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評者◆睡蓮みどり
どうして人はそんなに恋に憧れるのだろう――マチアス・マルジウ監督『マーメイド・イン・パリ』、シャノン・マーフィ監督『ベイビーティース』
No.3484 ・ 2021年02月20日




■「今恋をしてるのに その目はほら どうして花や草が踊らないの?」元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎が作った「恋がしたい」という曲がある。恋をしているはずなのに、世界はどこか曇っていて楽しくない。それでも恋がしたいのだと心の奥底から叫ぶ。どうして人はそんなに恋に憧れるのだろう。
 かつて、私にも恋がしたい、そんな時期があった。恋をしている自分が好きで、恋をしている自分は素晴らしい世界に生きていて、恋をしている隣のあの子は今日も輝いて見えた。私たちはいつの間にか恋がまるで素敵なものだと刷り込まれてきた。少女漫画でボーイとガールと出会って、映画のなかでたくさんの人たちが恋に落ちたり破れたり泣き叫んだりした。バレンタインデーが近いので甘い恋物語の映画を語ってみようかと思った。それなのにうきうきするような、踊るような、まるで恋をしているような文章が書けない。どんな恋にも甘い瞬間はあるかもしれないけれど、やはり瞬間的なものなのかもしれない、とか思ってバカバカしくもなる。
 Wikipediaで「恋」と検索してみた。「恋(こい)とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。青春は1度きり。悔いのない選択を。」と出てきた。いつからこんなお節介になったのだろう? と驚いて、翌日同じ検索をしてみたら「青春は~」以下が消えていた。あれは一体何だったのか。私の手元にある辞書では恋の定義は「男女間で」と書いてある。恋は異性間のものとされているのでWikipediaの方が現代を生きている。もちろん恋は異性同士に限った話ではないし、時には人間同士のものとも限らない。

 人間と人間でないものの関係が切ないのは生きる時間が違うからだということを、最近はまっている『夏目友人帳』シリーズを観ていてひしひしと感じている。何百年何千年と長い時間を生きる妖怪と、すぐに死んでしまう人間の物語はいつだって儚く切ない。人間と人間以外の生き物の恋物語で世界的に有名なのはやはりアンデルセンの人魚姫だろうか。自らの命の危険を冒してまで王子に恋をした人魚姫は人間になろうとする。その思いは叶わず、王子は別の女性と結婚し人魚姫は海の泡となる。あんまりだ。悲しすぎる。それでも、ディズニー映画の『リトル・マーメイド』ではハッピーエンドに変えられているのには子どもながら違和感を覚えた。これは人魚姫じゃない、と。
 『マーメイド・イン・パリ』は都会の海に紛れ込んでしまった人魚と恋に破れ心を閉ざしてしまった男の物語だ。最後の生き残りとなった人魚のルラ(マリリン・リマ)は母親を殺されたことで人間に強い恨みを持っており、近づく男を美しい歌声で自分に恋させて心臓を破裂させ殺してしまう力を持つ。一方、海辺の近くの祖母の作った老舗のバーでパフォーマーとして働くガスパール(ニコラ・デュヴォシェル)は、今にも職を失いかけている。そんな二人が恋に落ちるのは、ロマンスというよりも孤独なもの同士の共鳴という印象を受けた。ルラを誘惑する魔女もここにはおらず、彼女は憎しみで自ら殺人鬼となる。ガスパールはただ恋に傷ついた男であり、王子でも何でもない。
 ガスパールの働く店はかつてレジスタンスを匿い、秘密の詩を流していた。働くものたちはサプライザーと呼ばれ、人々を芸術の力で魅了してきた。人々の思い出が詰まったこの店はただのエンターテインメントバーではなく夢の国への入り口なのだ。だからこそ、ルラとガスパールは違う世界の住人だけれども一緒にいることができるのだろう。ここにあるのは違う時間を生きる儚さや、違う世界を生きる切なさではなく、孤独なもの同士の交わる刹那だ。ルラは人間になろうとはしないし、ガスパールは悲しみながらも受け入れようとする。だからここに悲恋はない。オンラインでつながっているために、本当は何年も会ってはいないのに、しょっちゅう会っているかのように感じるような、そんな距離感がこの映画にはあって、だから永遠の別れというものがここにはないのだと錯覚してしまう。
 恋は違う世界に触れ、それが楽しいと思えることだ。そのきらめきの瞬間をこの映画のポップな世界観は体現する。「溺れているよ あの童話の海で人魚が」と先ほどの曲の歌詞には出てくる。ルラは都会にも海にも溺れることなく、傷を癒して優雅にどこまでも泳いでゆく。

 見知らぬ世界に憧れて、自ら飛び込んでいった少女がいる。末期の癌に侵された少女ミラ(エリザ・スカンレン)はある日不良少年のモーゼス(トビー・ウォレス)と出会い、恋に落ちる。突然彼女の世界に現れた、少し年上のタトゥーだらけの少年は、ミラの目には輝いて見える。恋がしたい。まだ恋かどうかわからないうちに、恋に憧れ、恋のなかにいる。手を取って、自分を違う世界へと導いてくれそうな人は、いつだって魅力的だ。それがどんなに危険な世界であっても。
 両親が娘の心配をいくらしても、ついてしまった恋の火を周りが消すことはできない。高校ではおそらく感情を抑えて目立たないようにしてきた彼女は、自らの感情が生き物のようにうごめくことに生きる力を感じる。派手なメイクはまだ幼さを残した少女には似合っておらず、個性的なウィッグもナチュラルとは言い難い。それでも生きる喜びや自らの感情がメイクやウィッグの下から滲み出ている。ミラを愛そうとしながらも、自分とは違う世界に生きる少女のまっすぐな感情はモーゼスに戸惑いを与える。
 自分の死期を意識しているミラは、これが最初で最後の恋だということを知っている。それでもこの映画を難病ものだとくくってしまうにはもったいないのは、この少年少女と彼女たちを取り巻く大人たちの、どこか大人になれない感情が絡み合って、不思議な色を織りなすからだろう。特に海辺でのラストシーンは素晴らしい。このある意味では古典的なストーリーを辿りながらも、新しい見たことのない世界が繰り広げられる。それは一つの天国のように感じられた。違う者同士が共存していくのは、どちらかが同じ一つの世界にいってしまうことではなく、バラバラのままでそこに一緒にいること。恋は生きているものだけの特権ではない。「恋がしたい」と叫ぶ限り、その言霊は波音にかき消されることもなく、波間から聞こえて、違う世界に生きるあの人にも届くに違いない。
(女優・文筆家)







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