということである。かくして、この併置はブルトンにとっては切実な、しかし多くの人間にとっては根拠のない併置なのである。この根拠のなさこそが、翻って、ブルトンにとっての真実であることを確かなものにするのである。
 今回カタログを読みながら、「エリュタレティル」の手書きの版下をまじまじと眺めたところ、ラッブ、ロートレアモンと並べられるヴァシェの存在感が、印刷されたテクストに増して濃厚であることに驚かされた。ラッブ、ロートレアモン、ヴァシェの三名がヤングやルイス、サドを差し置いてことさら浮き上がってみえるのである。
 その理由は、版下の文字にある。手書きの版下をよく見ると、ラッブ、ロートレアモン、ヴァシェと書かれた文字は、ヤング、ルイス、サドと比べてこころなしか太く、黒々としている(ちなみに、活字の大きさや種類は、フォントのサンプルと矢印で結ばれたインクの色によって指定されている。この色を確認すると、ヤングはもともと別のサイズの活字――ユゴーと同じサイズ――が想定されていたのか、青緑色のインクで書かれた文字の上に黒いインクで修正が施されている)。ラッブとロートレアモンとヴァシェ、この三人が織りなす布置は、とりわけこの手書きの版下においては強烈なのである。そして重要なのは、なぜこの三人の布置がかくも強烈なのかその根拠はわからない、ということである。
 このような細部に目を向けるのは、手稿を実証的に分析するためではない。そうではなく、印刷されたテクストに抗い、テクストを宙吊りにするような力――痕跡の力と言い換えてもよいかもしれない――こそがこの展覧会において重要であるように思われるからである。そのもっとも衝撃的な例が、二〇一七年に収蔵された『ナジャ』の手稿および関連資料だろう。生々しい、というよりは、これまであまり見えていなかった何か
が不意に姿をあらわすような衝撃がある。が、その何かが何なのかはわからない。そして極め付けは、手稿を通してシュルレアリストたちの作品と向かい合うとき、それはもう、作品なのか、それとも別の何か(例えば手紙)なのか、区別が付かなくなってしまう。

 「シュルレアリスムの発明」展に集められた手稿や手書き資料が私たちに明かしていることは、逆説的かもしれないが、「真実」を、易々と事実として提示したり、ましてや解説などして誰かに無理に理解させたりはしない、というある種の態度である。ナジャが残したノートやポートレイトを解読したり、そこから衝撃を受けたりしても、けっしてそれらを理解したり、そこに隠されている真実を我がものにすることはできないだろう。あるいは、手書きの版下において、どういうわけか浮かび上がってくる黒々としたインクの痕跡、それに慄くことはあっても、理解したなどとはいえないだろう。
 国立図書館に集められ、今この瞬間も公開を待っているかもしれない手稿たち。これらシュルレアリストたちが残したありとあらゆる痕跡は、秘密の異名なのである。
(フランス語圏文学)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約