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評者◆稲賀繁美
愚行の撲滅を目指すことに勝る愚行はない――零落の哄笑か哄笑の零落か(上)――四方田犬彦著『愚行の賦』(講談社)へのマルジナリア
No.3486 ・ 2021年03月06日




■四方田犬彦『愚行の賦』冒頭には、現代日本で日常に眼にする「愚行」が列挙される。誰のことか明白だが、名指しはされず、「人を民族主義者に仕立て上げるのに最適な環境とは、屈辱に満ちた異邦の地である」との箴言が綴られる。大地球と踊った著者の体験と、他の追従を許さぬ読書経験の堆積から、幾多の「警句」が著者の脳髄に飛来する。それは幸福? あるいは究極の不幸? だが愚行を列挙して指弾しても、解決には結びつかない。「確固たる方法論もなければ、後ろ盾となってくれる便利なイデオロギーもない」領域が著者の目前には宏大に広がる。とはいえ「愚行」が視野を埋め尽くす前に、反撃が必要となる。そのためには「ひとまず書庫に避難」する必要があった。本書は、半生の「曝書」報告でもあろう。
 愚行の撲滅を目指すことに勝る愚行はない。愚行を非難したところで、愚行の犠牲者は戻ってくることはない。畢竟、「人類の歴史」は愚行の堆積でしかあるまい。最終的に愚行が勝利する以上、愚行に対処すべき教訓書を試みても、愚行に屋上屋を重ねる結果となる。こうして賢明さや叡智を拒絶する相手に対して、人は恐怖を抱く。知識は人を愚行から救いはしない。むしろ愚は知性を誘惑し、篭絡し、巧みに知性を「騙る」。評者も些か知悉する近傍の例ならば、ウンベルト・エーコや山口昌男は痴愚の道化を自ら演じたが、それも自力救済には繋がらない。救済を希求するのは、徳を誇るに等しい。救済は不意に到来するのみ。
 「愚」の語源学にも、様々な言語を横断しつつ、著者の蘊蓄が傾けられる。フランス語のsotte(女性形)とbete(男女同形)の違いを母語話者に「そっと」尋ねる体験談は、四方田犬彦の世界だが、ここには哲学者の思い上がりと「獣性」への偏見とが表裏をなして露呈する。La Fontaine『寓話』のfondに「掃き溜め」をみるのも、Gilles Deleuzeお得意の駄洒落だが(その「愚」を日本の哲学者は真面目に取り過ぎる……)、これを「根」conと訳すはconnerieか? 老子の「道」からの連想だが、「道ハ沖ナリ」ゆえ、ここには底なし沼の誘惑が覗く。『差異と反復』という書物も、道教と輪廻転生を下敷きにすれば「底」fondが割れる筈なのだが……こうした「愚」にもつかぬ連想に身を委ね、埒なき夢想に耽るのは、老残読書人(評者)の「密かな愉しみ」、百科事典の「無間」円環に浸る、「地獄巡り」の悦樂か。
 表紙の図柄はYa tienen asiento「ほらうまく座れた」。椅子を逆向きに頭にのせてご満悦の狂女たち。ゴヤ描くこの「狂気」の秩序転倒が、急性発作の際に実際に発現した現場を、評者は眼にしたことがある。そこから一連の疑問が沸く。狂気と愚行とはどう違うのか?(171) 狂気のさなかの身の破滅は愚行なのか?(103) 宗教的熱狂は愚行か?(59) はたして涜神は自由と同義なのか?(122) そして博識は愚に利する悪徳なのか?(136) SNSの紋切型こそは匿名の集団的愚昧ならずや?(146) 癲癇epilepsiaの発作は「刹那滅」が開示する「永遠の現在」では?(181‐3)。ならば傍目に「愚行」と映る逸脱行為を惹起する「狂気」とは、実際には「天啓」なのでは?――本書が誘発する愚問の一端である。
(以下つづく)







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