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評者◆秋竜山
神のみぞ知る、の巻
No.3481 ・ 2021年01月30日




■中国禅の公案に、「煙を見て何を思う」に対して「火を思う」であり、「角を見て何を思う」が「牛を思う」である。それでは、「海を見て何を思う」というのがあったとしたら、何が正解なんだろうか。禅問答であるから難問であるだろうか、とか、裏があるだろうかとか疑ってかかる。いろいろ考えたすえ、「海を見たら」という問いに「魚を思う」という答えでよいのではなかろうか。そこで思ったのは海の魚である。海の中にすんでいることは確かであるが、海を見た時、魚の姿がどこにあるのか。広大な海の水面のどこにも魚が顔や頭を出していない。一匹もそんな魚を見たことがない。飛び魚が海面すれすれの高さで飛ぶところを見たことがあるが、数えるほどもない。何十年も前に小笠原のクジラを見にいったことがあったが、その時は海の中から姿をあらわしてくれて、サービスに潮までふいてくれた。
 若い頃、定置網の漁師の経験があったが、その時は、冬の定置網に寒ブリの大群がはいって、その数が一万五千匹ということで港は大漁でにぎわったものであった。今では想像つかない寒ブリであった。そんな数の寒ブリが海の中にいることにも驚いたものだった。絶対に海面には姿をあらわさない。寒ブリが海面をピョンピョンはねながら泳いでいることなどありえないはずだ。海岸などで魚釣りなどをしているが、そこに魚がいるから釣り糸をたらしているという釣り人は一人もいない。果たして釣り糸をたらしているところに魚がいるかどうかまったくわからない。もしかすると全くいないかもしれない。だからといってハリにエサをつけて釣り糸をたらさないことにははじまらないのである。今では探知器で魚の姿を見つけることができるとかいうが、そのようなものを使って釣りをする人など見たことがない。「オーイ魚よ!!」と、海に向かって呼びかけてみてもまったく反応がない。
 水族館などへいくと、大量のさまざまな魚をガラスごしに眺めることができる。だからといって、あのような魚の群れが海中で泳ぎまわっているかというと、そんなこともありえないだろう。子供の頃、モリを持って磯の海にもぐって魚をさがしまわったが、一匹も出あうことがなかった。岩場に魚は身のキケンを感じてかくれていたのか。
 小山慶太『〈どんでん返し〉の科学史――蘇る錬金術、天動説、自然発生説』(中公新書、本体八二〇円)では、
 〈つまり、生命の起源は何かという問題に立ち返ると、話は自然発生説に回帰してしまう。一九世紀の半ば、生物学が物理学、化学につづいて自然科学の体裁を整えるうえで重要な役割を果たした三つの研究は絡み合って、あらたな難問に科学の目を向けさせることとなった。泥からウナギは生まれない。小麦の入った袋からネズミは生まれない。腐った肉汁からウジは生まれない。ビール酵母から微生物は生まれない。これは確かであり、その観点でいえば、自然発生説はひとまず否定されたといえる。(略)〉(本書より)
 で、困った末、神を持ち出すこととなった。神の介入、つまり、神が創造したことにした。神であったら不可能はなしだ。困った時の神だのみとはこのことである。
 〈地球の誕生したのはおよそ四六億年前〉(本書より)
 地球そのものが神が創造したものだろう。だとしたら、すべて神によるものだ。神は何を思うか。







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