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評者◆中村隆之
いまだ驚きと新鮮さに満ちた風景――野生の思考という魅力的な発想を未来に向けてどのように活用していくかが肝要
野生の思考
クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳
No.3486 ・ 2021年03月06日




■2020年度のもっとも衝撃的な読書体験は、レヴィ=ストロースの『野生の思考』だった。手元の版は1995年の第21刷。いつ買ったのかも、どこまで読もうとしたのかも、思い出せない。手がかりは当時の付箋や下線であるが、正直なところ、どれもが的外れで、まったく読めていないのだから、思い出せないのも当然だ。
 本書を通読することになったのは、セメスターの学期ごとに一冊の本を教材にして読み進める方針の演習の授業で、当初の指定図書だったルソーの『人間不平等起源論』(坂倉裕治訳、講談社学術文庫、2016年)を、早々に読み終えてしまった7人の受講生による、軽やかな提案がきっかけだった。
 そもそも私がルソーを取り上げたいと思ったのは、自然状態(人間の本性)を善とする確信から文明を批判するルソー思想にどのような今日性があるのか、という問いを念頭に置きながら、『人間不平等起源論』に付された膨大な注を、受講生と一緒に精読したかったからだ。その注は、主にさまざまな旅行記の引用からなり、格差の上に成り立つ文明社会よりも、所有の観念をもたない、自然状態に近い人々のほうが不平等を知らないとする、ルソー自身の考えを傍証するために引かれている。文明社会を相対化し、自民族中心主義的な奢りを知らないこうした発想こそ「人類学の創始者ルソー」とレヴィ=ストロースが称えたものだった。
 私のおおまかな見取り図では、ルソーにおいて典型的に見られる「善良な野生人」の系譜や、ヴィーコの詩的知恵の議論(連載第2回参照)から出発して、21世紀における〈自然〉と〈文化〉の関係を根本的に再考する関係論的人間学の思想史を描けるのではないか、と考えている。目下そうした講義科目を準備しようとしていることもあって、この機会に本書を読むことは、私にとっても渡りに船だった。
 しかし、本書は想像以上に手強かった。9章あるため、章ごと読み進んでも授業期間内で終わらず自主ゼミを追加でおこなうのは当然としても、前提となる人類学の学説史、言語論的転回の認識と切り離せない構造論、さらには哲学から情報理論まで、本書は相当の知識を読者に要求してくる。受講生は、各章のレジュメを作成するのに最低でも週末2日分を丸々潰さなければならないほどだった。
 にもかかわらず、途中で放棄することなく読み進められたのは、その圧倒的な面白さである。本書の概説については渡辺公三の『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社ライブラリー、2019年)および『レヴィ=ストロース』(講談社学術文庫、2020年)を参照いただくとして、その面白さを私なりに記せば、何よりも、西洋中心主義的歴史観や、進歩主義史観をその土台から掘り崩すような、もうひとつの体系的思想を、「未開社会」の豊富な事例に基づきながら、明証したことにある。原著が1962年刊であるから、いまから約60年も前のことだ。「フランスにおける戦後思想史最大の転換をひき起こした著作」という訳者あとがきの文言は文字通り受け止めなければならず、本書がその論証をつうじて決定的な認識を示したことは疑いない。近年の私的読書体験では、ダーウィンの著作を読んだときの感動に近い。『野生の思考』の以前/以後はたしかに存在するのである。
 本書の魅力はとりわけ第1章「具体の科学」に発揮される。具体の科学とは実験や体験によって得られていく経験的知や、直感によって掴み取られる美的把握のことであり、端的には野生の思考のことだ。一般に、科学とは近代科学を指す、と私たちは思いがちだが、近代科学以前にも科学的思考は存在した。レヴィ=ストロースの考えでは、新石器時代以降、近代科学が生み出されるまで、人類に共通したのが具体の科学だった。ところが西洋社会は、具体の科学とは異なる手続きの知の形態を発展させた。それが近代科学である。このため近代科学は、それ以前、それ以外の文化の知を「非科学的」「非合理的」と見なすようになった。すなわち、レヴィ=ストロースは、西洋社会が前提とする近代科学的な知をいったん括弧に入れて、それとは異なるタイプの思考が、近代科学的な知とは別の形で、合理的にして見事である様を、オーストラリアや北米の先住民の事例を主に参照しながら論証していくのである。
 とくに興味深いのは、この具体の科学ないし野生の思考は、近代科学を経験した社会、すなわち栽培種化された思考を発展させた社会のなかにも見出せるという指摘だ。近代科学と野生の思考が並存しているのは普通のことであり、フランスにおいても「未開社会」の慣習と同じ機能の慣習があることや、車の運転で発揮される野生の思考、野生の思考と芸術領域との親和性などが言及される。進歩に立脚する科学主義や西洋中心主義的歴史観は、こうした野生の思考を気に留めないか、劣ったものと見なす傾向にあり、その現代の代表例としてレヴィ=ストロースは、サルトルの『弁証法的理性批判』(竹内芳朗ほか訳、全3冊、人文書院、1962‐73年)を挙げ、第9章で批判している。
 なかでも鋭いのは、サルトルの方法のうちに「未開人」と同じ野生の思考が働いている、と喝破している点だ。レヴィ=ストロースによれば、サルトルは歴史を神話として解釈している。すなわち、サルトルが、実際のことと関係なく信じているのは、フランス革命が歴史の動因だとする神話であり、この意味で自分が「文明人」であるのを当然視するフランスの大思想家が皮肉にも「未開人」の思考と比較されるのだ。サルトルにおける人間中心主義と近代主義をも相対化する見事な批判だ。
 とはいえ本書のもっとも肝要な点は、〈自然〉と〈文化〉の非近代主義的関係を構想するうえで欠かせない、野生の思考という魅力的な発想を未来に向けてどのように活用していくかにあるだろう。最近『野生の思考』について誰かと話したさい、この本がさまざまなアイデアの道具箱である、といった発言を聞いた。まさにそうだと思う。中沢新一の『野生の科学』(講談社、2012年)など本書を土台とする瞠目すべき仕事もあるように、本書から開かれる風景は、いまだ驚きと新鮮さに満ちている。
(フランス文学)







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